怪異古生物考
古くからその地域ごとに伝わる"ユニコーン"や"龍"といったいわゆる幻獣について、古生物学の観点から切り込んでいる本。様々な伝承を集めてより詳細な姿を描写するというよりは、実際に昔の人々が何を見て何の根拠をもってその伝承が生まれたのかを考察している点が興味深かったため手に取った。
サイクロプス(キュクロプス)のように、現在では一定の仮説が支持を得ているものも古生物に立ち返って考えており、新しい視点から幻獣を見られるのが面白い。個人の考えとしては、元となる生物がありそれについての事前知識を持たない昔の人が自分の知っている動物に当てはめながら多少の見間違いや誇張も含め伝承として残った、としている。しかしここでは、古生物学的な観点から実際の特徴により近いのは何か、この化石を掘り当て上下や組み合わせを間違えたのではないか、といった"見間違い"や"誇張"で済まさない詳細な考察をしており語り継がれたお話と現実世界の重なりを感じた。特に龍の項では、まさか海中生物に及ぶとは思っていなかったためなるほどそんな考え方もあるのかと驚いた。グリフォンについても、明らかに存在する個体では無かろうに化石やその時代に生きていたであろう生物の特徴を組み合わせ、だからこの姿が導き出されたのだろうと結論づけている様子に今まであまり興味の無かった古生物学も少しは勉強しようかと思ったほどだった。
また、少し話は逸れるが鬼についての考察はとても興味深かった。角が生えている生物というのは一般的に草食動物ばかりで、肉食動物に生えている例を考えてみても戦闘に使っているものはあまり見られないという話についてだ。ドラゴンや鬼、悪魔といった空想上の生物の中でも悪寄りに連想され、且つ恐ろしいとされている生物には角が生えていることが多い。しかもそれは攻撃的な性格を持ち、あくまでも恐ろしいものの連想として生やされている。そう考えてみると、草食動物のような食物連鎖の中でも下層部にいることの多い生物に角が生えているのは納得出来る。なぜなら人間が空想した生物の中でも恐ろしいという印象を表す象徴として角が生やされるのであるならば、恐らく身を守ったり体を大きく見せたりするために発達した角はその成果を遺憾無く発揮していることになるからだ。その点で身を守るため、とは言い難い鬼などの生物に角を生やすのは少し非合理的ではあるが、獲得した潜在意識としては仕方ないのであろう。ただしこれは人間が想像して作り上げたと仮定した私の持論であって、この本における最適解ではない。ここでは空想上の生物が実在したと仮定して考えなければいけないのだ。
それでもやはり、古生物による考察は限界がある。なぜなら伝承のほとんどは私たちが対話することのできないほど昔に生きていた人々の話であるし、その時代に生きていた生物、ましてや化石となっているような生物について詳細な姿かたちはその時代の人々の記録頼りであるからである。解体新書をチラと読めば分かるように、たとえどんなに発達した見聞を持ってしても現代の描写技術や知識には敵わない。その点で、昔の人々が残した伝承やスケッチは本当に正しいのだろうか、と疑問に思ってしまう。ここでも触れられているように、伝承は人から人へ伝わっていく間に大小の尾鰭が付け加えられ、また小さな誤植や伝え間違いによって一定の姿かたちを想像することはかなり難しい。さらにいくら発達した技術をもってしても、やはり化石は化石であるので本当の姿は私たちが今想像するものとは違うかもしれない。そういった点から、ここでは色々に考察こそすれど結局一つの明確な結論を出すには至らないのである。私はそれが少し残念であった。明らかな答えこそ無けれど、著者の持論としての結論を読むことができるかなと期待していたからだ。でも考察の余地を残したものこそ古生物学の醍醐味なのかもしれない、と納得した。
難しいなあ、古生物。それでもこの本を読んで、なるほどそういう視点もあるのかと新しい知見を得たのでまた博物館に行ってみようと思った。眺めてみても「凄いのだろうな」といった薄っぺらい感想しか湧き出なかった化石が、また違った見え方をするかもしれないから。
怪異古生物考を読んで、終。
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