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看板のジャングル(99)

チョウかハンか。偶数だと丁度良いからチョウ奇数だと半端だからハンなのだが、子供の頃は音の響きの印象で逆だと思っていた。つまりハンって偶数っぽい音だなとか、チョウって奇数っぽいなとか。若干間抜けな感が否めないが、小さい頃は音とか感覚で捉えていたのだろう。ハンと音で聴くと班とか潘とか範とか、どちらかというとまとまりあるものの印象がある。反対にチョウは兆、朝のようにどこか”始まり“を感じさせる。兆は兆しなので物事が起こる前触れ、朝は一日の始まりてある。始まりといえば1であり1は奇数であるから、チョウは奇数となる。因みにチョウには長や蝶などもある。長さんといえば長嶋茂雄であり背番号は3番だし、蝶野はG-1男などといわれたいたのでやはりチョウは奇数となる。このように音の印象だけで物事を捉えると、世の中にあるものの印象がガラリと変わる。だからといって現実は変わらないのではあるが、色々なものを音の印象のみで捉えてみるのも良いかもしれない。

りんご→隣子(隣の子)
例.正男、隣子に見習って勉強しなさい。
落ち葉→お千葉(千葉を丁寧に)
例.ユーの出身はお千葉ザマスか、ミーはお埼玉ザマス。
深爪→フカ詰め(鮫の袋詰め)
例.1000円、1000円で袋にフカ詰めし放題だよ。
ユッケ→ゆっけ(明明後日の別の言い方)
例.明日、明後日、ゆっけ。

あまり熟考せずに書いたらかなりおざなりな感じになった。どう考えても無理矢理こじ付けただけな気がする。大体が物事を音だけで捉えることに何の意味があるのだろうか。書きながらよくわからなくなった。原始時代に初めて見聞きしたものの名前をつけるならまだわかるが、既に意味や名前があるようなものに別の解釈をつけてどうしようというのか。このままでは本格的に狂ってしまうので、この辺でお開きにしようと思う。最後に今回のまとめとしては、なんでもよく知らずに印象だけで捉えたら色々間違っちゃうよ、ということである。次回は連載100回目、何も考えていないがどうなることやら。


この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com