【演劇ワークショップ】稽古場日⑳

【演劇ワークショップ】
play room第3期
稽古場日誌
「役者とは、演技とは」
第20回 我流


中高と演劇部を経験して、高校卒業後役者を志して様々な劇団で演じさせて貰った。
だが、何処に行っても自分の居場所はなかった。
役者の才能がない、お前見てても無駄、役者やめろと言われ続けた。
そんな中で誘われたのが芸人の世界だった。半ば心も折れかけてたし、逃げるように芸人を目指した。
その時は、役者のような悔しさを味わいたくなかったから、古典から現代までの笑いの歴史から、突っ込みだったので言葉だったり、いろんなコトを学んだ。
とにかく必死だった。相方を面白くしたい、その一心だった。
笑って貰えるネタが増える度に嬉しかった。面白くなければ受けないし、面白かったら地鳴りのような笑い声が起こるシビアな世界だったが、そこにあるのはそのシビアさだけで、理不尽なコトはなかった。
だから心地よかった。
が、同時に逃げるようにして飛び出した役者の世界への後悔も日増しに増えていった。

そしてその思いは堰を切るように溢れ出し、コンビを解散し、また役者へ戻った。
理由はただ1つ。
やり切ってなかったから。

そこからはあらゆる現場に出させて貰って、現場で培ってきた。
当時もワークショップ的なコトをやっているユニット劇団さんもあったが、現場から得られるモノの方が大きかったから、純粋に学ぶコトはしなかった。

少し省いて。
今年で50歳になった。
48くらいから思考が止まって変にこじらせたくないと思って動いていたが、上手くいかず。今年の3月4月5月と連続して公演を終えた時に、正直不安しかなかった。
この先どうしよう。今の自分では通用しなくなってる気が強かった。何とかしたい。その気持ちが学びたいに繋がって、それと同じ時期にplay roomを教えて貰い、参加がか叶った。

何を得たいか、より、変わりたいという思いの方が強かったように思う。全くマイズナーテクニックなぞ知らなかったし、そこでも不安しかなかったが、追いつこうと必死だった。
そしてあっという間に半年間が経っての発表会。

発表会前最後の稽古の日に、身体が使えていないと言われた。
それが悔しくて悔しくて。
ワークショップのアーカイブ見直して、改めて思った。うん、確かに。
次は発表会。ここで身体がどうなるコトはない。この身体でやっていくしかない。自分だけでもこの身体を愛してやろうと思って挑んだ発表会。
結果、適当にも出来なかったし、反省も多かったが、やり切った。今出来るコトはやった。人がどうとか関係なかった。シーン稽古、ゲネ、発表会の3回は全てを出し切った。
講師世莉さんから言わせたらそーじゃない、と言われるかもしれないが、後悔はしたくなかった。

この半年でいろいろな経験をさせて貰った。いろいろな思い、感情と向き合ってきた。
そして何を得たか。
自分は下手くそで不器用なんだと改めて思い知ったコト。
そうなんだよな。俺はずっとそうだった。
講師世莉さんには完璧主義という言葉を使ってもらったけど、そうじゃない。ただ見栄っ張りで変なプライドが高いだけ。だから、必死に上手く見せようとしていた。だから、今までやってきた我流が、少しづつ歪になっていった。それが不安に変わって、自信が無くなった。

私は、役からその人の人生が透けて見える、そんな役者になりたいと思ってる。そんなんも久しぶりに思い出した。
だから我流でいいと思っていたし、久しぶりに我流でいいと思っている。
だが、学ぶコトで我流がもっと活きるのなら、もっともっと学びたい。そして同じく我流を極めたい。
どうせ私がやるのだから、私を通して役を作品を伝えたい。貢献したい。ならば、もっと私を大きくしなきゃ。
今度は学びながらも現場も経験して、自分と我流を成長させてたい。

原点に帰れたplay roomだった。
コレで少なくともあと5年は続けられる。
下手くそで不器用で身体も使えない。なら、そこを少しでも学びで解消出来るなら学んで、現場は学びを活かした我流で貢献したい。

変わったかな。そんなに簡単に変われたら苦労しないわ。
でも、自分の糧になる言葉は沢山教わった。
特にトライ&エラーには何度も救われた。
1年後5年後、10年後にあの年は良かったと思えたらそれでいい。

そして最後に。
久しぶりに楽しかった稽古場でした。

半年間。
この企画を3回もやってくれている主催の野村くん。
きっと困らせていたであろう私と向き合って下さった講師黒澤世莉さん。
アシスタントの皆さん。
発表会観に来て下さった皆様。
最後まで参加出来なかった人も含めて、一緒に学んだ参加者の皆さん。

本当にありがとうございました。
改めて、コレからも宜しくお願い致します。

梅﨑信一



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