【演劇ワークショップ】稽古場日誌⑲

【演劇ワークショップ】
play room第3期
稽古場日誌
「役者とは、演技とは」
第19回 頭と心と身体


発表会前、最後の稽古。
いつものように質問コーナーから始まり、リラクゼーションからのリピテーション。

発表会ではリピテーションをやる時間はないので、今日が最後のリピテーション。

最後だからという感傷的なモノはなかった。
今日起きた時からあった強いエネルギー。
悲しみ。
なんだろう、でもそれに支配される訳でもないし、それに心を持ってかれるコトも無い。
だが、そのエネルギーはものすごく大きかった。
だからリラクゼーションの時からほぼエネルギー全開だったので、今日はそれに素直に従おう、と思った。
次第に零れる涙も止める必要は無い。悲しみに、何も考えずに悲しんだ。
リピテーションでは同じく泣いている人に惹かれてその人とリピテーション。その人を選んだのも身体が動いたから。
エネルギー、身体、心に任せて。
終わって。最初の頃のような虚脱感に襲われたのも久しぶりだった。
呼吸も浅く動けない。ただただ深いそこに沈んでゆく感覚。そして疲れ。
最後のリピテーションがあれで良かったのかは分からない。
だが、コップの中身を3回くらい空にするコト感覚はあったし、相手も良く見れた。
エネルギーによって心体が動かされたのは事実。
正解より、自分の感覚を信じよう。
それと振り返りの時、共感と言う言葉を使ったが、交換と思った方があい、と教わった。そっか、渡して貰ってまた渡して、だもんな。
ものすごく納得した。

シーン稽古。
正直、やりやすい感覚を求めすぎた。リピテーションとキャラクターの統合。わかりやすい目的があるのに、それよりも自分の感覚でやってしまった。いい時の自分を追ってしまった。
振り返りからの2回目。
1回目よりは関係性、関わりが出来たように思うが、やはり納得はいかなかったが、出来ている所もあるのだから良しとしよう、で終わった。

その帰り道。
急に大きなエネルギーに支配された。
それは「悔しい」だった。
最近、元々自己肯定感が低すぎるので、反省はするも、出来ているコトを大切にしていこうと思って振り返りの発言でも前向きに、シーン稽古もできる限りいいイメージでやっていた。

だが、講師世莉さんに身体の使い方が出来ていない、と言う言葉がずっと刺さったまま、それには触れずにいようとしていた。が、やはり刺さった言葉は痛い。
痛さに耐えきれず、バスを待つさなか言葉に出てきた。
「悔しい」

身体的なトレーニングはほぼ皆無。
だから、何が出来ていないのかも分かっていないほど。
正直なところ、そこは私が触れられたくない場所だった。
逃げに逃げまくって、それでも何とかここまで来たが、見える人からすればそれは分かるコト。
刺さったなんて言葉は生易しい。
「えぐられた」

それを引き金にシーン稽古での至らなさが久しぶりに爆発。
何してんだろ、俺。
と、落ち込んだ。

1日空いてて良かったと思った。
空いてなかったら引きずったまま発表会に行きそうで怖かった。
あ、怖いもあったな。うん。

コレにどう向き合うか。
答えは分かっている。
向き合うしかない。
とことん向き合って、さらけ出すしかない。
今日明日で身体がなんとかなるコトはない。
だが、出来るコトはある。
今まで他のチームへの言葉、私への言葉、活かして臨む他ない。

と、腹括ったら急に眠気が来てあっという間に寝た。
起きて確認する。まー少し引きずってるけど昨日ほどじゃない。
今日1日使って、ゆっくり心と身体を労わってやろう、ほぐしてやろう。

もうなんにも考えない。
もうなんにもこだわらない。
最後に、手放そう。
俺を。



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