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I also have a dream古明地洋哉と私

I have a dreamとMartin Luther King,Jr.は言った。
そして私にも夢がある。

残像の過去の中に居座る気は毛頭ないが
彼の音楽を聴いた事で、瘡蓋が少し剥がれた。

それはとても愛おしくも痛い感情。

彼、古明地洋哉の作り出してきた音楽に対する考察と
私自身の回想を言葉による輪舞曲で記していこう。

古明地洋哉との第一種接近遭遇

1996年から2008年までレコード店でバイヤーをやっていた。
当時は毎日のように各レコード会社の営業が
新譜のイニシャルを積むために
店を訪れ資料とサンプル盤をもってきた。

その中に古明地洋哉のCDがあったことを覚えている。
その理由は私の父の仲の良い友人で同性の方がおり、
珍しい名字なのではっきりと記憶に残っている。

しかし、当時の私はバイヤーをやりながらバンド活動も行い、
かつ執筆業も行っていたため、
傍からどのように見られていたかはわからないが
非常に忙しく、また、偏見の塊でもあった。

今にして思えば、自身は日本語の音楽をやっていたことを棚に上げて
邦楽に関してはインディーズ/メジャーも含め
自分の仲間周りのものしか認めず、
洋楽至上主義のところがあったように思う。

なので古明地洋哉の存在を知り音源も聴いてはいたが
日本人のSSWという理由だけで通り過ぎ、月日はただ、過ぎていった。

回想(1)

今から10年近く前、自身のバンドはすでに解散しており、
サラリーマンの傍ら執筆業やその他の新規プロジェクトを模索していた頃。
年下ではあるが古くからの友人に出張で東京へ出掛けた際に
友人の馴染みの店に連れて行ってもらった。

きっかけは彼がメンバーでもあるバンドが大阪にliveに来た際に
「連れて行け」と半ば強引にお願いして念願がかなった次第である。

彼は複数のバンドを掛け持ちしており、
かつプロデューサー業なる小洒落た事も行っているため
非常に多忙ではあったのであろうがなんとか時間を作ってくれて
連れて行ってくれた心持ちが嬉しかった。

大変気の良い男である。

東京で朝まで飲んだ際に、
京都へ来ることが決まっていると言っていたので
お礼に京都でなにか食事でもしようと約束した。

古明地洋哉との第二種接近遭遇

「縁」という言葉を使うのはいささか照れくさくもあるが
それまでも定期イベントの「俺たちの旅」でライブは見ていたが、
2018年の近藤智洋との2マンライブで見た
古明地洋哉は圧倒的だった。

しかし、その出会いからも、潜ることなく彼の音楽はまたしても、
私を通り過ぎていった。

2021年10月に近藤智洋のHPにアップされていた「花火」を聴いて
メールを送ったことがきっかけで近藤智洋から
「KDTH sing in my room Vol.47 with 古明地洋哉」の音源を頂いた。

※近藤智洋はコロナ禍の中、ソロや近藤智洋&ザ・バンディッツ・リベレーション、my funny hitchhikerのライブを中止する決断をしたが
「KDTH sing in my room」という作品を作り続けている

回想(2)

それほど日も立たずに京都で再会し、二人ですき焼きを食べ、
京都花月(吉本)に行ったはいいが
彼はろくに観覧もせず、ほとんど寝ており
私一人で舞台を見ていたことを思い出す。

彼が次の現場に夜行バスで向かうため、時間が少しあると言ったので私は彼に
最近、始めようとしていることについて話した。

付き合いは長くとも、昔のように2ヶ月に一回程度会うこともなく、
東京-大阪と互いに住む場所も違うため
その頃から年に1回会うか会わぬかの間柄ではあったが
どうしても聞いてもらいなにか意見が欲しかった。

私が仲間と共同で始めようとしていること、
その行く先やビジョン、そして何より
このプロジェクトがこれからの音楽家の背中を押すことになると
感じていることなどをはなした。
彼は非常に良い考えではあるが実現に向けては
大きな壁もあると思うが応援すると言ってくれた。

そして彼は夜行バスで次の目的地へ向かい
私は電車で1人、自宅へ帰った。

古明地洋哉との第三種接近遭遇

その音源は本当に衝撃的だった
モノラルの粒子が荒い音像の中で輝く音楽たち。
そして古明地洋哉の存在が音源を
特別なものに変えたことは明白だった

そして私は今度こそは、と古明地洋哉の音源を
デビュー順から聴き、思った。
今、このタイミングで彼の音楽とまっとうに出会えてよかったと。

昔の私であれば、
もしかしたら解釈が違っていたのかもしれないとも思った。
それほど彼の音楽は強く、儚いものであった。

音楽作品を作り出した以上、その作品は作者のものであり
私達はただ一方的にその作品を受け入れるしかない。

受け入れたくなければ聴かなければいいだけである。

恋愛であれば、
相手に想いのたけを伝えられようもできるが
書籍や映画、音楽などの作品は
受け取り手である私達の解釈次第である。

その作品が自身とコミットされる感覚、
そしてシンクロニシティを覚える感覚を感知できるか否かだと思う。

回想(3)

その後、そのプロジェクトは資金調達の面から
外部の人間が参入し、私達立ち上げメンバーは殆どが離れることになり、
わたしも結局は離れた。
当初、私達が目標としていた内容とかけ離れていくのを
なんとか軌道修正しようと試みたが、資本主義の原理ってやつで有耶無耶にされ、自分の力のなさと無力感だけがあとに残された。

そのプロジェクトは名前を変え今も続いているが、私達のDNAはどこにもなく、また私も部外者としてその行く末を眺めるのみである。

古明地洋哉との第四種接近遭遇

結び目を見つけたよ
世界と僕とを繋いでくれる
結び目を見つけたよ
それは君だった  -songby 君を見つけたよ
零れ落ちそうな君の生
擦り切れるのは誰のせい?
降り止まぬ雨の中で
君の笑み忘れてしまいそうさ -songby 孤独の音楽

古明地洋哉の作品は私に忘れていた過去の残像や
剥がすことをためらっていた瘡蓋を剥がす手助けをしてくれたのだ。

これらの人間が持ち得る根源的な孤独や愛を吐き出す言葉と相まって
彼の作り出すサウンドは言葉以上に狂気と美しさを孕んでいる。

ドミナントやサブドミナントのような和音進行からも
意識・無意識かはわからないが、クラシックからの影響が感じられたり
ノイズやアンビエントな音響空間を作り出すその手法は
「Sparklehorse」や「Jason Lytle」を彷彿させる。

Sparklehorse

Jason Lytle

2000年初頭にメジャーでリリースしている日本人のSSWで
このような音像に自覚的であったことも
彼の先見性を証明するものであり非常に驚きであった。

当時、そこにアンテナが引っかからなかった自身の傲慢さにも辟易したが。。。

最後に過去の彼の作品の中からPlaylistを作ったので
是非聴いて頂いて
古明地洋哉の世界に浸っていただけたら嬉しく思います。

古明地洋哉プレイリスト

回想(4)

その頃から、仕事で音楽に関わることを避けるようになった。

しかし、音楽から離れることができなかった。
どこにいても必ず音楽が傍にあった。
純粋にリスナーとして音楽を楽しむ自分と、
何か私にもできることはないか、とまた考えるようになった。

叶うか叶わぬかはわからないが、わたしには夢がある。
そしてその夢があるからこそ今のわたしがココにあると感じている。

大きな夢ではないかもしれないけど、
その夢とともに毎日を生きていくことが
愉しいと感じられる自分でいられる限り
私は大丈夫だ。

古明地洋哉との第五種接近遭遇

古明地洋哉は現在進行系のアーティストであり
これからの作品を楽しみに待ちたいが過去の作品を聴き、
改めて彼のライブにも足を運びたいと思う。
そして彼をずっと聴き続けている方たち以外にも、
是非、彼のライブに足を運んでいただけたらと思います。

ライブ会場で逢いましょう!

追伸 古明地洋哉さんもnoteやってますのでぜひに!



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