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SF名作を読もう!(21)『誓願』

既に傑作とされている作品があるのに、敢えて30年以上経った後でその続編を書く必要があるのだろうか、と思う人もいるだろう。必要はあったのである、というか必要とされる時代が来た(来てしまった)のである。そしてその続編はある意味前作をも凌ぐ大傑作である。齢80近くにしてその仕事を成し遂げたアトウッドは凄い。しかも今作はむしろ若々しいのである。

前作『侍女の物語』はある意味ディストピア社会における女性の耐える物語、耐える強さと辛さの物語であった。1985年発表のこの作品において、アトウッドは60年代の変革の時代を超えても、実はそう変わっていない、女性の問題を描いていた。その時のアトウッドにあったのは将来への希望だろうか、あるいはこれが続くかもっと悪くなるという不安だっただろうか。この作品のラストを敢えてオープンエンド(どうとるかは読者に任せる)という形にして、アトウッドはまずは、世に問うこととした。そしてこの小説は大きな支持を受けた。その意味ではアトウッドの狙いは一つ成功したと言えよう。

しかし、2000年代に入り、10年以上も経過したころ、再び雲行きが怪しくなってきた。より具体的に言えばトランプ氏が政界へと進出し、彼を支持する人々が増えてきたころからである。既に古典的名作とされていた『侍女の物語』が再び注目を集めるようになってきたのもこのころからである。そしてドラマ化の話が進み、2017年から、放送が開始された。単行本のあとがきや解説にあるように、アトウッド自身もこのドラマには積極的に協力していたそうである(漫画原作ドラマの改変問題が日本では悲しい事件を引き起こしたのとはある意味正反対である)。その経験が、アトウッドに続編の執筆を決意させるきっかけになったであろうことは間違いないが、さらには時を同じくして、いわゆる「Me too運動」も起こった。年齢的にもそして自体的にも今こそ書かなければ、とアトウッドも思ったのであろう。しかし、そこで採用したアプローチというか構成は『侍女の物語』とはまた全く違うものであった(そこが凄い!)。構成的には『侍女の物語』は「侍女」の一人が足りであるのに対し、今作は1名の手記と、2名からの聞き取り記録が順番に出てくるという形になっている。そしてなによりも違うのが、先にも述べたように『侍女の物語』は女性の耐える物語、耐える強さと辛さの物語であったのに対し、今作はもちろん耐える強さと辛さも描かれるが、ある意味年齢(世代)の異なる女性3人の戦いの物語となっている。今、3名と書いたが、それはあくまで書いている、語っているのがこの3名であり、作品中には多くの戦う女性たち(もちろん男性も)が登場する。そしてその女性たちが、悲劇的な運命をたどる人物も含めて、皆魅力的である(前作では悪役として描かれていた1名も含めて)。これはあくまで個人的見解だが、結果的ではあるが、前作『侍女の物語』はある意味、その当時から見た未来を予見させたものとなった。であれば、今回は今の時代からみた未来を予見させる作品を書こうとアトウッドは思ったのかもしれない。であれば描くべきは耐える女性ではなく戦う女性たちだと。

『侍女の物語』から三十数年経ってこの『誓願』が書かれた。ではこの三十数年後にはどのような物語が書かれるか。我々はそれをただ待つだけではいけない。我々は行動しなければいけない。そう、「行動」こそが我々の「物語」なのである。


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