見出し画像

時間の早さ (59)

 11月、そう、今年はもういつの間にか11月なのである。皆さまは早いと思わないだろうか。筆者は早過ぎると驚き、憤慨している。なんてこった、もうすぐ今年が終わってしまうではないか。これは何らかの陰謀ではないか。世界の裏で暗躍する何者かが、時間を早めているのではないだろうかと、疑わずにはいられない。一体何者が時間を早めているのだろうか、ここいらで腰を据えて考えてみようと思う。

 時間の早い遅いの感じ方は、個人の主観によるものである。にも関わらず多くの人が時間の経過の早さに共感するのは、意志と関係なく進むものだからではないだろうか。我々はこの世に生まれてすぐ、時間のベルトコンベアーのようなものに乗せられ運ばれていく。その流れに抗うことは出来ないし、誰もが等しくそのベルトコンベアーに乗っているので、当たり前のものだと受け入れるしかない。そもそもそのベルトコンベアーみたいなもののことを勝手に時間と呼んでるだけなので、時間というものすら存在しないのかもしれない。そして時間そのものが存在しないとすると、タイムマシンなどは夢物語であり現実にはありえないものとなる。では何故漫画や小説などあらゆる創作物の中に、有り得ないはずのタイムトラベルなるものが多出するか。それはおそらく、人が夢物語の好きな生き物だからなのだと思われる。

 さて、時間の早さに話を戻そう。正直哲学的な話は専門外なので、わかるところだけをただ書いていく。おそらく時間の感じ方は重ねた歳や何かによって違うのだろう。筆者の感じ方は”この間まで9月だったのに”という程度である。9月に何があったかと振り返ると何かあったわけではないが、なんとなく9月なのである。これが人によると”この間まで夏だったのに”となるだろうし”この間まで桜咲いてたのに”ともなるだろう。なかには”昨日幼稚園から帰ってきたばかりなのに”なんて猛者もいるかもしれない。皆等しく同じ速さのベルトコンベアーに乗ってるはずなのに、感じ方が違うというのは全くもって不思議である。

 あまりこれ以上踏み込むと専門の勉強をしなくてはならなくなるので、ここらで考えるのをやめておきたい。師匠談志の言う所の”思考ストップ”である。自分の届く範囲の理解で留めておくのも大事であり、知識もないのに専門家のような顔をするのは恥ずかしいことである。いや、もう十二分に痴態を晒しているかもしれない。

最後に、今回”時間の早さ”を題目に書いてる理由は、煮込む日々の締め切りを過ぎ更新を遅らせたからに他ならない。これも全て、時間を早めた裏の世界の支配者の陰謀、とても恐ろしいことだ。

画像1


この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com