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#60 60代、家が心地よいと感じていたらかなり幸福度は高いです!

寒い日が続きます。
こんな時は、断熱のない、
すき間風の入るような家は身体に
堪えますね。

私の子供の頃は家の断熱のことなど
それ程考えられていなかったと思います。

それより、大きさとか高級な材料を
ふんだんに使った意匠的なことが
重要視されていたのではないでしょうか?

「いい家」の基準って何だろう?

昔と今では「いい家}の基準も
かなり変わって来たことを感じます。

色々な既成概念が少しづつ取り払われて
大きな家、立派な家が「いい家」
というよりは、それぞれの家族にとっての
価値観にあった家が「いい家」だと
言えるようになったのでは
ないかと思います。

小さくても、スッキリと使いやすく
家族に大切にされている
そんな家であることは素敵です。

高級キッチンではなく、流し台で
あったとしても、毎日使う人が
楽しんで料理が出来れば、お飾りの
ようにあまり使われていない
高級キッチンより
価値を感じることが出来ます。

「いい家」一つとっても
これもまた、正解のない問題なのかも
しれません。

ライフステージの変化と共に
住空間のもつ意味も変わるのでは?

例えば、若いころの私にとっての家は
帰る場所であり、休む場所でした。

もちろん、居心地の良さや
好みのインテリアなどは大切でしたが
その場所の存在自体がそれ以上に重要でした。気兼ねなく帰って休める場所であれば
まずます合格だったのです。


子育て期、家は子供中心になり
家事や仕事に追われて、家は家族を育む
為の場所として重要でした。

私の思考の優先順位は常に効率・・・

少しでの早く、確実にかつ簡単に
家事をこなし、子供との時間を作る。
或いは、自分の時間を作りたい。

その為に必要な術が整っている家
それが「いい家」の条件みたいに
なっていたように思います。

余裕がない時代、
色々と後悔も多い時代でした。


50代に入る頃には、
子供は世話はかからなくなったけれど
難しい年頃にもなり、会話も減り
家の中はちょっと荒れた空気

実家の親も調子を崩し、
仕事と介護のやりくりで家は
また、帰る場所になっていたのかも
しれません。

この頃の私、
家が好き、家を整えるなどと
いう言葉も口から出まかせ的なところが
正直あったのかもしれません。

過ごした時間を映し出す家という自分の鏡


様々な時間を超えて、
やってくるのはセカンドライフ。
一巡して、また新しい人生の始まり
ともいえる神様がくれる大切な時間です。

とは言え現実には、絵に描いたような
素敵なセカンドライフなどそうそうは
ありません。

実際には、親の介護や孫の世話に
追われていたり子供だってしっかり自立
出来ているとは限らない・・・

経済的な部分も含めて、
こんなはずじゃなかったという事だって
ありますよね。

でもそこは年の功、
ちょっと自分を俯瞰して見る余裕が
あったりします。

確実に言えることは、
60代、家で過ごす時間が長くなったな
ということ。

そして、そこには自分自身の本当の姿が
映し出されていりということなのでは
ないか?
という事なのです。

居心地はいかがでしょうか?

長く過ごす時間に耐える良き場所が
そこにありますか?

60代を迎えるなら、
家での時間を軽く考えない方が
断然幸せに近づけるのでは?


大きくなくてもいい、
持ち家でなくてもいい、もちろん
高級な家である必要もないけれど

自分を優しく包み込んでくれる
パートナーとしての役割を果たしてくれる
そんな場所であることが
60代になる私にとっての「いい家」
なのではないかと感じます。

家で過ごす時間が穏やかであれば
とても幸せだと言えるのがこれからの時間。


はい、色々大変ですよ・・・
経済的にも余裕なんてありませんけど
この場所が自分を守ってくれる最後の砦で
あるのなら・・・

大切にしてあげたい。
ここでの時間を楽しみたいと思うのです。

家なんてどうでもいい、もし貴方が
そう思っているならば、ちょっと視点を
変えてみてはいかがでしょうか?

いまからでも遅くはないです。
家での時間、そしてそこでの居心地に
気持ちを向けてみて下さい。

きっと何かがかわると思うのです。
他人に何かを求めるよりも
この場所で自分の足でで立っていること
の重要さを知ることが60代からの幸せに
繋がるから・・・





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