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うつ病について(6)

心の病気になると色々と調べる機会が増える。最初はそんな気力はないのだけれど、世間には心理学に関する本がたくさんあるし、病気にかかわらず「コミュニケーション」「仕事」「スピリチュアル」「自己啓発」「占い」「などなどあらゆる分野で心理学を使ったネタが溢れてる。何気に日々そうした情報にさらされているんだなぁと思ったりする。

きっと心の病が気になると、みんな心理学の入門書的なものとか色々と手にとったり、ウィキペディアの「防衛機制」を見たりもするんだろうと思う。私も未だにチラチラと見ている。すでに書いた記憶の話も興味深かったけれど、防衛機制で触れられた「分裂」もとても興味深かった。

分裂(心理学)
心理学において分裂(ぶんれつ、英: Splitting)とは、人間の思考において、自己と他者の肯定的特質と否定的特質の両方をあわせ、現実的に、全体として捉えることの失敗である。

分裂 (心理学) - ウィキペディア

この冒頭の一文で印象深いのは「全体として捉えることの失敗」という部分だった。ごくシンプルに言い換えれば、「なんだって、良いことだって悪いことだってある」という理解だろうと思う。現実的に社会生活の中で「そういうこともあるよな...」と納得すること、理解することができないことを、ここでは「失敗」と言っているんだと思う。自分の経験、見ている現実世界に起こる良いこと、悪いことを「一つのもの」として捉えることに「失敗」している。

自分に都合の良い解釈(肯定的特質)を他人や環境に当てはめて、自分の都合に悪い反応(否定的特質)があると、事前に持っていた「都合の良い解釈」と、眼の前で現実で起こった「都合の悪い解釈」の間で強烈な摩擦が生まる。
・・・そんな解釈だろうか。「自分の中だけで起きている期待」と「眼の前に起きている現実」の相反に折り合いをつけることができない。うつ病になりと、この摩擦は簡単には気が付かないがかなり強烈になる。

この話を理解するにあたって、「理想化と脱価値化」もとっても役に立った。

理想化と脱価値化
理想化(りそうか、idealization)と脱価値化(だつかちか、devaluation, 切り下げ)は、共に精神分析学で用いられる用語である。人は、困難な感情を統合することができない時、その耐え難い状況の認識を克服するためにスプリッティング (分裂)という防衛機制が動員される。スプリッティングは出来事や人物を、完全な善か悪かのいずれかとして捉えるものである[1]

理想化と脱価値化 - ウィキペディア

この「理想化と脱価値化」の説明を読んで、私自身の感情の起伏が説明がしやすくなったのを覚えている。

「分裂(スプリッティング)」させた片方を理想化、片方を脱価値化というのだろうか。白黒はっきり付けたがったり、一事が万事になったりするのも、こうした特性に振り回された結果だろう。うつ病を患いやすい人や、うつ病となってからしばらくたった人はこうした傾向が強いと思う。(よく、うつ病になった人の性格を「真面目な人」と表現することがあるが、これは「白黒はっきり付けようとする」という部分が「物事をいい加減なままにしない」という他人からの評価につながっていただけなんだろうと思う。)

気分の浮き沈みの影響で、あらゆる事に希望を見出し、小さな事を理想化したりするが、同時に期待通りに進まなかったりすると、全ての責任が自分にあるかのように捉える。出来事や他人に対して、冷静な見積もり、客観的な評価ができなくなる。
特にうつ病の初期には「全てが自分にとって最悪」に感じる。太陽の光、人の話し声、さらにその「全て」には「自分」も含まれる。最悪な状態は実に耐え難いから、どこかでそこから逃げたり(依存・逃避)、「全て」を消滅させる(希死念慮)ためにはどうするのか・・・ということが支配的になる。

分裂、理想化と脱価値化、こういう言葉に関心を持ちつつ、カウンセリングや認知行動療法を受けていると、自分が何を感じているのかを説明しやすくなる。もちろん、説明しやすくなるのは、自分にとって都合の悪いことだったり、何十年も見て見ぬふりをしていた言葉にならなかった嫌な記憶、嫌な自分の考え方であったりする。

うつ病をはじめとする心の病において、こうした「何を見て何を感じているのか」という記憶と認知のプロセスは本質的には避けて通れないことだと思う。生まれてから何を見て、どのように判断し、なにを覚えているのか。実際には、そんな事を考えず日々に追われているうちに、死を迎えられるのが一番だろうとおもう。自分の心を深く知ろうなどと思わず迷いがあれば、そこら辺ににある仏教の格言やアドラー心理学的な話を心の拠り所にして毎日を過ごすことに専念できたらそれが一番だ。こうした役割を担ってきたのが宗教や地域社会の人との繋がりかもしれない。

なににしろ、「信じられるなにか」や「自分を受け止めてくれるなにか」が無かったり育たなかったりすると、こうした病にかかりやすくなる。

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