メンバーの個人活動紹介 Vol.2

ソーシャルPM研究会の 竹田 憲一(たけだ けんいち)です。

この記事では、昭和・平成の時代を企業人として駆け抜けた私がどのようなきっかけでソーシャル活動を始めるに至ったかの経緯と、活動内容について紹介していきます。

こんなおじさんがどのようにして最初の一歩を踏み出したのか、そして活動の幅を広げていったかを読んでいただくことで、ソーシャル活動に参加するハードルが決して高くないことを実感していただければ幸いです。

「50の手習いからのソーシャル活動」と題して、大きく4つのパートに分けて紹介させていただきます。


ターニングポイント その1:社内異動から卒業?まで

IT系の会社に勤め、50歳を迎えようとした時に、本社スタッフへの異動を言い渡されました。
お客様システムの開発を現場でやったことしかない私には、晴天の霹靂(へきれき)でした。
新入社員時代を除けば、健康診断の時しか行ったことのない本社へ通うこととなって一番驚いたことは、同じ会社とは思えない職場風土の違い。

どちらが良いとは言えませんが、「井の中の蛙」のままではいけないと気づいた瞬間でした。
それからは、人見知りのままではいけないとおもい、初見の人ともお話をするように努めました。

本社で1年を過ごし、システム開発部門へ舞い戻った時に、その部署に所属していた女性がファイナンシャル・プランナー(FP)の資格を取ったというのを聞きつけ、話を聞いてみることに。
面白そうだったので、私もチャレンジし、最初は3級、その後に2級も取得しました。

そして、50の手習いを始めることを決心します。
高専(工業高等専門学校)を卒業、ハードウエアのエンジニアとして就職、途中からSEに転属してからはシステム開発一筋だった私が、なんと文系の大学(通信制)に入学するという暴挙に出たのです。

もともと著作権について知りたいと思っていたこと、FPの内容に相続や税金の話があり興味を覚えたことから、法学部を選びました。3年生へ編入できたので、最短2年での卒業が可能ですが、余裕をみて3年計画で卒業を目指すこととしました。

入学してから2年間で卒論と6単位を残すのみとなったのですが、そこからの1年間は仕事が忙しくなりほとんど手がつけられず、結果として卒業までに5年も掛かってしまいました。著作権についての講義はなかったのですが、独学で卒論を書き上げました。

ターニングポイント その2:ボランティアへの初参加、興味の方向性が見えきた

大学が終わり、他に何をしようかと周りを見回すと、社内にボランティアグループがあることを発見。クラシックのチャリティティコンサートに招待された視覚障がい者の方々を支援する初めてのソーシャル活動となりました。

視覚障害の種類は多様で本人が出来る範囲も様々、必要としていることが何なのかよく解からず戸惑っていたのですが、「本人に訊ねればよい」と分かり気持ちの負担が軽くなりました。このことが、その後の様々な活動を始める「ハードル」を下げることにつながったと思っています。

また、NPOのボランティアに興味を持ち、コミュニティカレッジ(市民大学)で無料の講座を提供しているNPO団体に参加しました。なぜ無料で講座の提供ができるのかに興味があり、その謎を探るのも動機の一つでした。
20~30代のメンバーばかりでしたがその中に私と同年代の人が居るのを見て、私も参加して良いのだと安心して飛び込みました。結果は快く受け入れてくれ、未だに私にとっての大切なサードプレースとなっています。
ここでは今までに、15講座(授業)の企画と運営を手掛けました。

更に、この場所で視覚障がい者向けの「映画の音声解説」に出会い、ますます視覚障がい者との接点が増えていきました。
その流れの中で、元々サッカーをやっていたこともあり、ブラインドサッカー協会のボランティアに登録し試合会場の設営等の手伝いを始めました。
また、去年からは横浜のブラインドサッカーチーム(buen cambio yokohama)のサポーターとして、練習や試合のサポートも始めています。

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ここまでは、井の中の蛙(専門ばか)からの脱却を目指したこと、そしてボランティア活動を始めたことを紹介しましたが、後段では定年という節目を迎え状況の変化に伴う活動の変遷について書きたいと思います。

ターニングポイント その3:定年を迎え雇用継続をするも外の世界に目が向いた

定年を迎え、雇用継続を選択したものの今までのように仕事に張り合いもなくなってきた時に、折りに触れ様々なNPOの活動を見てきた中で、うまく活動を継続できずに苦労されている団体が散見されることに気づきました。

これらの団体の力になれたらと考え、勉強好きの虫が抑えられずにファウンドレイジングの勉強を始め、ファウンドレイザーの資格も取得しました。
その知識を活用して、4団体のファウンドレイジング(寄付制度、助成金申請、組織強化等)のお手伝いをしてきました。今も継続しています。

また、自身の健康維持のためにしていたウォーキングに飽きたらず、憧れの皇居ランナーを目指しランニングを始めたり、子供からシニアまで一緒にできるユニバーサル・スポーツにも参加し始めましたのがこの頃です。
将来的には、みんなが継続的に一緒に楽しめる機会(場所)を作れたらと思っています。

ターニングポイント その4:ソーシャルPM研究会(SPM研)への参加とその後

仕事の関係でPMPを取得(2009年)したことからPMI日本支部には入会していたのですが、どの研究会にも所属していませんでした。
2018年にソーシャル・プロジェクトマネジメント研究会(SPM研)が実施したセミナーに参加したことをきっかけにSPM研に入会しました。

翌年からは、SPM研のメンバーを中心に発足したSDGsスタートアップ研究分科会にも参加し、昨年からは個別企業のSDGs事業のプロジェクトマネジメント部分の支援をしています。

この頃に、会社員生活にピリオドを打ち、現在はフリーランスとして週に3日ほど働き、残りの時間の大半をソーシャル活動に注ぎ込む生活をエンジョイしています。

最近開始した活動について、もう少しご紹介します。
昨年の6月からA-GOALという団体に参加して、アフリカの3カ国(ケニア、ナイジェリア、マラウイ)のCOVID-19の影響で職を失い困窮している人たちへの食料・衛生用品の支援活動を開始しました。
この団体の特徴は、アフリカの地域に密着したスポーツクラブをハブとして、本当に困っている人たちに必要な支援が届けられる仕組みを確立したところです。
ここに魅力を感じ、またスポーツの力でどこまでできるかを確かめたい想いが参加の動機でした。
きっかけとしては、アフリカに興味があったこと(その2で紹介した市民大学で、アフリカの民族布に関する講座を企画しています)、最初にハブとしたスポーツクラブがサッカークラブだったこと(若い時にサッカープレーヤーでした)が重なっていたことは、単なる偶然ではなく私に行動しろと言っているのではないかと感じたからです。

最後に昨年10月から、コード・フォー・ジャパンという団体のSTO(ソーシャル・テクニカル・オフィサー)創出プロジェクトに参加し、活動を開始しました。
NPO団体にITテクノロジー分野の力をプラスすることで、社会課題の解決を促進することを目指すもので、具体的にはITエンジニアとその力を必要としているNPOをマッチングしてNPO活動を活性化する内容となります。
即戦力として稼働できない私でも役立つのではないかと思い、活動しています。

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好奇心と、ちょっとした勇気、謙虚さ、何気ないきっかけを見逃さない、そして物事に費やす時間の優先度付をすることで、複数の活動をすることも可能で、ソーシャル活動に参加するハードルが決して高くないことを理解(体感)していただけたと思います。

ここまで書いてきたことを振り返ると、好奇心の赴くままに興味を持ったものに飛び込んでゆく姿だけが浮かび上がることでしょう。
飛び込んだことにより如何に多くのことを得られたかについては、残念ながら盛り込めていないことに気づきました。
そこは、みなさんに行間から読み取っていただければ幸いです。

ご参考
NPOシブヤ大学:https://www.shibuya-univ.net/
buen cambio yukohama(ブラインドサッカー):http://buencambioyokohama.com/
日本ファウンドレイジング協会:https://jfra.jp/
一般社団法人A-GOAL:https://www.facebook.com/2020AGOAL/
STO創出プロジェクト:https://www.facebook.com/sto.code4japan


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