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彼女の世界と砂浜

視覚がない彼女は音に敏感で、家の中のちょっとした物音にもびくっとすることが多かった。そのため彼女が少しでもリラックスできるようにと家の中は常にラジオや音楽をかけていた。特に家を空けるときはわずかな時間でも必ずそうしていた。

彼女は若い時とても活動的で、その当時私達が住んでいたアパートの狭いリビングで歩き回ってはテーブルの椅子やドアによく鼻頭をぶつけていた。鼻をちょっと擦りむいたり気が付くとカサブタができたりしていたので、100均でクッションをたくさん買ってテーブルやラックの脚に巻いて、たとえ思いっきりぶつかっても痛くないようにしていた。
また、猫は高いところが好きだが、彼女は自分の顔の高さ以上のところは認識できないしジャンプこともできない。いつも座布団の上かベッドの上に昼寝することになるのだが、意に反して顔の高さにあるところに上ってしまうことがある。そうなると自力で降りることができなくなる。そんな時、彼女は腕を思いきり伸ばしてそこに段差や床を探す。前足に触れない床を探して腕をパタパタと動かす。届かないと一歩横にスライドしてまた腕を伸ばす。その仕草はとてもかわいくて、意地悪だと思うけれど眺めてクスッと笑わせてもらってからここだよ、と前足を誘導するのである。私が気が付かない間に変な所によじ登ってしまった時は、その場所から大きな声で呼ぶこともしばしば。どこから声がするのだろうと行ってみると意外なところにいたりする。薄いテレビの上とか、チェストの上とか、スピーカーの上とか。やっぱり彼女も猫であって高いところに行きたいのだ。だから留守にするときはそうゆうものが置いてある部屋には行けないように入口を閉めたり、よく上がるテーブルや椅子には踏み台を置いて彼女が不自由を感じないようにしていた。

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目が見えないということは、聴覚や嗅覚、触覚によって情報を得るということになる。
彼女の眼は生まれて間もなく目が開く前に潰れてしまったので、彼女は見るという感覚を知らなかった。以前ドキュメンタリー番組の中で、視覚障害者が自らクリック音を発しその反響音から周囲の位置情報や物の形状を推察する技術があるということが紹介されていたのを見たことがある。きっと彼女も同じような感覚でまわりの情報を得ていたのかもしれない。例えば音や空気の反響によってなにか目の前に物体があると認識したら、彼女の頭の中にはどんなイメージが浮かぶのだろう。色のないグレーの世界にブロック状のものが周りから突出しているような。立体ピンアートのような世界。なかなか想像しがたい。
音を効率よくキャッチするためなのだろう、彼女の耳は猫らしからぬ大きさで、ウサギのように立っていた。レーダーをキャッチするコウモリの耳にも似ていた。眼球がないことで顔が小さく細く見えるからことさら耳が大きく見える。
だから私が話しかける時、彼女は目のない眼瞼を見開いて耳を立て、聞き逃すまいとまっすぐ私の方に顔を向ける。そう、話を理解しようとするように。話し終わるとミャアと返事をする。そのまっすぐな表情がいじらしくて愛おしかった。

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彼女を家に迎えてから2年後、千葉に引っ越した。九十九里浜が近く、よく彼女を車に乗せて6㎞先の砂浜に出かけた。延々と続く砂浜には波の音と湿った海風が吹いている。彼女は盲目だからいつも私の声と足音を追いかけて歩く。リードは必要ない。時折、私の呼ぶ声を無視して「私はここにいたいの」と言わんばかりに、立ち止まっては潮の香りや砂浜の後ろに控える防風林の葉の擦れる音を聞き入ったり。はるか遠くにいる海岸を歩く人達の笑い声を聞いて、はっと我に返ってミャアミャアと慌てて私を呼ぶ。「ママ、どこにいるの?」すぐそばにいるよ、そんなに鳴かなくても。私たちは菜の花が咲く春もヒルガオの花が咲く夏も、防風林にススキが茂る秋も、まだ暖かい日が残る冬も、日が落ちる少し前に行って、散歩をして、疲れると砂丘に腰おろして、ボーっと飛行機を眺めたりしていた。

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成田空港に近いこの海岸は発着路線のすぐ下にあるため、数分おきに飛行機が少しずつ高度を下げながら上空を飛んでくる。離着陸の飛行機が混雑しているときはぐるぐると海上を旋回している。海外旅行が好きだった私は飛行機の尾翼にある航空会社をのロゴを見てはあの国の航空機だ、この国はまた行ってみたいなとか考えていた。実際行こうと思えばすぐ行けるはずだった。自宅から家の前を通る成田空港行のシャトルバス、これは空港で働いている人が通勤で使っていることが多く、一般人も200円で成田空港まで行ける。こんなに便利な場所に住んでいながら、会社勤めが忙しかったことと、夫の体調が不安定だったこと、近しい友人や親戚もいなかったことから、休みらしい休みはあまりなくて、時間が空くといつも猫と砂浜に行っていた。千葉にいる8年間に2回しか海外旅行へは行ってなかった。

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でも当初、彼女を砂浜に連れていく目的は飛行機を見ることでもなく、砂浜に座ってボーっとすることでもなかった。
見えない彼女にとって日常的に周りには障害物が多いわけで、速く走ればそれだけ物にぶつかった時に痛い思いをする。それでも子猫の時はぶつかりながらも家じゅう走り回り筋肉もそれなりについていたのだが、大人になり早歩きはできても走ることはなくなり、幼いころに付いた筋肉は脂肪となって腹の皮が垂れ下がってきた。2歳を過ぎるころになると、走らない、高いところへのジャンプができないといったハンデを持つ彼女の体は新たな筋肉が付かず、薄っぺらで痩せていて、一見すると弱々しい体つきになった。常に足元に注意をしながら、人間でいえば速歩が彼女の出せる最高速度のイメージだった。思いっきり走る姿は彼女が大人になってから見たことがなかったから、障害物のない石ころの少ない柔らかい砂の上で、思いっきり走らせたいといつも思っていた。彼女が1歳ぐらいの頃、こんな思い付きで連れて行った河原の砂の上で、私が持つ小枝の地面を引きずる音を追って彼女が一緒に走ってくれたことがあった。彼女が枝先を追って一心不乱に走る姿を見た時、とても感動したものだった。と同時にちょっぴり可哀そうに思えて涙が出た。この子もほかの猫と同じように走りたいんだ、と。だから引っ越した先でも彼女に思いっきり走れる機会を与えてあげたくて砂浜に連れていくようになったというわけで。
でも千葉の砂浜では彼女は走ってくれなくなった。なんの障害物のない浜には海風と波の音が耳元に常にあって、鼻先の小枝を引きずる音はあまりに小さすぎたのかもしれないし、彼女が大人の猫になったということかもしれない。

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