セクシャリティの話

LGBTQの話題を取り上げることに、世間の抵抗が薄くなってきていることを感じてしばらく経つ。

結論から言えば「セクシャリティは人の数だけ存在する」という考え方なので、別にどの人間がどの人間を好きであろうとわたしには特に問題がない。もっと言えば踏み込みたいと思えないが興味はある。

わたし自身は、ノンバイナリーである。

こうして匿名のネットの海にしか流せないので、やむを得ず掃き溜めのようになっているこの場所にこっそりと書き記しておく。

というわけでもない。わたしの強くたくましい友だちたちは、わたしのこの「思想」(あえて思想と呼ぶが)についてかなり理解があるので、告白している人もままいる。

ノンバイナリーがなんたるかはみなさまお得意のインターネッツを駆使して調べてほしいところではあるが、意味を理解できない方々のために「わたしの」セクシャリティについてご説明いたしましょう。

前提として
・自分自身の身体的性別は女
・恋愛対象は男性
である。かつ、

・男として扱ってほしいわけではない
・女として扱ってほしいわけでもない
というのが一番簡潔なわたしの「思想」だ。

そも、ノンバイナリーというのは一般的に
・性表現
・性自認
の2項目に対しての区別なので、「自分がどう見られたいか」と「自分をどう見ているか」と言う話に収束する。

もっと自由に生きたい、というだけの話だと思うのだ。
男女の枠組みにはめられ、役割を演じ、それでも不自由さを感じない人も大勢いるだろう。その方が楽だと、自然だと、昔からそうだったのだからと言う人もいるだろう。

それもまた、「思想」だ。

髪を金や、銀、紫、緑、赤、茶、オレンジ、さまざまな色に染めた。
メンズの服も靴も履く。(これは体格もあるが)
メイクも毎日する。
一人称はあまり定まらない。
結婚したいと思わないし、自分に配偶者と子どもがいる想像もできない。

それらが全て自身のセクシャリティのせいではなく、複合し混ざり合い、わたしの中で積み重なり、後から見つけた名前がこれだったというだけの話だ。

すごくしっくりと自分の中に馴染む感覚があった。ああ、探していた名前はこれだったのかと。

同時に、同じ名前を名乗る人々がいることに大層安心した。世界に一人きりだと思っていたのに、なんだ、まだ他人と理解し合える可能性を秘めてるんじゃないか!と。

人間一人ひとりにそれぞれの光が、幸せが、生きる道があるように、どうかわたしの思想にも。

少しでも理解がありますように。

2022.1.5

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