妄想力の強さ

私は大阪北部、まさしく今回の地震の震源地の北摂に住んでおります。
この月曜日の朝、バカ息子をたたき起こし、朝ドラを見る為にチャンネルを
変えている瞬間に激しい揺れ、
私は阪神大震災も経験しているんで、何度か脳内シュミレーションをした揺れでは有りましたが、今回は住まいが7Fという事もあり、異常な程の激しい揺れ、今後は住んでる階数別に震度を出してもらいたいものです。
元々、私は死ぬときは「段ボール箱3個位」にしておきたいと常日頃から考えていたので、家具はほとんど処分し、無いのですが、ラックというラックが倒れ、小さな本箱も見事に倒れ、開く可能性の有った扉は全て開き中の物が吐き出される始末。
しかし、人間の起こす行動は30年近く経っても同じで、私は、阪神大震災と同じく、28歳の息子の名前を呼びまくり、外に飛び出すために玄関のドアを開け、再び、早く来いと息子を呼びまくる。(阪神大震災の時は息子は5歳だったので私の左腕の中に息子はいました。)

今や、80kgの息子は、「いま~~ズボン~履いてるから~」といっこうに出てこず。
大物?なのか、状況判断能力不足なのか?
私は団地の通路に出て様子をキョロキョロ伺うが、
阪神大震災と同じく「シ~~~ン」である。
で、「え??」と部屋に戻り、倒れた棚と洗濯機を起こし、
全て元に戻すのに掛かった時間30分。やはりミニマリストは強し。
その後、年老いた親の安否確認に自転車で30分走り、
親の生存確認と倒れた物の整理と買い出しに付き合い、帰宅。
すると、息子は仕事が休みになったことを幸いに爆睡。
「羨ましいゆとり世代」
しかし、私にはそれほど悲壮感は無い。
まあ、インフラが大丈夫というのも当然有る。住まいも賃貸だし、無事。
でも、それだけでは無い。
私は今、「精神的耐震」が有る。それは、「10代回帰」である。
「おっさんずラブ」と「君の名前で僕を呼んで」のお陰で
身体は50代だが、気持ちは10代の「妄想世代」に戻っている。
なので、「この地震が上町断層に波及し大阪は壊滅状態」という記事を読んでも、「これを機に南海地震が来る」という記事を読んでも大丈夫。

親世代の80代になっても「異常な程の強い強い生への執着」に辟易し、
日本の財政を緊迫させずに、息子世代を苦しませず、
「楽に死にたい」と思い、膵臓を虐め、酒を飲みまくっていたので、
自殺願望が元々有るのかもしれないが、「まあ、良いかな」と思えるのである。
「地べた」に住んでいたら地震はそれ程怖く無いかもしれない。
でも、それを捨てて「文明を選んだ人間」には仕方ない試練だと思う。
「両方得る事」は無いのだから。
妄想力が有れば、「Life is beautiful」の様に悲惨な状況でも
精神は正常に保つ事ができる?
それは分からない。私はアウシュビッツに収監されたのではないから。
でも、春田の「愛ってなんなんでしょうね~~」と同じく、
「生きるってなんなんでしょうね~~」と問いたい。
世界一、地震が集約されている「世界一危険な国、日本」に敢えて住んでいる以上、仕方ない。
「両方得る事」は無いのだから。
それでも日本人は日本に住みたいのです。
日本は良い国です。
「おっさんずラブ」と「君の名前で僕を呼んで」が普通に放映を許される国で、それを賛同する人間が自由に発言できる。
「日本」を選んだのだから。プラマイゼロです。
妄想しましょう。

春田と牧君が幸せに暮らしている生活を。
幸せな気分になれます。

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