今、自分の肩身の狭さ、生きにくさを感じているキミヘ
僕の中で救えなかったあの子へ。
これから誰かが救われれば、いいなって思う。
変わった子ですねと通知表に書かれ続けた
今現在、ヒトツメでアホなことしてる時点で、そらそやな感はありますが、日本に居た頃の通知表にはずっとこう書いてありました。
うちの両親は、そらそうだろって考え方をしてたので、ザマァみろ爪弾きものって言っておりましたが、ある時の通知表に書かれた、頭おかしいから病院に連れて行け(書き方はもっと酷い)だけはブチ切れて、他人を著しく侮辱する発言を簡単にする相手は許すなとあの時に噛み締めさせられました。
本当怖かったね。過ぎ去った嵐ですけど。
自分は変じゃないと言う謎の自信
これは今もそうですよ。なんのことですか。
謎の自信は皆にあるものじゃない
自信は成功体験により積み重ねていく功績だと考えていて、自分のまま、やりたいようにして、何かがうまく行ったりしているからこそ、そうなっている。
それがなきゃ自信がないってのは、そうだよねってなる。
今勝てない壁とは戦わないと思いつつ、一生勝てない壁もあるよなと思う。
僕は自分の両親は偉大なりと思いつつ、勝てる勝てないの話をするのであれば、勝てないなと思ってる。
勝とうと思ってない。
製造元ではあるけれど、歩む道が違う時点で、評価点、価値観が違いすぎる。
僕は他人と自分を比較することをしないと言うか、相互理解を試みて、これを全員とすること、平和的には無理だと理解していて、交わらない世界の方がお互いに良いものがあると知っている。
こう言う割り切りして、サッと身を引いたり、線を引く人ばかりではなくて、誰かの評価を依代にする人が居るってのは分かる。
僕がこの長編駄文となるであろう冒頭に救えなかったあの子と書いたのは、この依代に負けてしまった子の事である。
もうあの訃報が10年以上経っているのが信じられないくらいには、まだまだ本人のことを覚えている。
近所に住んでる子だった。有名企業のお父さん、専業主婦のお母さん、成績優秀のお姉さん、あの子、いい家族にしか見えなかった。
あの子は突然にして、自ら命を絶ってしまった。
何故なのかは分からないし、興味はない。
分かることはあの子が生きるには弱い、弱すぎるところがある感じがして、とても危うかったこと。
その琴線がついに思春期の難しい時期にプッといったんだなと思った。
訃報を母親から聞いて、こう言っては大変失礼かもしれないけれど、なぜだか自死を納得してしまうところがあるとこぼした。
たまたま、うちの母親が友人代表で花を出す取りまとめをしていて、やはり近所に住んでいた家族で、あの子と歳も同じで1番遊んでいた子のお母さんにその話をしたらしく、そのお母さんもうちの息子も同じことを言ってたとなり、親には分からないけど子どもには感じる要素が昔からあったんかねぇとなったと後々聞いた。
お姉さんを敢えて優秀と書いたのは、あの子から見たお姉さんの評価である。決してあの子が劣ることはない。
有名企業のお父さんについても事実で、あの子が将来有名企業に勤める未来もあっただろう。
たらればに過ぎないが、誰とも比較をしなければ傷つくことはなかったと思う。でもそれができないからあの子なんだよなぁって。あの子が自分で傷ついていく所から救えなかったなぁ。
あれ、あの子のお母さんは?
僕はこの話をややこしくしたくないけど明言するなら、あの子の自信の芽を摘んだのは、彼のお母さんだと思う。
過剰な期待をよく聞かされていたので、あの期待に応えなければと追い詰められたのかなと思うところはある。
期待なんて応えなきゃいいのに。
お前の勝手な期待が迷惑で、僕のやりたいことに指図をするなとならなかった、なれなかったんだろう。
なれなかったあの子が悪いんじゃない。
羽化できない蛹がいるようになれないことは普通にあるんだ。ただ死ぬほどのことじゃないと思うよ。
蛹でも体当たりを100回すれば、誰かに勝てることあるよ。
自信とマイノリティ
相反するようで相反さない。
僕はマイノリティを恥じないことにしてるけど、あえてマイノリティです!人権ください!みたいなのは距離を持ちつつある。
マイノリティって言い方悪いなと思って、別に少数なだけで普通のことなので、普通なので放っといてください。これが真。
どうしてもどうにもならない事はある
僕は食べ物に対して、苦手意識がすごくある。
「他人の作ったご飯が怖い」これがずーっとある。
正確には調理工程を見ることすらできない状態で渡される他人からの食品の施しが怖いなので、目の前で握ったオニギリなら多分大丈夫🍙
突然弁当箱あけて、おかず交換しよ?みたいなのは、絶対にできない。
起源はまぁ間違いなく潔癖症。
ドヤることはあまりしたくない。
友人に貸したボールペンを除菌ティッシュで拭いていても、すぐに飲み物が入ったコップの結露を拭くのも気にしなきゃ気になることじゃない。
ある時にいつも除菌ティッシュ持ち歩いてる便利なやつくらいにしか思ってないし、一枚欲しい時に助かるからそれで良いよと言われて、割と救われてる。
僕は勝手に自己完結する潔癖症でいる。気にする人なら、あーーーーコイツ…ってなってるかもだけど。
しかしながら、世間における潔癖症はいかなる生き物だろうか?
過激派が多すぎるのである。
そんなに頑張って主張しないとダメですか?とすら思う。
何時間も掃除してた自慢もしたくはない。あれは元気な時しか自分はできない。確かにやる時はやるけど。
ぶっちゃけ蒐集家のくせに潔癖症って大矛盾があるので、自宅はモノだらけで綺麗とは真逆です。
電車の吊り革とか捕まるのは無理だから、服の袖で掴んでたりはするけど、勝手にやってりゃええんじゃねな行動です。気持ち悪い触らないとかいちいち言わない。
潔癖である自分自身に納得して、こう言うやつなんだわと普通に思ってる僕は、付き合い長くなってくると不思議な行動がバレるので言うけど、基本的には潔癖なんだなんてことは言わないし、ダメなことは自分で処理して勝手に自己完結しているので、自信を持って自分のコレを嫌いだとか思っていない。
僕が潔癖症なのを知ってる人は付き合い長かったり、親しみのゲージが高めの人だけだとは思う。言われてみれば、お前…貸した本の表紙拭いてたもんなとか、あるにはあるんすよwこのヤロウwwwwって相手を思わせていることは。
まとめるとマイノリティさに僕は自信がある。
自信があるとそれを知って欲しいとか思うことが実はない。仲間が欲しいとも思わない。
これが普通なのでどうぞよろしく、君が大丈夫なら。そんな感覚です。
塩が怖いナメクジだけど、塩のことは憎んでないよ、そんな感じ。
君は普通だから安心しろ。
自戒の念こめ
ヘッダー画像は自戒の念画像。
他人のレタッチミスを見つける時、自分のレタッチミスも見つけるであろう。
SNSに投稿された間違いなく有償撮影の記念日フォトのレタッチミスを見つけてしまったぷるぷるは、この写真をアップしている写真家殿にご指摘罪をぶちかます勇気はなかったので、ミスって増えてしまっている消すべきなのになぜか増えた通行人をあえて描いて自分の中で昇華した。
尚、この方の写真をまた見ることがあったら、人の心なしを発動してアラを探しそうなのでそっとミュートした。平和的解決である。
ニンゲンとは嫌なやつである。だがこれも普通。
自信がない時ほど陥るよね
気をつけよう。
〇〇過激派宣言みたいな、相手に強いる行為。
自信がない時はセンザンコウかハリネズミか位にちくちくトゲトゲしてる、やばい!
自信のない原因を早く見つけて対処したら良いんじゃないかな。それかスッパリ諦める。
ちなみにだけど、推し活的には同担拒否の過激派かよ!?みたいなところありましてね、コレに関しては究極的に言わないとダメかな〜ってところまではニコニコしてるので、同担きたら🔪🔪🔪みたいなことはない。
そーっと居なくなったらお察しください。