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第4部 XR論=空間論:「実存」から「実在」へ(11)

11.ファンタスティックな空間としてのVR(4):サイケデリック体験装置としてのVR

前節ではVRゲーム『Rez Infinite VR』について書いたが、その魅力の要因の一つにはそこに流れている音楽の存在があることも忘れてはならない。VRを考える際、我々は主に視覚のことを考えてしまうが、聴覚も大事な要素である。バーチャル美少女ねむ氏の『メタバ―ス進化論』(2022)によると、視覚と聴覚しか再現されない現在の一般的なVR体験中に、本来感じることのないそれ以外の様々な感覚を感じてしまうことを「ファントムセンス」といい、多くのVR愛好者がそれを感じているという。「落下感覚」がその代表的なモノであり、ほとんどの人がそれを感じるが、それ以外にも風や温度や味、さらには触れているという感覚も生じるらしい。しかし、ここで注目したいのは、これらの現実の世界においても感じることのできる感覚ではなく、むしろ現実世界では体験できないような感覚の方である。その「感覚」を感じるために人間はこれまでも様々な手を使ってきたし、今後も様々な手を使っていくであろう。そしてその一つの手段として期待できるのがVRに代表されるXR装置である。

音楽、特にビートの反復もこのような現実ではなかなか味わえないある種の浮遊感を感じるための装置の一つである。バリ島のケチャックなどがその代表であるが、古来から人々はいわゆるトランス状態に入るために音楽、特にリズム、ビートというものを使ってきた。近年ではいわゆるクラブカルチャーがそれに相当するであろう。クラブカルチャーはドラックカルチャーと一緒に論じられることが多いが、しかし、クラブミュージックはドラックに付随するもの、ドラッグを補佐するものなどでは決してなく、人は音楽だけで、クラブミュージックだけで十分にある種の感覚に到達できるのである。ドラッグを使うなどというのはむしろ未熟な者だからであろう。聞くことに集中できない、すなわち雑念が多い、すなわちモノになりきれない者たちがドラッグというものに手を出してしまうのである。そう、大切なのはやはり「モノ」になるという感覚であり、そのためには邪念(意志、思考)を捨てさらなければならない。そのための一つの手段が音楽(ビートとリズム)なのである。「モノ」になるには「目」「視覚」はむしろ邪魔な存在である。目を閉じてビートに身を任せること、繰り返されるリズムとビート(しかしそこには絶妙なずれ、ポリリズムがある)に合わせ、体を揺らすことが大切なのである。

しかし、先に「「目」「視覚」はむしろ邪魔な存在である」と書いたが、それはあくまで見るもの、目に見えてしまうものが、そしてそれが既に人間中心のこの世界において意味づけられてしまっている現実の世界の場合においてである。この「見るもの、目に見えてしまうもの」=意味づけられてしまった「モノ」を何とかして現実のものから逸脱したものとしたい、「モノ」を「モノ」そのものとして見たい、として始まったのが、私見ではあるが「サイケデリック」というムーブメントであると言えよう。サイケデリックは世界をゆがめる。視覚をゆがめる。動いていないものでも動いているようにするし、色彩もよりビビットなもの、自然界ではありえないようなものに置き換える。そうすることによって、自分というものを、自我というものをも含めて世界をモノ化=ビビット化=ありえないもの化しよう。そしてそのモノの強度にあふれた世界の中で、自らも「モノ」の視点で世界をみてみよう、そうすることが人間はできるはずであるし、そうすることで人間は拡張する(意味づけられた人間、定義づけられた人間という存在を超えて「モノ」に近づくことができる、というのがサイケデリックの思想であり表現であったと言えよう。もちろん、サイケデリックカルチャーもドラッグカルチャーとは切っては切り離せないものである。しかし、これも先に述べたように、それはドラッグを使用することでその世界に没入しやすいから、手軽に没入できるからである。

しかし、今の時代はどうであろうか。今や我々にはVRというものがある。それを使うことで、それを使ってこの世界にあるものを超えたファンタスティックな視覚体験と音楽とを組み合わせることで、我々は、今やドラッグ抜きでもサイケデリックな体験をすること、その世界に没入することができるようになったと言えよう。もちろんまだここにもドラッグが介入してくる可能性は高いし、それを利用しようとする(VR体験をドラック体験とつなげようとする)輩(やから)もいるだろう。そして、さらに言えば、ドラックを使わないとしてもサイケデリックな世界に入ってしまうこと自体が果たして精神的にいいことなのか、健康的なことなのかについても、まだ議論の余地があるであろう。ここではその議論には深入りしないが(しかし、筆者がドラッグに対しては「ダメ、絶対」の立場であることだけは述べておくが)、ここではSTYLYで公開されているそのような取り組み(サイケデリックカルチャーのVRへの取り入れの試み)の一つと考えられる Miguelangle Rosario氏の「 WDBR 2020 v7.0」及び氏の一連の作品を紹介したい。言葉を超えた世界を体験させることがある意味サイケデリックの狙いであるので、これについてはとやかく言葉で説明するのは野暮であろう。ご自身の目で、体で体験して判断していただきたい。

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