見出し画像

センス (37)

 センスがある、センスがない。この言葉をあまり使ったことがない。実際少し古い言葉でもある。さらに言うと自分の持つ感覚は好きだが、人に押し付けるほどでもないと考えている。十人寄れば気は十色、人それぞれの感覚があり、”ツボ”なるものも皆違うのだ。しかし、ごく稀にこの言葉を発する人がいる。己の感覚への絶大な信頼があるのだろう。しかし、人に押し付けるほどのセンスなど存在するのだろうか。そもそもセンスとはなんなのだろう。考えれば考えるほど袋小路に入って出て来れなくなりそうな予感がするが、考えるだけ考えてみよう。ここはそういう場なのだから。

センス。もう一度言うが、少し古い言葉である。goo辞書で調べると”物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。またはそれが具体的に表現されたもの。”とある。どうだろう。一見するとなるほどと思うが、何度も読むとよくわからなくなる説明文である。動物的勘でもなければ論理的思考を経た解答という訳でもなさそうだ。ともするとその両方が必要とも受け取れるし、全く違うものとも受け取れる。感覚とも書いてあったが、感覚などというものを言葉として表すのは、とても難しいのかもしれない。

何度も言うが少し古い言葉である。今の若い人は使わないのではないだろうか。つまりセンスという言葉自体にセンスがなくなっているのである。となると”俺はセンスが良いからね!エッヘン!”や”君、良いセンスしてるね、グーだよグー”などと言ってる時点で、何かが終了しているのかもしれない。言葉の意味は古くならないが、言葉はどんどん古くなっていくのだ。

新しい言葉が生まれる度に、以前の言葉に古さを感じる様になる。その鮮度を見極めるにも感覚が必要で、これもある種の”センス”である。常に新しいものを、いや新しいだけではダメで古いもの、そして良いものも悪いものも己の感覚で感じ続ける努力が必要だ。感覚はいくら磨いたところで年齢と共に衰える。しかし、衰えるスピードを少し緩めるくらいは出来ると信じていたいものだ。そして、衰えた時に衰えたと自覚出来る感覚は、人前に出るものとして絶対になくてはならないものだ。他はともかくそこだけは”センス”が必要である。なんてこった、えらい真面目になってしまった。きっと、煮込み過ぎたのだ。謎の絵を載せて終わろう、さらばだ。

画像1


この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com