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《音楽》ピアノを弾くということ。



先日注文した赤松先生の本が届きました。
クラシックのピアニストはどのように音楽を捉えていのだろうという日頃の疑問を解決してくれそうなフレーズがたくさん散りばめられておりました。

私にとってクラシック音楽を演奏(いやいやまだまだ勉強)するうえで大切な言葉たちをまとめておきたくて

残しておくことにしました。

§ § §


ピアニストの赤松林太郎先生は、クララ・シューマン国際ピアノコンクールという権威あるコンクールで3位入賞という好成績を納められ、ピアニストとしての活動が始まりました。

このことをきっかけにピアノの留学が始まります。

赤松先生プロフィール


その留学の地での出来事が本にはたくさん綴ってありました。その中から、ピアノを弾く時に大切そうな言葉たちを少しご紹介致します。


留学先で師事されていたジャン・ミコー先生から、
以前の日本人ピアニストはとにかくメロディを際立たせようとしていましたが、それは違うということを指摘されたそうです。その時の言葉です。

メロディーよりもハーモニー(和声感)が大切で、ベースから音を積み上げてハーモニーを築き、メロディーはその上に乗せるものと考えている。

(中略)

「和音は歩くものだ。歌うものじゃない。ちゃんと一個一個の和音として歩く。ドミソ・ドファラ・シレソ・・・・歩くたびに景色が変わっていく。」
「左手で和音の足跡を残していけ。その足跡が、人間の感情の奇跡になる。」

『虹のように』道話書院 赤松林太郎著 より

和音にも一つ一つ意味があったりその上で進行していたりしていますもんね。
本当にこれはそうだと思わされました。
私も生徒さんのレッスンではこだわってバスティンのテキストを使用しています。和音に対するこだわりからでした。

西洋音楽が発展する前にグレゴリオ聖歌があった時代、音楽が2声体、4声体だったりしました。(メロディを歌うということはもっと前から行われていたでしょう)
ここで声部が生まれたことによりきっと和音が生まれ、そこにメロディが乗ったのだろうと考えます。グレゴリオ聖歌などを聴くとメロディが主でそこに和音を付けながら音楽が発展していったという流れではないことが想像できるので、和音(和声)の意味をよく捉える必要性を感じます。
そうでなければ、和声学とか習う必要がないですものね。あくまでも西洋音楽においてです。
現代はまた違う音楽の作り方があると思います😊

そんな意味で、メロディーを重視しただけの弾き方ではなく、内声や和声の意味、響きに耳を傾け演奏することが大切だとよく言われますよね。
難しいですけどね。。


また、赤松先生はピアノの留学中
リストの演奏者としての第一人者であるピアニストのフランス・クリダ先生についてレッスンも受けていらっしゃいます。
その頃にクリダ先生からよく言われた言葉が、

「技術というものは音楽の下僕なの。弾くことがどんなに上手くなっても、音楽がなかったらいけないわ。音楽をするための手段として技術がある。技術に執着してはいけない。音楽があるから技術があるのよ」。これは当時の僕には堪える指摘だった。

『虹のように』道話書院 赤松林太郎著 より

これも、本当にそうだよな。。と思わされました。上手な人の演奏を参考のために聴いたりする時に、技術で弾いているか、心で弾いているかの違いがまず1番に伝わってくる気が致します。

ただ、これはとても技術を習得なさった方々の言葉であることに気を付けなければなりません。
裏を返して読めば、ピアノには技術も音楽も要りますよ!と言ってくれています。その上で技術より音楽が大事だということを忘れずにいようと思います。

さらに続きます。

「上手く弾けていても、あなたはただのピアニスト。アーティストではありません。」
そう言われた時はさすがに耐えきれず、クリダ先生に食ってかかった。
「ではいったいアーティストって何ですか?」
「C'est la vie. 人生よ。」
(ピアノを奏でるということが)「リンタロウであることにおいて、リンタロウを超える人はいない。」ずっしりと胸にのしかかる一言だった。


『虹のように』道話書院 赤松林太郎著 より

ここまで言い切れる音楽を私は演奏できるでしょうか?
私には、歩んできた道のとおりの音が残念ながら今はここにあります。
5年後、また今とは違う音楽が演奏できるよう
ただ、今はもっと精進。精進。


また、強弱などの記号についてこのように赤松先生は次のように述べられています。

音は音量のみで構成されているわけではなく、必ず音質が関与する。むしろ、その音質によって音量が自動的に決定されるともいえる。そうなってくると、なによりも一音に対するイメージが強烈に問われることになる。記号とは僕たちにイマジネーションを求めるものなのだ。

『虹のように』道話書院 赤松林太郎著 より

子どもたちに日々レッスンする中でも、本当にこれを大切にしています。
始めはクマさんやネズミさんのカンジで弾こうか?とこちらから提案して弾かせておいた強弱記号も、記号の意味を教えるころには、前後のフレーズや和音の流れからこの部分でどんなことを感じるか問い掛け、(強弱記号についての問い掛けだけに限らず)どういう音量で弾くのがいいか自分で考えてもらいながら、生徒さんの中にその曲に対するイメージをたくさん広げてもらいます。
和音が進行している小節と小節の間や拍子感、リズム、テンポ等そんなものからどんなことを感じるか問い掛け、思った事を色や柔さなどの質量等で具体的に言葉にしてもらい、それを音にしてくるよう宿題にします。自分の中にある想像する音(もしくは、想像するのがまだ難しい生徒さんの場合には、私が見本で示した音)と動かす側の音が一致する腕や指先の使い方を徹底して探させます。一人ひとりにとって技術を身に着ける上で感じ方がそれぞれ違う部分があると思いますし、自分が思った音というものをピアノで音にできなければ演奏する意味がないと思うからです。
この問い掛けが通じ合うようになった生徒さんは本当に表情豊かに演奏ができるようになってきていると少なくとも私には思えます。

音楽は表現するということが大切だと思うのですが、ただそこばかり追い求めても生徒さんが辞めていくこともしばしばでした。その間にあるものにも目を向ける必要性も感じます。

ただ、このやり方でも良かったのかも知れない。。と本を読みながら思えた事に1番感謝を致します。

(ただし、息子たちにはここを排除してきてしまいました。早く弾けるようにさせたいという私の欲で気づけば技術のみ徹底的に仕込もうとしてきていたんだと今は思います。自分で感じ考えるこのプロセスがかなり重要だと感じます。)



この方法に辿り着いたのは、他でもありません。あの愉しみながら楽器を弾いていたバンドにいそしむおじさま方を見ながらそう思わされたからでした。
私の周りで1番音楽を愉しみ、1番音楽を語り合い、演奏するおじさま方の音楽が1番活きいきとしたもので、内面から訴えかける演奏・音楽は私の中には無いものだったのです。その違いに気付かされたときは衝撃でした。

内側から訴えかける演奏これを生徒さんにもできるようにさせなければ。。その解明について必死で試行錯誤しながらレッスンに取り組みました。それが若い頃の私のテーマでした。

人生って何が繋がっているのかわからないものだな。。と時々思います。


そんな私の話より💦赤松先生の本、オススメです。




今日も一時通過点として明日に繋がっていける1日でありたいものです。


あなたの周りにはどんな音楽がありますか?


今日もあなたの心に音楽を。

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