2021年振り返り #心編

このnoteを10年後に見たら恥ずかしくて仕方がなくなるだろうなと思いながら、10年後の自分へのプレゼントとして2021年の振り返りをしてみる。
心、体、キャリア、人間関係、趣味、自由というテーマで書いてみる。

心編

元日孤独からのスタート

年が始まる不安に押しつぶされた昨年2021年1月1日。やらなければいけないことが多く、それに押しつぶされそうになり心臓の鼓動を感じながら起きた元日の朝。空は嫌味なほど綺麗に晴れていた。初めて一人で東京で年越しをしたことも原因の一つかもしれない。最悪の滑り出しとなり、あとの364日が思いやられたので、唐突に最強のメンタルを手に入れることを決心した。鍛えられた最強の心と体を手に入れたら、これから何が起きても乗り越えられ、平静を保ちながら過ごせるのではないかと。まずは強靭な心を手に入れることにした。どんな環境も状況も認知の仕方を変えることで感じ方・行動の仕方は変えられるはずである。短絡的な発想が私らしい。

すぐにオンラインのカウンセリングを申し込んでその日の午後にはカウンセラーと話した。話はしてみたものの、しっくり来なかった。後日知人の紹介で適切なカウンセラーを見つけ、認知行動療法を用いたカウンセリングを始めた。メソッドが比較的確立されている認知行動療法は私の性格に合い、すんなりカウンセリング内容を受け入れることができた。断続的に1年間カウンセリングを受けてみて認知行動療法と出会えたことは今年最もよかったことの一つであると2022年1月1日を迎えて感じている。ここで詳細は書かないが、ストレス状況に対して自分自身を観察した上で様々なコーピングと言われる対処方法をストックして、マイナスな感情が出てくるたびにそれをコーピングによって打ち落とす術を学ぶことができた。ストレス状況の強度によって様々なコーピング方法を揃えていてそれらを駆使していく。

「どっちみち 百年たてば 誰もいない あたしもあなたも あのひとも」

軽度なストレス状況に陥った時に不安のループに陥ってしまったときには、そのループから自分を引っ張り出す方法が必要である。不安のループの中にいるとき世界は止まって見え、時間が拡張する感覚に陥る。時の流れを再開させる再生ボタンが必要であり、私の場合はある言葉を思い出すと「私の人生なんだし、この瞬間も楽しんでやる」と思い直すことができるようになった。

精神の永続性の不在

この1年自分自身を観察していて気づいたことがあったので、その中の一つを紹介したい。以前書いたnoteに全く同じ文章があるのだが、「精神の永続性」という概念だ。
対象の永続性という概念を聞いたことがあるだろうか。Piaget (1954) は乳児の注意をひいている対象を布で隠すこと(対象の永続性課題)によって乳児の反応を観察し、対象概念の発達が生後2年の間に質的に異なる段階を経ることを見出した。生後8ヶ月を過ぎた乳児は布で対象を隠されても、その布の下に存在し続ける実体として、対象の実在性や永続性の概念を乳児が理解できることを意味する。つまり、自分の目の前からモノがなくなっても、そのモノは見えないだけでこの世界に存在し続けているということを理解する。
これに似た概念として精神の永続性というものを考えてみたい。確立された概念として学術的に定義されているわけではないけれど、使い勝手が良い造語として、人に話すときには多用している。
精神の永続性 - 既存の関係性がある友達、恋人、同僚等と接触しなくても精神的な繋がりを感じることができること、としたい。私の場合は何故かこの精神の永続性、関係性の永続性というものがない。一定期間時間が空いたり、メッセージのやりとりがないと私は精神的な繋がりがないと感じてしまう。これは非常に厄介な特徴であり、強い不安と猜疑心をもたらす。
この精神の永続性の不在に対するコーピング方法も幾つか揃えている。単純ではあるが、過去の経験を意識的に"正しく"線形補間するのは有効な方法だ。大抵の場合、何かしら飛躍した仮定を置いてしまっていることが原因で永続性の不在が起きる。その無駄な仮定を排除してあげてシンプルに線形補間すればいい。

2022年はご機嫌でいたい。毎日とは言わずとも大むね晴れであればいい。

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