2021年振り返り #人間関係編

人間関係編

溺れそうな人を助けに跳びこんではいけない

人を助けることの難しさを思い知った一年だった。助けようとすればするほど、自分も渦に飲まれて落ちていく。無力感に襲われる。

プールで溺れそうな人がバタバタと手足を振り、苦しそうに沈んで行っている様子を見た時に何ができるだろう?きっと多くの人は飛び込んで助けに行くだろう。私も飛び込んで引っ張り上げようとしたが一緒に溺れかけた。溺れそうな人を助けに跳びこんではいけないというルールがあるらしい。溺れている人が溺れ切って沈み始めてから助けに行くのが正解だという。助けに行けるだけの体力や浮き輪があるかどうかまずは確認しないで飛び込むと二人で溺れてしまう。

飛び込んで助けに行く勇敢な姿はかっこいい。しかし、その勇気と行動は結局自己満足に終わる。

ここで一つ問いを立てたい。私の行動は愛故の行動なのか?何を急にと思われたかもしれない。フロムは「愛とは与えること」と主張している。しかし、与えるということは、受動的な感情が起点ではなく、能動的に自ら踏み込むこと。見返りを求めるような「ギブアンドテイク」でも、美徳にくるまれた苦痛を伴う「自己犠牲」でもない。私の行動は愛故の行動ではなかったかもしれないと振り返る。あまりに中途半端なものだった。誰かを助けたいという気持ちは美しくも感じるが、中途半端な愛故の行動は浅はかで毒にもなる。2021年はそれを強く感じる年だった。

空の青さを感じられるように生きなさい

誰かの言葉や行動で救われることも多い年だった。今まで肩に力が入り、舐められないように神経を張り詰めながら生きてきた気がする。タイトルの言葉は、精神的に無敵なのではないかと私が勝手に思いこんでいた人に言われた言葉だ。そんな人がこの言葉を大切にしていることが興味深かった。こんな言葉言えるんだ、と。この言葉をかけてくれたとき、その人の今までの人生を垣間見た気がした。不安や悩みに最もうまく対処できる人が、不安や悩みを最も理解している人ではないと思う。しかし、理解した上でかけてくれた言葉には重みがあった。即効性のある対処方法を言えたはずの場面でかけてくれた意外な言葉には重みがあった。

見上げると、いつもより青く澄んでいる空が広がっているように感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?