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「在り方」は創れる

実名では、ほとんど使っていなかったnoteも使ってみようかと思い、久しぶりに開いたら、こちらの『自分の在り方を創ることが、聴くことを学ぶことの本質』記事(著:堀口ひとみさん)が、パッと目に留まりました。

常々、私も「在り方」をどのように育てていくかによって、傾聴の質は大きく変わっていくと感じていました。

以下の文章は、私がおおまかに、ぼんやりと感じていたことを、それ以上に明確に表していらっしゃると感じました。

感謝を込めてご紹介差し上げると伴に、まず特に、下記が目に付きましたので抜粋して引用いたします。
(引用内の太文字は、私がインパクトを付けたいと思って付けた箇所です。)

引用してご紹介の後に、私がインスピレーションを受けて浮かんだことを記します。

なお、以下では「コーチ」となっていますが、「傾聴者」とも読み取れる内容だと思いました。

コーチは無責任であるべき

“自分の師匠がどの生徒に対しても一貫した態度を保ち、生徒が自ら決断することを尊重する姿勢を持っていることに気づきました。"

"即座に答えを与えるのではなく、自分で選択し、その結果に責任を持つ力を育てることが、長期的には真の優しさにつながる

"未知の領域にいる相手には指導が必要かもしれませんが、その指導の心は「できないから教えるのではなく、やればできるから教える」にあります。"

"相手の内面にある無限の可能性を信じること。それが私たちが追求する真の優しさです。この優しさは、瞬間の安慰よりも深く、より持続的な成長と自己実現を促します。"

"傾聴スキルの実践を通じて、私たちはただ他者の話を聞くだけでなく、自らの内面と深く対話する旅に出ることになります。"

"私は、コーチングセッションを重ねる中で、自分の中にあった先入観や思い込みが次々と取り除かれ、自我が徐々に削ぎ落されていく体験をしました。"

"その結果、偏りのない思考を持ち、より楽に生きることができるようになったのです。言い換えれば、傾聴スキルを磨くことは、心の重荷を軽減する旅路であるとも言えます。"

『自分の在り方を創ることが、聴くことを学ぶことの本質』記事
(著:堀口ひとみさん)より抜粋

まず、「"無責任であるべき"」という言葉を見たとき、少し衝撃を感じつつも、あぁ…私自身が傾聴者として、どこか「呪縛」にかかっていたのかもしれないと感じました。

もちろん、これはいい加減で良いという意味ではなく、深い傾聴になっていくほどにクライエントさんの人生に影響を与える…

このことを、いつしか私は、もしかしたらどこか両肩に抱えるかのような意識まで、おこがましくも勝手に感じてしまっていたのかもしれません。

たしかに影響は与えるでしょうが「課題の分離」を思いつつも、その境界線がまだ分かっていないような気もします。

そのようなことも、どこかモヤのように横たわっていた中で

"自分で選択し、その結果に責任を持つ力を育てることが、長期的には真の優しさにつながる"

…ということは、すくいのようにすら感じられました。

なぜなら、このことも片隅で、いや根底で感じつつも、どこか揺れていたからかもしれません。その狭間で息苦しくなっていたとも思えます。

"できないから教えるのではなく、やればできるから教える "

傾聴クライエントさん以外との場では、先生ではない私でも、最近は生意気にもスーパーバイズ的なことやティーチングをすることがあります。

必要に応じてでもあり、それ自体が間違っているとも思っていませんが、いくらなんでも(不可逆的な要因などによって)「できない」と思っている相手にまで、そうしようとするような徒労をしようとは思っていません。

信じる・信じられる気持ちがなければ、その意思と何かしらの根拠(客観性)がなければ、私は無闇に手を出したくない、ときに怖いとすら感じるものでもあるからです。

"相手の内面にある無限の可能性を信じること。それが私たちが追求する真の優しさです。この優しさは、瞬間の安慰よりも深く、より持続的な成長と自己実現を促します。"

この「瞬間の安慰よりも深く」というのは、とてもとても大事なことだと思います。

拭けば飛ぶような砂の城はかえって逆効果でしょうし、拭けば飛ぶほど軽くなかったとしても、依存、または共依存を生み出すようなものは、それもまた逆効果だからです。
場合によっては、終わりの始まりまで招いてしまうことすらある代物です。

"傾聴スキルの実践を通じて、私たちはただ他者の話を聞くだけでなく、自らの内面と深く対話する旅に出ることになります。"

"私は、コーチングセッションを重ねる中で、自分の中にあった先入観や思い込みが次々と取り除かれ、自我が徐々に削ぎ落されていく体験をしました。"

"その結果、偏りのない思考を持ち、より楽に生きることができるようになったのです。言い換えれば、傾聴スキルを磨くことは、心の重荷を軽減する旅路であるとも言えます。"

心の旅路、この視点は本当に大事です。
一人一人が、チガウ旅路です。

そうだとしても、普遍的なことというものはありますね。
上記の引用内容も、そのことを表していると思いました。

削ぎ落とされていく体験…

ほんわか倶楽部のメンバーさん同士で傾聴セッションの練習中に、ご自身が感じていることを「彫刻のような」と例えていた方がいらっしゃったことも思い出されます。

自分自身の内観での姿が、徐々に明らかになっていくような…
そう感じている様を、探るような手つきや表情で、削ぎ落とされながら視えてくるような…

私たちは、きっと誰もが心のクセを持っています。
持っていない方などいるのでしょうか?

本当の悟りを得られた釈尊のような方だと違っていたのか、私には分かりませんが、自分自身は、心のクセだらけだなと実感します。
いえ、実感できていないものだって、きっと沢山あるのでしょう。

ですが、傾聴や心理カウンセリングの学びや実践、検証、自問自答などを積み重ねていくと、いつしか、さっぱりしている自分を感じるようにもなっています。

私は「削ぎ落とす」という考えはしていませんでしたが、「断捨離する」という考えでした。似たようなものかもしれませんね。

傾聴力を上げていくことは、表面的な目的は「他者のため」とおっしゃる方も多いですし、とても大事なことで、私も本気で考えて取り組んでいる一人だと言えます。

それでも、やっぱり「情けは人の為ならず」とも言われるように、私自身は、自分自身の心の声が聴き続けられるように、もっと…

一番の理由、モチベーションなんて思わなくても続けられている理由は、ここにあるのだと思います。

ですので、お一人お一人が「自分ごと」として取り組み続けたくなる、そこにチームとしての共有ゾーンとなる価値があるのだと言えます。






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