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今日の日記6/19

バクマンを久しぶりに読み直している。

漫画を描く漫画というのはメタ情報。メタなお話好きな自分としては面白い。
そして、初期のキャラが後半になって立ってくると、テイストが変わるのよね。週刊連載あるある。
個人的に、酸っぱい青春もそうだけど、人間の心情を描写するのも好き。プラチナエンドの方がそれが強く出ている気はする。

子どもたちの自転車

乗り始めて、1時間くらいで乗れた長男。運動能力が高いとは思っていたけど、驚き。
乗れるようになるのは。足の長さとサドルの高さ

補助輪よりバランス感覚?
補助輪はペダリング。バランスは脚漕ぎバイク。

すごいわ、これ。これについて何か語ってあるものがあると幸せになる人が増えるんではないだろうか。

音声入力による思考整理

頭の中にあるものを言葉にしてみようと思う。
iOSでは音声入力の制限時間がなくなったためおそらく続けることができるようになったはずだ。目の前にある端末を見ないでも入力ができるので、この音声入力と言うのはとても便利である。

バレットジャーナルと言うのは、すごく便利である。何が便利かと言うと、基本的な方法を提示しつつ、後はあなたがやりやすいようにしていいよと言う、使い手自身に方法の選択の余地があると言うことではないだろうか。
あなたのビジネス書における手法と言うのは、メソッドが確立しこの方法であれば絶対にうまくいくような、簡単にできると言うことを前面に押し出したものが多い。


しかしバレットジャーナルは、今この瞬間に集中すると言うことである。
今この瞬間に集中すると言うのはマインドフルネスである。
タスク管理をして、効率的に仕事をするめるより、今この瞬間に集中する考えを進めるのが、バレットジャーナルの本質だ。

考え続けることの意義と優位性

考え続けることができるのはかなり強い能力。それはなぜか。答えは無いから。このように答えがないのであれば考え続ける意味は無いのではないかと言う疑問が浮かんでくる。
しかし、答えがないからこそ、与えられた情報で、最善の手を選択するためには、考え続けることが必要である。
そして、判断力がないと自分では思っているため、納得した手を自身で確実に選ぶには、その場より前に考えておくということが大切なのだろう。
つまり考えておくことは、直結しなくても無駄にはならないということだ。

iPadはパソコンにはならない

iPadはパソコンと同じことができない。至極当たり前のことを言っているがこれが事実である。
では、時々パソコンの代わりにiPadを使っている人はどうしているのか。それは、パソコンとして使用しているのではなく、パソコンの機能を、一つ一つ切り離して、iPadで再現しているのだ。
つまりパソコンをiPadに置き換えるときことはできるのだ。
しかし、それができるのは、全ての業務とは限らない。なぜならソフトウェアの問題があるからだ。

ここで提案したいのは、仕事のパソコンと併用するなら、小さいサイズのiPadにすればいい。紙のノートの「一部」の機能を担えるからだ。「一部」というのは、紙という物質がiPadに完全に置き換わることがないからそう表現しており、一般的なノートの使い方であれば9割は確実に移行できる。
それより、パソコンの代わりの話だ。パソコンの代わりというのなら、家庭用のパソコンの置き換えができるのではないか。
なぜなら、以前まで行っていた動画試聴は、パソコンではなくテレビでおこなっている。

メールも、パソコンではなく携帯で済む。
ならば、パソコンで何をするかだ。人によっては写真の編集を行うだろう。そういう場合は、基本的にiPadで事足りる。事足りるのであって同じになることはない。置き換えるのだ。
つまり仕事もそうでないことも、何をしたいかより、どういう結果を得たいかから逆算してiPadのアプリでできることを探していくといいだろう。
ちなみに、iPadはなくてもいいものだ。しかし、あると便利なことが増える。

そういう気持ちで買うことをお勧めする。

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