誕生日に思う事 (11)
私は6月15日で36歳になった。
誕生日を祝われる、あるいは誰かの誕生日を祝う。
それはとても素敵な事だと思う。
私の大の親友がいる。
小学生4年生の色気付いた頃に「せーの」でブリーフからトランクに一緒に変えた、そこから25年近くの親友だ。
親友にはいつも怒られるが中学一年生のころ一時期一方的に親友に嫌われて同じ学校にいつつも一年ほど疎遠になったことがある。
それが体育の柔道の組手で仲直りするところがまた中学生のかわいいところだ。
とにかく大親友。
昔タイに2人で旅行に行った時に「お互いに性別が違ったら絶対結婚してたね。」と語り合うほどキモいぐらいの大親友である。
これが不思議なことにどちらかが腐りそうな時はどちらかが元気で励ますという、魂の糟糠の妻のような存在になっている。
その親友は超有名企業に勤めているのだが全国転勤がある中、ずっと免れてきた。
しかしそれがいよいよ、今年静岡県の三島に転勤が決まった。実は私の家から彼が都内に住んでんいた時の駅と新幹線を使って行く三島は時間的には5分しか変わらず、これは月1は会えるぞとほくそ笑んでいた矢先、会社の事情でわずか2ヶ月の三島生活から彼は金沢への転勤が決まった。
金沢となると、3ヶ月に一度会えれば良い方だろうか。時間的には2時間半もあれば行けるのであるが、やはり気軽に会える距離ではない。
そんな中、私の誕生日に彼からおめでとうのメッセージが来たのだが、これからの人生、彼に何回会えるのかな。と考えてしまった。
年に2回会えたとしてお互いが元気に85歳までボケずにいたとしても。あと100回しか会えないのだ。
それは親友に限らず親、兄弟、家族、恋人、友人、知人。
親なんて年に1回しか会わなかったらあと20回も会えないと思う。
だから親に関しては最近は極力会いに行くようにしている。会って飯を食いながら他愛もない話をするだけである。
当たり前のようにいた会いたい人がいつか突然会いたくても会えない距離になってしまうことがある。
それは会える機会がありながら物理的な距離、仕事など色んな制約で折り合いをつけてしまう事もある。
だから考えた。
会いたい人には会いたいをちゃんと伝えたい方がよい。もっと会っとけばよかったな。といつか思わないよう。
ただでさえまだコロナの影響もある中、会いたい人に会えない中。
「会う」「会える」と強く念ずる事から36歳は始めた。
きっと笑顔で会える日が近い将来、来るのだ。
という、今回のお話。
この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com