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なにもない自分

幼い頃からだった。
小学生の頃、自分以外のクラスメイト全員、なんらかの習い事をしていた。それだけでキラキラして見えた。
熱中できることが何もない、何をしても心が震えない。

大学進学後、家族が喜ぶような安定職についた。
そこにやりがいを感じてるわけでもない。ただ“コスパがいい”と思って定時まで働く毎日。
幸いにも、余計なことを考え込んでしまうほど時間は豊富にある。

周りの友人たちが羨ましかった。
好きなことを貫き、DJやバンドをする彼女達。話題豊富でユニークなラジオを自ら収録し、毎回聞かせてくれる彼女。美味しい料理とお酒を提供し、仕事終わりの常連が帰る飲食店をつくっている彼。

好きなことがない訳ではない。
音楽が好きだった。学生時代は吹奏楽やバンドを少し齧った。
しかし卒業後継続するまでに情熱はなかった。

世界観がまるでない、中身を開けても何も出てこない、空っぽである。何をして歳を重ねてきたのだろう。



2019年冬、ある男性と恋人関係になった。
なにもない私にとって、どう考えても魅力的であった。

彼は馴染みのない土地に突然引っ越し、コミュニティを築いていた。アートを好んでいた。知識欲に富み、小難しい本を読んだり、時より書く文章にはその知的さが溢れていた。

本屋に行き、画集を手に取っては作者の生い立ちや歴史的な背景を語ってくれた。
多方面の知識を私に教えてくれ、それを聞く度にわくわくした。惹かれていった。

なぜ“普通の私”を好いてくれたかはわからない。趣味も嗜好も一致する部分はほぼないのだが、「なぜか相性がいいね」とふたりで言い合った。

よくこんなことを言われた。
「なにか創造してほしいな」
「好きなことを教えて」
空っぽの人間だと思われたくなくて、なにもないなりに好きなアイドルや音楽、食など「人並みよりも少し好きであるレベル」の話をしていた。

また劣等感が走る。
なにもない自分が情けない。
このままで良い筈がなかった。




心が震える何かをさがすため、
思考の整理をするため、
ひとまずnoteを始める。

見ての通り表現することは得意ではないのだが、少しずつ心が整理されていることに気付く。

何かを始めることが苦手な私にとって、些細と思われるこの行為も大きな第一歩である。
まだなにもない自分は続いているが、空っぽな自分を少しずつ埋めるきっかけにしていく。

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