50代のfind me

昨年はcall me by your name から始まり、おっさんずラブ、Skam、フレディと10代回帰した私にご褒美が沢山送られた。
今年はおっさんずラブの映画化でかなり落胆し、in the sky で絶望し、find me で心を入れ換えた。
人気が出た作品は必ず続編が出てがっかりするのは定番である。それは商業主義に走り短絡的に作品を送り出すからかもしれない。
私も友人とおっさんずラブの映画やin the sky にはダメ出しの嵐だった。しかし、call me by your name の続編、そうこれも昨年の映画化のヒットによりアシマンがスケベ心を出し続編を先月出版した「find me」。これを読んで考えが変わった。find me は「時間を経て人は自分にとって大事な事や人は何か?を見つける話だ」と私は解釈した。それは簡単な事のようで非常に難しい。知らず知らず気づかないように目を反らして生きるのが社会生活であり大人である。だが人生、結婚や子育て、仕事、等々を経て、また自分と向き合う時が巡ってくる。その時に改めて「find me」。私はアシマンが主語を付けなかったのは読者それぞれの解釈に任せるからだと思うが、私にとっての主語は「I」であり、「I find me.」である。
そういう思いを元にin the sky を見たとき初めて黒澤機長に共感を覚えた。今までのおっさんずラブの黒澤部長は私には、正直気持ち悪い、とち狂ったおっさんでしかなかった。しかし、黒澤武蔵、57歳。そう。同じ学年である。彼も長い社会人生活を送り、残された人生を感じ始める時に差し掛かったのだ。意識的でなく、無意識に押し寄せる波の様な感情の変化である。
彼にとってそれは「純愛」であった。それには社会的な立場や体面やプライドなど何の歯止めにもならない。今まで十分に自分を殺して生きて来たのだ。彼は恋する自分を「find」したのだ。その姿は滑稽でカッコ悪い。特にin the sky では娘を含めライバルが多く蚊帳の外の存在である。しかし、自分にとって大切なものを「find」した「我々」は恐れを知らず邁進するのである。残された人生を悔いなく使い切る為に。当然春田とは結ばれないだろうが、それで良いのだ。結ばれては個人的な嗜好からも困る。でも、彼は死の床についたとき、それまでの人生が走馬灯のように脳裏に展開する。そして必死に春田を愛した自分を「クスッ」と苦笑いしながら目を閉じる。それで良いのだ。

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