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どうして社会的な上下関係は精神を汚染するのでしょうか?

パワハラ、セクハラ、モラハラなど世の中には様々なハラスメントが存在します。会社の上司などからの威圧的な態度、社会的な地位を利用しての拒否できない仕事の強制など、いわゆるパワハラに注目したいと思います。

人はなぜ他人の言うことを聞くのでしょうか?そもそも冷静に考えれば他人の言う通りにしなくていい筈です。命令なんか無視してもいい筈です。しかし、社会的な生活を営む人々にとって上司の命令は絶対となります。言う通りにするのが当たり前、意見など以ての外、反対の意思を示せば激しい恫喝が飛んできます。

パワハラが日常的な会社にとって、そこに勤める従業員は遅かれ早かれ精神を汚染されます。自己の過小評価、自己顕示欲の低下、自己尊重性の喪失、そして自殺願望、、、なぜ、精神を汚染されてしまうのでしょうか?

それは、社会生活で自分の時間を提供し、その代わりに金銭を受け取るという形で生活しているからだと思います。日本の社会にとって(完全に自給自足できている人々や、不労所得を確立してる人々などを除き)、社会から金銭を受け取るには基本的に自身の時間をトレードするしかありません。そして、物を手に入れるには金銭とトレードするしかありません。

人間は不完全な生き物です。他者の命を喰らうことでしか生きられません。動物や野菜、魚などを調理し体内に取り入れ消化しエネルギーに変換する方法しか長く命を保てません。命を保つために金銭が必要、金銭は社会で時間を費やし手に入れるしかない。つまり、死なない為にパワハラを受け入れるほかはないのです。しかし、パワハラを受け入れ続ければ、その環境を打破できない限り、やがて精神は汚染され自己喪失してしまうでしょう。

さて、仮にパワハラ環境から脱出できたとしましょう。その瞬間から元上司は赤の他人となります。一切関係ありません。それは、社会的な上下関係はあっても、ひとりの人間の枠組みとしての肉体的・精神的な差異はほとんど無いことの証明になるのではないでしょうか?

肉体的な話をすれば、どのような社会的地位の高い人であっても、道でコケれば膝を擦りむきます。冬に裸で外にいれば風邪をひきます。車で事故れば骨折します。不摂生を繰り返せば病気に罹ります。これには社会的な立ち位置は関係ありません。万人に対して起こりうることです。
精神的な話をすれば、偶然元上司に出会ったとしましょう。言うことを聞くのでょうか?有り得ません。その必要もありません。久しぶりと肩パンするのも良いでしょう。そもそも眼中に無い筈です。あえて汚い言い方をすれば、元上司は糞尿の詰まった袋でしかありません。

そして、それは私自身も糞尿の詰まった袋でしかないという事と同じなのでしょう。一人の人間として肉体的・精神的な差異はほとんど無いのです、あるのは社会性を営む為への強烈な思い込みがあるだけです。この考え方はある程度役に立つかもしれません。パワハラの渦中にあって、上司を万人と同じくケガはするし病気には罹るし、所詮は糞尿の詰まった袋などと捉えることは、気持ちの圧迫感を多少軽くするでしょう。相手の言葉を軽く受け入れることができます。気持ちに余裕ができれば視野が広くなります。それまで見えなかった事が発見できて、転職やこれまでと違った生き方を思いつくかもしれません。

精神汚染を防ぐ為には、万人の肉体的・精神的な差異はほとんど無いことを知り、自分自身に社会性を営む為への強烈な思い込みあることに気付くほかないのかなと思います。

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