「虚々実々也我私篇」

「虚々実々也我私篇」村山かおりの心の夜
二篇 シェアハウスと芝居

この作品は、【虚構と事実】を織り交ぜた物語です。

むーさんと出会ったのは当時住んでいたシェアハウスだった。

一軒家を改築して作られたシェアハウス。
一階にはキッチンとリビングルーム。トイレに風呂。部屋は3つ。2階は部屋が4つにトイレ。
私が住んでいた部屋は少し特殊で、階段の下の僅かに出来たスペースに無理やり作られた狭いと言うより「小さい」部屋。ベッドががあってテレビが置いてあって。それ以上物が置けないほどの「小さい」部屋だっが、私らしいなと思いその部屋にした。とてつもなく家賃が安かったと言うものあるが。
だが、1つだけ厄介だったのが「窓」がなかったコト。朝日を見ることも夕焼けから夜の帳を感じるコトも出来ない。風も感じるコトが出来ない。雨音も聞こえない。一日の流れが感じられない部屋だった。独房のような部屋だった。
仕事もしていたので一日中その部屋で過ごすコトは休みの日位だったが、一日中その部屋にいるのは耐えられなかった。心が苦しくなる。
なので寝る時間以外はほぼリビングにいるような生活だった。
後に知るのだが、住人からは「リビングの主」と呼ばれていたそうだ。
そんな生活もあってか、自然と管理人的な役割を押し付けられた。正式な管理人はいる、大谷(おおたに)さんと言うシェアハウスのオーナー。だがこの人、住んでいる家から遠いせいかほぼ立ち寄らない。新たな入居者が来る時だけは来てたが、それも何故か私に投げるようになった。別に報酬が貰えるわけでもないが、断る理由も見つからなかった。いや、断れない性格もあるか。

全く関係ない話だが、大谷さんは住人から大家さんと呼ばれていた。
大谷(大谷)さんの大谷をおおやと読めるのとオーナーの大家さんをもじって。
ほんとにどうでもいい話か。

私はシェアハウスオープン当初からの住人の1人で、当時は私より少し早く住んでいた高田さんと言うおじさんと2人で住んでいた。その頃はお互いが何となく汚い所を見つけた人が掃除したりが出来たからよかったが、そのうち出入りが多くなってきたらそうもいかなくなってきた。人が多ければ共同スペースの利用も多くなるし、人によっては雑に扱うコトもある。短期入居者か多かったので、共同スペースに簡単なルールは張り紙をした。誰もが出来る簡単なコトを1つ1つ。直接言うと角がたちそうなコトも張り紙なら見てくれる、それが意外と役立った。

そしてもう1つ。
コレは私の中での約束事。
「人の詮索はしない」
入居した時の大谷さんや先にいた高田さんは、ほとんど私の素性には触れて来なかった。
聞かれても上手く躱していただろうが、その感じが心地よかった。だから私も、
「人の詮索はしなかった。」

1年ほど経つと中長期入居者も部屋数の半分くらいを占め、短期入居者の出入りも多くて、満室な時な時の方が多かった。
シェアハウスは全てが個室というのもあってか女性の入居者もたまに居た。
そんな中むーさんは入居してきた。
その時はもう大谷さんから丸投げ状態だったので私が入居に当たっての簡単な書類作りやルール等を説明していた。
むーさんは快活で明るい印象だった。人当たりの良さを感じた。大概ルール的な話をするとつまらなそうだったり聞いてはいるがスルーする極端な人もいたが(短期入居者は特に。それが当たり前とは言わないが鬱陶しい話でもあるだろいう。)むーさんはしっかり聞いてくれた。

「リビングの主」たる私は(そんな自覚は全くなかったが)仕事終わりから寝るまでの間は文字通りリビングで過ごす。玄関に最も近かったし2階に上がる人も、一階に住んでる人もリビングは必ず通る。私もそれほど人付き合いが良い方ではないが、帰ってきた人に何も言わないのも気持ちが悪かったので、お帰り、とだけは声をかけていた。そのまま素通りされても気にはならない。だが、ただいまと返してくれる人や立ち止まって世間話するような人もいて、次第に楽しくなっていった。
むーさんも足を止めてくれた1人。
雑談を繰り返すうちに自然とラーメンの話をしてくれて、それでラーメン好きなのを知った。ラーメン話が多くなるにつれ、お互い好きなラーメン屋をシェアしていくうちに、じゃあ行ってみようか?となり、たまに2人でラーメン屋に繰り出しては食べ終わった後の感想会であーでもないこーでもないと話すのが増えた。だが、私の約束「人の詮索はしない」によってむーさんの私生活のコトなどは聞かなかった。だが、話す機会が他の入居者より多くお互いのコトを話すコトはあったから、他の人と比べると少し特殊だったのかも知れない。

いろんな人が出入りしていった。
様々な人々が住み、食事を作り、風呂トイレを使い、話す人もいれば話さない人もいて。
それでも日が暮れて、翌日には必ず朝が来る。

そしてむーさんもシェアハウスを出るコトになった。
「人の詮索はしない」のだが、むーさんには連絡先を聞いた。
ラーメン仲間だから。ただそれだけ。

そして月日が流れて私もシェアハウスを出るコトになり、一人暮らしを始めた。
そんな頃にむーさんから連絡が来て、劇団の養成所に入って役者をしていると聞いた。
全く知らなかったから驚いたが、意外だとは思わなかった。
それからは公演の告知を貰って、観に行ける時は足を運んだ。
それからまた、ラーメン屋通いも再開した。

そのラーメン屋の帰り道。
腹ごなしに公園のベンチに座り何事もない雑談をする。前から思っていたがむーさんは優しい人だ。お父さんに必死に追いつこうと泣きながら走ってる子供を見ながら、
「お父さん気づいて欲しいなー」
なんて言葉が息をするかのように出てくる。
深読みしなくても垣間見えるその人の根っこ。それが合うから、続いているんだろうな、とも思う。
だがその時、その根っこからいつもと違う何かを感じた。なんだろう。言葉にできない思いが過ぎったが、直ぐに周りの喧騒に紛れ込んでいなくなった。

その後お茶をしようと私がむーさんを連れ出す。ファミレスがあるのを思い出して寄ったが、そのファミレスは無くなっており、代わりに限りなくファミレスに近い喫茶店に変わっていた。良く来る街だが、最近変化が激しく、ココも変わったのかと少し寂しくなった。
だが、新しい店だけあって店内も綺麗そうだし、入店する。

いつも通りのむーさん。
いつも通りの笑顔。
いつも通りの仕草。

雑談では久しぶりにシェアハウスの話になり、むーさんと同じ時期に住んでいた女性入居者「かよちゃん」の話も出た。短期滞在のイタリア人と壮大な恋に落ちるも、イタリア人はその時限りだったようで、壮大な失恋も同時に経験し、しばらくリビングにも顔を出さなかった話しやら。
前回観たお芝居の話の後、コロナの話になった。コロナ禍の中での役者活動はさぞや大変だったろう。共演者の中にウィルス陽性者が出て中止になった公演もあったそうだ。どこもかしこも公演の中止や延期が相次いだ。

コロナ禍で生きていくのも大変だったそうだ。
収入源の働き先が飲食店だったのも拍車をかけたようだ。
飲食店での会食がコロナ蔓延の要因になったとして飲食店にはかなり営業制限がかかった。時短に終わらず、休業要請もあった。
そのおかげでどれだけの飲食店が店を畳んだか。職を失った人がいたコトか。
特に東京は感染者の数も多いコトもありかなり強めの制限や要請があった。だが、それに対しての補償金も雀の涙ほどだ。国民に「お願い」をするだけして、あとは自己責任このように振る舞う。
日本のコロナ対策は歪に感じた。

自由を選ぶとそれに付きまとう不自由。
それは不条理だったり理不尽だったり、言葉は人それぞれ。むーさんからもそれを感じた。
いろいろなコトを語ってくれた。楽しいや面白いと感じるコトと同じく、そういったアンバランスの中で役者を続けている。葛藤を抱えて孤独を抱え、それでも続けている。生きている。

むーさんの表情が曇る。
何かを言いたいような、言いたくないような。
心を開け閉めしながら声にならない声が漏れる。初めて見る表情に戸惑った。直ぐに言葉が出ない私。言葉にならない思いを私も抱える。絞り出したものの「何?」しか出なかった。
シェアハウス時代の約束事が過ぎったのもある。だがこの時は素直にこの言葉しか出なかった。
それに対してむーさんはしばしの間の後、「いや、なんでもないです。」と返すのみ。
彼女の中で何かが「揺れている」。

努めて「普通に気になる」と聞いても、そんなに大したコトではないと逃げられる。
葛藤だけは読み取れた。悩んでいる、困っている。
深入り出来ない私の根っこが顔をもたげる。聞きたいコト知りたいコトが沢山あるのに、それを言葉に出来ない。笑顔で誤魔化す、普通を装うしか出来ない自分が歯がゆいと言うか嫌いだった。それでも少し食い下がったが、結局「いや、いっかな。今はやめときます。」との言葉しか引き出せなかった。

聞き出せない自分。
話さなかったむーさん。
言えなかったむーさん。
最近の話しやら何気ない会話を続けるが、それは少し前の会話ではなく、まるで言葉を繋げただけのように思えた。それはお互い様だったろう。私じゃなければ言えたのか、私だから言えなかったのか。語りながらも、何かに引っ張られる。いや、押さえ付けられる。

そしてまたコロナの話に戻る。
むーさんが、全てコロナのせいにしよう。と言った。私もそれが出来るならそうしたいコトが山ほどあったからそれに乗っかったが。
それは、希望なのか、逃げなのか。ふと過ぎる先程のむーさんの表情。
「来年はもっと良くなるといいね。」
いつものむーさんの表情に戻った、ように思えた。戻ったのか、戻したのか。
「今日は言いたいコトがあったんですけど、でもそれは来年に言います。よし決めた。そうします。」
来年への希望を口にしたあとの言葉。

それは本当に希望なのか。
絶望の中にある一筋の光なのか。
すがりついていたモノが脆くも崩れるかもという想像はしないのか。

私だって不安だしどうしていいか分からない。だが、希望は持ちたいが、持ちたいのは希望なのか?
私こそ絶望に打ちのめされてノタウチマワル哀れな人間では無いのか。
私もむーさんに伝えたい言葉があったんじゃないのか。

心が、揺れる。揺れる。揺れる。

と言うコトは、来年も会えるのかと強がって返すと、笑顔でまた芝居のDM送るんでと軽口で返すむーさん。
人の心に触れるのは、自分の心にも触れるのと一緒。触れられるのと一緒。
むーさんは結局何を伝えたかったんだろう。私の心に触れたとして、何を選択したんだろう。


帰り道ふと思い出した。
何か私が話したいコトはないのかと振られた。生活のコトでもいいし、政治の話でもいいし。
咄嗟に出てきた言葉は私の話ではなく、
「幸せ?」
と言うむーさんへの投げかけだった。
少しの間の後、もの悲しげにも見える笑顔で、

「それを聞かれると、ちょっと痛いかな。」

[完]

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