【トランス問題】「女性」を犠牲にすることは間違っている


「トランスを尊重したい人たちは、どの性別の口をふさぐべきかしっかり心得ている」
「トランス問題によって迫害を受けているのは、女性である」
「何百万の女性の安全より、数人の男の主張が優先される」

これが平等であるはずがない。

当然のことだが、性別違和を唱える人が迫害される世の中であってはいけない。
また同時に、安全を望む女性たちから安全に生きる権利を奪ってはいけない。
両者とも脅かされていい存在でない。これは人が社会で生きる上で当然の権利だ。

二つを同時に両立させるのに必要なのは、
・トランスが安心して暮らせる社会
・女が安心して暮らせる社会
この二点である。

つまり、トランスの主張と要望すべてを叶える社会ではない。
トランスが性別の壁を無視して社会のあらゆる領域に侵入してくることは、女性からすれば安全領域を奪われることと同義である。
筋肉で劣り、腕力で劣る身体を持つものが、危険から身を隠す壁を壊されることに敏感なのは生物として当然の防衛本能だろう。
まっさきに犠牲になりやすい女性たちの訴えをしっかり無視して、トランスの声だけを受け入れ、女性スペース(物理空間だけではない)へと招き入れることは、立派な女性差別なのだ。

また、女性から女性の定義を奪うことは、医療や社会学などのあらゆる学問の研究を破壊する。
女性特有の研究を不可能にし、女性のための救済措置を実現不可能にし、女性がなんたるかを根本から破壊する。

女性は女性を表すべきだし
男性は男性を表すべきだ。
その違いは染色体や骨格筋肉などあらゆる部位に表れている。
医療によって体を加工した人は「加工した人」であって、「加工していない人」とは全く異なる性質を持っている。
女性は生まれながらに男性器を振り回すことはできない。
男性は生まれながらに胎盤をつくる臓器を持っていない。
XXの染色体をもつものは、XYの染色体をもっていない。
医療技術に発展よって後づけは可能になるだろうが、自然体でどちらの性質を兼ね備えているのかは、だれが見ても明らかな「男女の違い」だ。
その差異を無視しては、今後のあらゆる研究に問題が生じるだろう。
言葉の定義をゆがめないことは、科学や医療の発展を阻害しないために必要なことである。


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