not pale a bow
最初に作者より
どうもこんにちは
pnohito(ぴーのひと)です。
本作は小説を書き始めてから、二作目に書いたものです。
もう三、四年前くらいになるのかな……?
あなたが昔読んだこともあるかもしれない『あの』怪談の現代版アレンジです。
まだ小説執筆に慣れていないころで(今も慣れたとはとても言えませんが^^)
最初は、完成したら某投稿サイトにアップする予定でした。
でも書き上げてから、ストーリーのあまりの平坦さに嫌気がさし、アップするのを止めました。
そのままHDDの中で封印していてもよかったのですが、供養のために今回、noteに上げてみました。
そんな出来損ない、投稿してくんじゃねぇ! なんて声も聞こえてきそうですが、そこはご勘弁を^^
万が一、僕が作家になれたら、「あの有名作家の幻の作品!」なんて取り上げられることを期待しつつ……。
では以下、本編です↓
not pale a bow
覗きこんでいたのは中年の車掌だった。
「お客さん、鮎妻駅は次ですよ」
四十代中頃といったところだろうか、角ばった顔をした男だった。逆光の中で、その四角い輪郭がくっきりとした長方形を形作っていた。
その後ろに見えるのは、上からダラリと垂れ下がる吊革、銀色の手すり、規則正しく並んでいる座席。どこからどう見ても自分がいつも通学に使っている電車の風景だ。なぜ自分はこんな所にいる? さっきまでの自分の行動を何とかして思い出そうとする。
慎吾はそこで始めて自分が電車の中で眠りこけてしまい、今しがたこの四角形男に起こされたのだということを悟った。
「どうも……」
霞がかった頭のままで何とか返事をする。
それを見て安心したのか、角顔の車掌は軽く会釈すると隣の車両に消えていった。
慎吾はペットボトルを出そうと、スポーツバッグの中に手を突っ込んだ。ここで自分の口元からヨダレが垂れており、それがブレザーの裾にシミを作っているのを見つけた。
ヨダレを垂らした間抜けな顔をさっきの車掌に見られたという事実に、顔が赤くなるのを感じた。
慎吾は気を取り直して、車両を見渡した。しかし自分以外の乗客は誰もいない。
窓の外は真っ暗だ。ガタンゴトンというリズミカルな振動に合わせて、照明灯が勢いよく過ぎ去ってゆく。立て続けに二つ、三つ。そこへカンカンという警報機の音が、ドップラー効果とともに遠ざかっていった。
ブレザーからスマートフォンを取り出して、時刻を確認する。現在二十時二十九分。
「大分遅くなっちまったな……」
そう一人ごちた後、バッグの中からペットボトルを取り出した瞬間――
「っ痛……」
慎吾の右腕の付け根に鈍痛が走った。今日は少し筋トレをやり過ぎたかもしれない。明日は筋肉痛だな、そんな事を考えていると、
『次は鮎妻ー鮎妻駅です』
渇いた声でアナウンスが響き渡る。慎吾の降りる駅だ、窓から外に目をやると左手にイオンモールの看板が目に入ってくる。
ボックスシートに一人で腰掛け、スマートフォンをいじっていた慎吾はふと顔を上げ、周囲を見渡した。
電車の中には、自分以外誰の姿もない。
青色のモケットの座席。天井のつり広告。頭の上の網棚。いつもと同じ電車内の風景だ。ただ、誰もいないことを除いて。
座席から首を伸ばす。連結部のドアから隣の車両の様子が見える。しかし、ここから見る限りでは、向こうにも乗客がいる様子はない。
反対側の隣の車両も同じだった、人の気配どころか虫一匹いる様子はない。
ここで慎吾は自らの背中に冷たいものが走るのを感じた。
まさかこの六両編成の電車に乗っているのは自分ひとりではないのか。そんな疑念がふつふつと湧いてくる。
いや、そんなまさか。
頭に湧いたそんな疑念を、慎吾はフンと鼻で笑った。
『鮎妻ー鮎妻駅でございます。お降りのお客様はお忘れ物のないようにお気をつけくださいませ』
ホームに降り立つと、首筋に生ぬるい空気がまとわりついてきた。暦の上ではもう九月だ。しかし、まだどこかに夏の余韻が残っているのかもしれない。
背中の後ろを、さっきまで乗っていた電車が通過してゆく、慎吾は振り返る気になれなかった。ゴクンと唾を飲み込んで、蛇のような車体が闇夜の中に飲み込まれてゆくのを、横目で見守った。頬を一筋の汗がタラリと伝ってゆく、これは多分暑いせいだ、絶対そうだ。無理にでもそう思い込もうとした。
掲示板のポスターの中では、某アイドルグループ48のメンバーが鮎のざる盛りやら松茸やらを手に満面の笑みを浮かべている。その上には『ようこそ鮎妻市へ!!』のロゴが踊っていた。もし真昼間に見たならば、ほほえましい気持ちになったのだろうが、今の慎吾にはそのポスターが何かおどろおどろしい物にしか見えなかった。
市の周りを山と川で囲まれた、よく言えばのどかな、悪く言えば田舎町の鮎妻市にとって、農林水産業は中心的産業である。地名からも分かるように、鮎は鮎妻市の夏の名産品だ。昔、命を助けられた鮎がその恩を返しに男の所に嫁入りに来た、という伝承が鮎妻市の名前の由来だ。もう一つ由来があるそうなのだが、慎吾はそっちの方は知らなかった。
慎吾は財布を取り出し、駅の改札口にかざした。ピッという電子音が廃墟のように静まりかえった駅に響く、まるで海の底に沈んだかのようなホームで、その音はびっくりする程大きく聞えた。
待合室を抜けて、駅の外に出る。
駅の前はロータリーになっていて、丁度アルファベッドのUのように見える。
慎吾は駅舎の時計を見上げた。二十時四十五分。
この時間帯なら、客待ちのタクシーが何台かいてもおかしくはないのだが、今夜はなぜか一台も停まってはいなかった。
胸がざわつくのを押さえ、慎吾が家路につこうとしたその時、あるものが慎吾の視界に入ってきた。
赤い提灯だった。
寂れた商店街の入り口、『鮎妻駅前商店街』と書かれた看板の下に萎びた屋台が一軒出ている。今の時代に珍しい、リヤカーで引っ張るタイプのものだ。屋根の煙突から、火山のように煙を噴出している。真っ赤なノレンには行書体でラーメンと書いてある。
慎吾は一瞬ゴクリと生唾を飲み込んだが、今月の小遣いがもうピンチな事に思考を至らせ、ついと思いとどまった。
家路を急ごうとしたその時、鼻腔を鶏ガラダシの甘い匂いがくすぐった。早く帰ろうとしたその時、待ってよと言わんばかりに腹の虫がきゅうと鳴いた。
「くそう……今月ヤバイのに」
そうボヤキながらも慎吾は屋台の方に、歩き始めるのだった。
時代遅れな外見とは裏腹に、小奇麗な屋台だった。
木製のカウンターの前には、丸いすが五つ並べられており、カウンター向こうの麺製機の中では、煮え立つ湯の中に銀色のテボが六つ、挿し込まれていた。
その奥では、店の主人が亀のように丸い背をこちらに向けている。彼は小皿を手に、ひとりダシの加減を見ているようだった。
「すんません、チャーシューメン並ひとつ」
イスに腰を降ろし、慎吾は主人に告げた。
「はい、チャーシュー並ひとつね」
年季の入った落語家のような声で主人は答えた。
慎吾はバッグからスマートフォンを取り出し、お気に入りのゲームアプリを起動させる。黒い画面を見ながら、自分の胸の奥から何かしら言いようのない疑念が湧きあがってくるのを感じた。
さっきから何か変だ。
ここは自分が十七年間住んできた鮎妻だ。それは間違いない、古びた駅舎、寂れた商店街、ローソン、何もかもが自分の勝手知ったる町だ。
しかし、何だろうこの胸のざわつく感じは。まるで出口のない迷宮に迷い込んだようだ。
いや、そんな筈はない。全部自分の気のせいだ。きつい練習こなして、ちょっと気持ちが落ち込んでいるんだ。そうに違いない。慎吾が無理にでもそう思い込もうとしていたとき、
「お客さん、高校生?」
屋台の主人が声をかけてきた。
「あ、はい。西高です」
スマホの画面から顔を上げ、慎吾は答えた。
「今帰り?」
「はい、部活が長引いちゃって……」
「こんな遅くまで熱心だねぇ」
熱心なのは自分ではなく、顧問なんだけどな、慎吾は一人心うちで毒づいた。
主人は熱湯からテボを引き抜くと、二度三度と湯を切った後、黄色い麺をドンブリに流し込んだ。
「ところでお客さん、鮎妻って何で鮎妻っていうか知ってる?」
「確か助けた鮎が、嫁入りに来たって……」
「それもあるけどね、実はもう一つ由来があるって知ってた?」
主人は愉快そうにケタケタと笑った。
おしゃべりなオヤジだな、慎吾は内心あきれながらも話を促した。
「この町ってね、周り全部山と川に囲まれてるよね? そのせいかどうかは知らないけど、昔から狸やら狐やらがよく出たんだそうだよ。それでね、旅人がよく化かされたんだって。それで化かされないようにね、眉に唾をつける旅人が多かったんだって。よく言うよね、胡散臭い話のことを眉唾物って。その眉唾が訛って鮎妻になったんだって。知ってた?」
慎吾はその話は知らなかった。しかし、眉唾が訛って鮎妻なんて、まるで寒いギャグじゃないか、それこそ眉唾物だ、と慎吾は思った。
「お客さん、冗談だと思ってるでしょう?」
ドンブリに茶色いスープを注ぎながら主人が言った。
「そ、そんな事ないですよ。ぶっちゃけサムいギャグみたいだけど……」
「あ~そっちじゃなくて、もう一個の方、狐や狸が人を化かしてたってやつなんだけど」
そっちの方がはるかに胡散臭い話だ、今時小学生でも信じないだろう、慎吾はフンと鼻を鳴らした。
「いや~実は本当なんですよねー、そういう話あるんですよ。昔に比べて随分減ったんですけどね、化けられる狐や狸って」
そう言って主人はチャーシューを掴むと、麺の上に並べ始めた。
「な……何でそんな事知ってるんですか?」
そう言いながら、慎吾は自分の背中に何か冷たいものが走るのを感じた。まるで背骨に氷の塊を入れられたかのようだ。
慎吾はゴクリと唾を飲み込んだ、頬を一筋の汗がつうと滑り落ちていく。
「いや、だってアタシがその狐だからですよ。へへへ」
主人の口角がゆっくりと、不気味に吊り上った。
「はは……冗談でしょ」
口ではそう言いながらも、慎吾は自分の手が嫌な汗をかいている事に気がついた。唾をゴクリと飲み込む。
「おや、信じてない? 分かりました、ようござんしょ。一つ、その証拠をお見せしましょうかね」
そう言うと主人は腹痛でも起こしたかのように、顔を伏せた。
「ほうら、これで分かります?」
と、慎吾の方を見た主人の顔には……
目も鼻も口もなかった。まるで首から上を卵と入れ替えたかのように、何もないツルツルの表面だけが広がっていた。
人はあまりにも人間に似すぎたロボットに、生理的嫌悪感を抱くという。その現象のことを不気味の谷現象という。
その不気味の谷が現在の慎吾にも起きていた。
目の前のラーメン屋の主人の顔には、文字通り何もなかった。何の突起も隆起もなく、まるで卵のようだ。
しかし『顔に目鼻口がない』ただこれだけの差異が、慎吾の中になんともいえない、おぞましい違和感を植えつけていた。
いったいどれ程の時間、凝視していただろうか。慎吾の中に生まれた小さな違和感が、風船のように段々と肥大化し――そして恐怖となって爆発した。
「う、うわあぁぁぁ――!!」
慎吾はバッグを引っ掴むと、脱兎のごとく逃げ出した。途中、イスに足を取られて転んでしまったが、それどころではない。
走る。ただ逃げるために。後ろを振り返る勇気も余裕もなかった。ゲタゲタと下卑た笑い声が段々と遠ざかっていく。
試合でもこんなに速く走った事はないのではないか。
どれだけ走っただろうか、転々と続く電灯の下、赤いランプが見えた。
確かあそこには交番があった筈だ。慎吾は砂漠でオアシスを見つけたような気持ちになった。
交番の前にたどり着くや否や、慎吾はアルミ戸に飛びつく、しかし開かない。何度かガタガタやってから、ようやく引き戸になっていることに気づいた。
息堰切って飛び込んだ慎吾だが、交番の中にはスチール製のデスクと棚、壁に雨合羽や赤色警棒が吊るしてあるだけで、誰もいなかった。
「だ……誰かいませんか!! 誰か!!」
引きつった声で何とかそれだけを喉から搾り出した。背中はぐっしょりと汗で濡れ、額からは汗が止めどなく流れ出てくる、心臓も爆発せんばかりだ。
ここも誰もいないのか……慎吾は思わず床にへたり込みそうになった。しかしそこに、
「どうしましたか?」
奥から一人の警官が出てきた。年は五十代くらいだろうか、頭には白髪が混じり始めている。しかし、がっしりとした体格の男だった。
「た……助けてください!! 電車降りたら、や……屋台があって、それから目も鼻もなくて……」
「落ち着いて。一回深呼吸して、ゆっくり喋ってください」
警官は慎吾をイスに座らせると、奥から麦茶を一杯持ってきてくれた。茶というのは人の心を落ち着かせる効果でもあるのだろうか、すすっている内に、慎吾は幾分か落ち着きを取り戻してきた。
「それで、何があったんですか?」
警官の問いかけに、慎吾はさっき自分が見てきたことをありのままに話した。まだ動揺しているため、上手く説明できない所もあったが何とか自分の言いたいことは伝えられたと思った。
「うーん、お化けねぇ」
警官はボリボリと頭を掻きながら、信じられないといった様子だ。
「ほ……本当なんです!! ラーメン来るの待ってたら、昔この辺は狐や狸やらが人間を化かしてたって話しだして……」
「いや、あなたが嘘ついてるとは言ってないよ。でもにわかには信じられないなぁ」
「い、いやだって現実に」
「その屋台のおじさんの顔がのっぺらぼうだったって言うんでしょ?」
慎吾はさっき自分がしてきた怪奇な体験を、何とか信じてもらおうと必死だった。自分の貧弱なボキャブラリーをもどかしく思っていると、目の前の警官の口端がにやりと歪むのを見た。
その時、慎吾は自分の心臓が冷たい手で鷲づかみされたかのような感触を得た。知らず知らずの内に、足が出口の方に向いている。
「そうでしょ? お兄さん、こんな風に」
そう哂うと白髪の警官は、両手で自分の顔を覆って、再び見せたその顔には――
またもや何もなかった、目も鼻も口もなく、まるで卵のようにツルツルだった。
慎吾にはもはや悲鳴を上げる気力もなかった。
精神的、肉体的な疲労のためか、慎吾の意識は段々と遠のいていった。薄れてゆく意識の中、慎吾はただ一つだけを思っていた。目の前の悪夢が早く終わってほしい……ただそれだけを――
「ちょっとお兄ちゃん!! 早く起きなよ!! 遅刻しちゃうよ!!」
そんな乱暴な台詞が慎吾を現実に引き戻した。
頬を膨らませて自分の顔を覗き込んでいるのは、誰でもない妹のアカネである。
「え、ここどこ?」
「いつまで寝ぼけてんの? お兄ちゃんの部屋に決まってんでしょ」
壁に貼られたメッシのポスター、マンガばっかりの本棚、スチールのラック、見まごう事なき慎吾自身の部屋である
「俺いつ帰ってきたの?」
「もうアタシ部活あるからもう行くからね!!」
そういい残すと、アカネは部屋の外へ駆けていった。
慎吾は昨晩の自分の行動を反芻する。
「昨日は確か部活終わって、帰る途中で屋台ラーメンに寄ったんだよな、そしたらオヤジがお化けで、交番の警官も……」
そこまで思い出して、慎吾はブルブルと首を振った。まるで背中に取り付いた何かを振り払うかのように。
あれは夢だ、悪い夢に決まってる。その証拠にちゃんと自分の家に帰ってきてるじゃないか、そうだろう。
そう言い聞かせてる。そうしてるラーメン屋の主人も警官も、夢だったと思えてくるから不思議だ。窓からは眩しい朝日が照りつけてくる、朝日には後ろ向きな気分を吹き飛ばす、不思議な力がある。
慎吾はベッドから出ると、洗面所へ向かった。
顔を洗って、歯を磨き終わると、リビングへ行く。
リビングでは母親が一人、朝食の準備をしていた。
イスに座ってテレビを点けると、ニュースキャスターが昨日のJリーグのハイライトシーンを伝えていた。
「慎吾、昨日は遅かったのね、何してたの?」
大根をイチョウ切りにしながら母親は言う。
「あーあんまり覚えてねーんだわ、何かひでー目にあった気がすんだけど」
「何それ覚えてないって、大丈夫?」
「駅降りた後で、商店街あるじゃん? そこの前で屋台があって、ラーメン食おうとして……」
「それで?」
「そしたらさ、屋台のオヤジがお化けだった」
「なにそれ、寝ぼけてたんじゃないの?」
母は堪え切れなくなったのか、口をおさえてプッと噴出した。
「あー夢ユメ全部夢。全く不覚だわ。この年になって寝ぼけてリアルと夢をごっちゃにするなんてな」
「でもね、慎吾……」
「うん?」
「もしそれが夢じゃなかったらどうする?」
と、母は慎吾を見てニヤリと哂った。
慎吾には母のその笑顔が何かとてつもなく邪悪なもののように見えた。同時にどす黒い、霧のようなものが自分の胸の内に広がっていくように思えた。
「え、何それって、どういう事?」
「こういう事」
そう言うと母は、両手で自分の顔を覆った。その一連の動作を慎吾はただ黙って見ていることしかできなかった。
「慎吾、ほら」
そして、顔を上げた母の顔は――。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?