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大森靖子の書く歌詞にしか住めない感情があるという話


大森靖子さんが今日、セルフカバーアルバム"PERSONA #1"をリリースしたので、タイミング的に良いなぁと思って今日は大森靖子さんへの感謝のnoteです。


私は大森靖子の書く、曲と歌詞が大好きだ。
私の中で「あぁ自分のことを歌ってるかも」と思える作詞をしていらっしゃるのが、つんく♂と大森靖子なのだ。あえて敬称は省く。私の中で松尾芭蕉的な、偉人をフルネームで呼ぶ感覚に近いので。

中学生の頃、同世代の友達がJulietとかSCANDALで涙を流したり。
高校生の頃、同世代の友達がEXILE系列の皆さんの曲や、ジャパレゲやヒップホップで歌われる愛だの恋だのを自分の経験に当てはめて感傷に浸る頃。

私はなーんにも共感できる曲がなかった。

みんなは、自分の感情に合った曲を見つけて、その曲に自分の思い出と共に感情を入居させる。
私はいつまでも感情のホームレスだった。

だってそんな日向に存在するカースト高い曲に共感できるような、なんでもない一日に存在する愛に気づけるようなセンスを私はまだ持ってなくて。地元の仲良しグループで付き合って別れてを繰り返すおままごとみたいな人間関係の中で生きられなかった。
(大森靖子が日常の中にある愛に気付けてないとかっていう話じゃないです)

正確にいうと高3ぐらいで℃-uteに出会い、そこからつんく♂の歌詞に自分が他人に感じた恋心とか状況とか事実とかを初めて重ねられたのだが。

それと同じくらいに出会った大森靖子の曲が、めちゃくちゃ私の精神状況を歌っていた。

初めて聞いたのは"絶対彼女"だった。サビで繰り返される「絶対女の子がいいな」という言葉が、男としても女としても生きられない文字通り真ん中の人生で浮遊するしかなかった私に、なんか響いた。
たぶん来世生まれてくる時は絶対女の子がいいなって思えた。痛くて苦しくてしんどいことしかなくても、自分の生まれながらの性別が女性であることに胸を張って生きていけそうだったから。だって女の子って生きてるだけでかわいいし。産まれてすぐのおくるみの柄から既にかわいいが許されるし。

そしてとどめに「君もかわいく生きててね」と言われた。呪いみたいに重く聞こえた。そしてすごく力をもらえた。私はその日から、最大限かわいく生きてやろうと思った。

そのとき初めて、自分の感情や思い出を入居させられる住まいを見つけられた気がしたのだ。
大森靖子からしたらこんな私を救うつもりなどサラサラないだろうけど、私にとって彼女はセーフティーネットになった。

そこから今まで、片手で数えるほどの恋をして苦しくなったとき。社会に出て1年足らずでそこそこの責任にもがいてたとき。両手や足の指の数どころか身体中の毛根の数を数えても足りないくらい生きてるのをやめたくなったとき。

大好きなアイドルや、大好きな作品、大好きな友達でさえ届き切らなかった私の奥底の凝り固まった自己否定の足をちょっと浮かせてくれた。
今のままの私で、とりあえず戦ってきたことは間違ってなかったかもしれないと、そう思わせてくれたのは"死神"だった。

「人は死へと溢れる」

そうだ、人は死ぬのだ。自分だって死ぬ。
だからそれまで、人生やり尽くしたかってくらい煌々と西陽が責めてきても。私が戦う場所がある。命が蠢く場所で、私は今日もかわいく生きる。かわいく戦う。ある意味プリキュアである。(HUGっと!プリキュアでみんなプリキュアって言ってたし)

大森靖子が書いたたくさんの歌詞が私の1時間後を作っている。明日まで、とかそんな長いスパンじゃ私の生きやすさは担保されないから。1時間後の私を、音楽で担保してくれてる。


大森靖子さん、ありがとうございます。
おかげでホームレスだった私の感情は、あなたのセーフティーネットに引っかかって助けられて無事に住まいを見つけられました。
今日もなんとか。

※写真は前にやってた大森靖子×タワレコカフェの"きゅるきゅる"シェイクです。きゅるきゅる味でした。

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