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もう今はないけれど、いつでも、戻っていく場所

小学校、美術部

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 とにかく絵をかいたり工作したり、自分の手から、さまざまなものができあがっていくのが、大好きだった。
 小さいころから、数字や文字に色がついてみえた私にとって、色ってすごく大切なもので、それは物心ついたころから、仲間のような存在だった。

 美術部では、水彩画から油絵、日本画など、たくさんの手法で絵を描くことを教えてもらった。
 岩絵具という粒子状の顔料を、膠(にかわ)と水で溶いて絵具をつくる、日本画が特に好きだった。

 岩絵具はさらさらした細かい粒子で、薄めて使うものだから、もともとその粉体の色は濃い。
 色を眺めているだけでワクワクする私にとって、極彩色の顔料瓶が並ぶ様子は垂涎ものだった。

 真っ赤なベルベットの赤い薔薇を、そのまま粉砕して顔料にしたような、濃くて深い赤色。
 これを水で溶いてキャンバスに乗せると、スイートピーのような甘いピンクにもなる。

 魔法のような絵具に、いろとりどりの顔料をいれた瓶に、膠を温める電磁調理器、木工制作エリアの力強い機械装置、木材を削ったいい香りが漂い、
 いろんなものが雑然と置いてある美術室は、ほんとうに魔法使いの部屋みたいで、大好きだった。

 穏やかで控えめで、だけどドッジボールがむちゃくちゃ強いさおちゃんと二人だけの美術部は、今考えると、当時の私の一番ほっとする居場所だったかもしれない。

中学校、バスケ部


 小学校の時に大流行していたスラムダンク。桜木花道も三井くんもほっとけなかったけど、私は小暮さんのファンだった。

 あれ、なんで流川楓じゃなく仙道彰じゃなく、メガネ君が好きだったんだろう。と思ってネットでそのキャラクターをおさらいしてみたら、なんと小暮さんは今の私に繋がっていた。この話はまた今度書こう。

 小学校の時は50m走タイムが15秒くらいで、スポーツは、やるのも見るのもどっちでもよかった。
 だからどうしても運動部に入りたかったわけでもなかったけど、スラムダンクがかっこよかったから、バスケ部にしようかなと思っていた。

 中学に入学して、部活の見学に行った時、男子バスケ部にめちゃくちゃかっこいい人がいたので、もう女子バスケ部に入部決定。
 運動オンチの私は当然、万年補欠だし、練習中はずっと、となりの男バスしか見てなかったから、引退するその日まで、ルールもろくにわかってなかった。

 当時一緒に入った同級生たちはみんな本当にバスケが上手だった。見てて惚れ惚れするほど。
 何年振りかの粒ぞろいだったらしく、最後の大会では上部大会の目前まで勝ち上がっていった。

 惜敗した最後の試合、悔しくて涙を流すみんなが、かっこよかった。すごいなあって感動した。

 例年に比べてどれくらい練習がきつかったのか、合宿が厳しかったのか、練習試合が多かったのかはわからないけど、私たちはみんな、一年中、汗を流してまあまあ走り回った。

 そんなチームだったからか、体育館の外でも仲良しで、つまり朝から晩まで、楽しかった。
 一緒に学校に行って、一緒に勉強して、一緒に鬼ごっこして、一緒に着替えて、一緒にバスケして、一緒に叱られて、一緒にコンビニ行って、一緒にアイス食べて、一緒に帰る。

 それをローティーン時代に2年以上やるんだから、そりゃ結束も固くなる。今でも私の大切な仲間。
 入部した同期は不純に不純を重ねたものだったけど、ここで過ごした時間は、私の心の中の大切な一部をつくっている。

高校、柔道部


 高校では遊びまくろうと決めていた。当時、流行っていたストリート系の雑誌にでてくるような高校生活を送るんだと、親友と息巻いていた。
 でも中学で濃密な部活の時間を知ってしまった私たちは、やっぱり何か部活がやりたかったんだろう、やるかやらないか、ではなく「何部にする?」の相談をしていた。

 当時は漫画の稲中が流行っていたから、ウケ狙いで卓球部にすることにした。今となっては一体だれのウケを狙っていたのかはわからないけれど。
 見学に行ったら、卓球部の部室は広い学校の敷地のなかでも一番はじっこで、しかも活動は細々だし体育館だ。ウケを狙うには地味すぎてダメだ。

 じゃあ、柔道部だな。
 何しろ、部室も道場も校門の真ん前だし、なにより道着を着て校内を歩き回ったらおもしろすぎる。決定。

 嫌ならやめればいいや、と思っていたら思いのほか、家族の大反対にあったため、逆に燃えた。
 顧問の先生はなぜか困惑していたけど、そういうのは勢いで押し切る。

 練習は大学生とも合同で、よく見たら割と本格的だった。オリンピックで見たことがあるくらいで、柔道のなんたるかなど何ひとつ知らない私たち。
 それでも先輩方に丁寧に教えてもらって、上手に投げ飛ばしてもらって、受け身がきれいにできた時は気持ちがよかった。

 触れてみればそれはそれは深い世界で、知れば知るほど楽しくて、一生懸命練習した。もちろん練習が終わったら、さんざん遊んだ。

 先輩たちは、本当にきちんとしっかり、信じられないくらい真面目に練習をするのだけど、道場に終了の挨拶をして外に出ると、途端にものすごいふざけるんだった。

 これまた信じられないくらいに、ふざけるのも、遊ぶのも、素晴らしく上手だった。

 オンとオフの切り替えって、よく言うけど、私は後にも先にも、この時の先輩方以外にこんなに鮮やかに切り替える人をみたことがない。

 柔道に茶髪もピアスも小麦色の肌も関係ないよね、と思っていたら、顧問の先生に叱られた。
 嘉納治五郎先生の写真の前で。
 正座でみっちり。

 ちゃんと聞いたら、叱られているのは見た目のことじゃなくて、私が挨拶を怠ったことだった。あとピアスは危険。

 ほかの大人たちはよく私たちの身なりに文句を言った。ほめてくれる大人は大抵怪しい人たちばっかり。
 でも先生はそこを一切すっとばして、挨拶と危ないピアスのことだけ、注意したんだ。言いたいことはもっとあったはずだけど。

 この先生の言うことはちゃんとやらなくちゃ。
 

部活が、教えてくれたこと 


 好きなものに、思いっきり心ゆくまで、触れること。
 心が感じることを、そのまま感じること。
 
 一生懸命、走ること。
 仲間と一緒に走ると、限界だと思ったその先のステージが見えること。

 信頼できる大人は存在すること。
 おもしろいことは、どんどんやること。

 その時々で、何となく選んできた部活は、間違いなく私の人生の大切な部分をかたちづくってくれた。
 
 大人になった今は、何となく選べる部活はもうないけど、部活が教えてくれたことは、いつも意外と身近にもあるもので、これからも私はきっと、それを大切にしていくんだろうなって、思う。

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