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9mmが事務所独立しなければならなかった理由と分析

皆さんの推しアーティストは、どんな事務所に所属していますか。ブリの知っているアーティストの大半は、誰もが知っている大手から、個人で運営する事務所まで、さまざまな形態で所属しています。かつては事務所の力で決まっていた音楽の世界は、世代交代、多様化するメディア、アーティストたちの多様な価値観により、方向性が細分化されました。年々増加するアーティストたちの独立活動で、事務所のあるべき姿勢、働き方を見直す動きが活発になっています。「独立」とは、アーティストが所属していた事務所から離れて、彼/彼女がフリーとして活動することです。活動運営をアーティスト自身、またはスタッフとともに行います。

ブリの推しアーティストたちは、大手の事務所に所属していたり、個人で設立した事務所を運営しています。ブリの推しロックバンドである9mm Parabellum Bullet(以下9mm)は、個人事務所に所属しています。2013年6月30日に以前の音楽事務所から独立して、個人事務所「Nonet」(ノネット)を設立しました。事務所名は、9mmのドラマー、かみじょうちひろが命名しました。由来は演奏形態の一つ、「九重奏」を意味します。「9」にこだわる9mmらしい名前です。2022年でNonetは設立9周年になりました。その記念すべき年には、ボーカリストである菅原卓郎が事務所の社長に就任しました。9mmファンの間では驚きの声が上がりました。

9mmの個人事務所「Nonet」(ノネット)のロゴマーク。

9mmは以前所属していた事務所、「残響レコード」から離れました。9mmが2004年から2013年まで所属していた、音楽事務所です。残響レコードは、9mmの他に、ポストロック系のバンドが所属していたインディーズレーベルです。「尖った音楽を大衆に知らせよう」とする目的で、2004年にロックバンドte'(テ)のメンバー、河野章宏によって、レーベルが設立されました。2000年代後半の邦楽ロックシーンで、同事務所に所属していたバンドたちが盛り上げました。同事務所のバンドたちが演奏するポストロック作風は、邦楽ロックファンから「残響系」と呼ばれました。当時所属していた9mmはその一組でした。

インディーズレーベル、残響レコードのロゴマーク。9mmは2004年から2013年まで所属していた。

9mmは河野からの誘いで、残響レコードの事務所に所属し、同レーベルから作品を発表しました。メジャーデビュー後も、河野は9mmの作品のプロデュースに関わりました。9mmは次第に知名度を上げて、ライブコンサートを重ねて、多くの代表曲を作り出しました。そして、バンド名に重なるように偶然、9mmはバンド結成9年目の時に事務所を設立し、独立を発表しました。当時の9mmファンは、発表時には期待と不安が混じった様子でした。9mmは、「音楽活動をより自分達らしく責任を持ってやっていきたい。初心に返り、9mmと言うバンドを今まで以上に楽しみたい」と、独立した思いを語りました。
この記事では、なぜに9mmはかつての事務所から独立する必要があったのか、理由をまとめて、分析しました。この記事での内容は、あくまでもブリの独自研究なので、本人達の意図とは一切関係ありません。


★バンド成長とともに芽生えた自立心

はじめに誤解されないように書きますが、9mmは決して、残響レコードに不満があって、独立したわけではありません。事務所独立は容易に行えません。事務所は多くの投資をアーティストにしてきたので、安易に人気コンテンツを手放せるわけがありません。お互いの話し合いを穏便にやらないと、泥沼になっていきます。下手すると、独立が難しくなったり、事務所から離れると仕事が減る状況になってしまいます。独立とは、自分の進路が確かになっていくことで、生まれる決意です。単なる反乱ではありません。
9mmは2004年の結成時、メンバーだけで活動スケジュールを組んでいました。しかし、メンバーだけでは限界があります。大学時代にバンドを始めたメンバーたちは活動資金が少なく、苦しいばかりでした。ある日、ライブハウスでデモCDを配布したり、演奏していたところ、残響レコードのスタッフにスカウトされて、バンドは残響の事務所に所属しました。9mmメンバーは残響の社長である河野との話し合いに対し、「うさんくさそうだったけど、河野の情熱的な姿勢を見て、信じてみることにした」と語りました。バンド運営を残響スタッフ、ライブハウスで出会った9mmスタッフが行うことになりました。事務所の仕事は、バンドのスケジュール管理、ライブコンサートの企画、作品のプロモーション、メディア出演の交渉、グッズ制作、ファンクラブ運営を行います。バンドとマネージメント契約して、事務所はバンドに給料を渡します。ちなみに当時、9mmにはファンクラブがありませんでした。後に個人事務所とともに、「9mmモバイル」なるファンクラブのようなサービスが設立されます。
9mmは、残響のマネージメントのもとで本格的に活動していきました。2006年にロックバンド、RADWIMPSのライブツアーで対バン相手に指名されました。これが転機を迎えました。当時人気が高まっていたRADWIMPSからの相乗効果により、対バンをきっかけに9mmのファンが増えて、初めての9mmのワンマンライブは売り切れました。9mmはこれ以降、飛躍していきます。メジャーデビューして、作品が広まり、数々のバンドの代表曲が生まれていきます。そして、初めての全国ツアー、武道館、アリーナと、ライブ動員が増えていきました。

残響レコード所属当時の9mm公式サイト(2007年頃、インターネットアーカイブより)

9mmはもはやレーベル内で盛り上がっているバンドから、邦楽ロックで名を上げたバンドとして、バンドは成長していきました。そして、経験を積んだバンドは、結成時の思いを振り返るようになります。かつて資金と士気がなかった大学時代の9mmメンバーは、メンバー自身で運営していくのが精一杯でした。そして、成長してきた9mmメンバーは周りのスタッフから支えてもらった「恩返し」として、自立を決意したと思われます。上記の独立への思いで、「初心に返り」という言葉から、その気持ちが見えます。仕事が昇格していくと、次第に仕事が淡々となってしまいます。淡々と与えられた仕事をしていくと、周りに支えてもらっていることを当然に感じて、感謝を忘れやすいのです。人間は自分の力で試したいと思うようになり、いつか自立していくものです。9mmの独立は、バンド成長のしるし、周辺の人々への恩返しでもあるのでしょう。


★邦楽ロックを取り巻く環境とバンドの変化

9mmが名を上げてきた、2000年代後半の邦楽ロックシーンは、優れたバンドたちが現れて、小さなバンドブームが起きていました。若き9mmと同じ、残響レコードに所属していたバンドの音楽性が話題になり、それらのバンドは「残響系」なるジャンルで呼ばれました。邦楽ロックシーンはさまざまなジャンルが生まれて、盛り上がりました。優れた作品が生まれる一方で、音楽CDは次第に売れなくなっていきました。1990年代の邦楽シーンのように、ミリオンセラーが出にくくなりました。2010年代から、音楽配信の展開により、音楽CDなる、形あるメディア媒体を持つことより、デジタル媒体で持つことが便利だと思われるようになりました。そして、音楽CDも、音楽配信も縮小していった大転換点は、音楽サブスクリプションサービスの登場でした。もはや、音楽を実物やデジタルデータで持つより、インターネットでいつでもどこでも手軽に聞ける環境へ変わっていきました。
そんな音楽メディアの革新的変化で、若き9mmがいた残響レコードも、レコード会社も、大きく変わっていきます。残響にとっての大打撃は、音楽CDが売れなくなることでした。残響に所属するアーティストたちがどれだけがんばっても、時代の変化にはかないません。残響が運営していたCDショップは閉店しました。レコード会社は当初、音楽配信には消極的で、ようやく配信に力を入れるようになりました。音楽CDによって経済が回っていた邦楽界は、音楽サブスクリプションサービスの到来によって、従来の売り方が変わりました。
小さなバンドブームで盛り上がっていた、邦楽ロックシーンは新たなブームで途切れました。2010年代前半に、AKB48を中心としたアイドルブームが来ました。邦楽ロックは、アイドルの影に埋もれるようになりました。この波は残響、9mm自身にとって、さらなる脅威でした。残響はスタッフと業務の削減に追いこまれました。このままでは事務所ごと、バンドは巻きこまれて終わっても、おかしくない状況です。そこで、バンドは今までの運営を刷新するしかないと、決断したと思います。バンドが落ちこんだ時こそ、試練の始まりです。今まで築いた運営との関係を整理して、バンド活動を続ける方向を考えました。2013年に個人事務所を設立し、2016年にレコード会社を移籍、自主レーベル「Sazanga Records」を設立しました。自主レーベル設立について、ボーカリストの卓郎は、「音楽に集中するため」と語りました。事務所設立について、「メジャーレーベルでは不自由があったわけではなく、自分たちで自分たちを面倒見て、自分たちでできることを把握するため」だと語りました。バンド自身の可能性と進路を見つめ直すための独立だと思いました。

9mmの自主レーベル「Sazanga Records」(サザンガレコーズ)のロゴ。由来はかけ算の3x3=9(さざんがきゅー)の響きから。ドラマーのかみじょうちひろが名付けた。


★もしも独立しなかったらバンド活動は絶望かもしれない

ブリから見て、バンドの自立心、邦楽界の変化、バンド運営の刷新によって、9mmは運営の方向を変えることを決断したように見えました。ここまでの分析で、9mmは事務所を独立しなければならない状況だと考えました。もしも、9mmが残響にいつづけていたら、違っていたと思うかもしれません。しかし、やはり絶望的な方向に行くと思われます。予想していた3つの結末を考えました。
一つは、残響にとって、9mmの存在が負担になる可能性があります。人気が伸びて、存在が肥大化するバンドを見て、残響はますます期待と焦燥感を持ってしまいます。なぜなら、他バンドが売れず、9mmに注目が集中してしまうことに悩むと思います。残響は他バンドに期待して、あれこれ求めるようになって、残響は疲弊してしまうかもしれません。
二つ目は、事務所とバンドの共倒れです。もしも、残響が9mm頼みの売り方で続けたら、9mmは音楽活動が自分たちの思うようにできずに、事務所が求める音楽の方向性でもめるかもしれません。最悪の場合、事務所内で内紛が起きるかもしれません。内紛により、他バンドに飛び火するかもしれません。内紛の果てに、9mmは独立できず、泥沼の状況になってしまうかもしれません。そして、残響とともに衰退を迎えても、おかしくありません。
三つ目は、やりがい搾取の果てに、事務所がバンドを切り捨てる可能性があります。残響が9mmや他バンドにあれこれ企画を作って、どこまでも9mmたちに押しつけて、所属バンドは反発を起こすかもしれません。反発によって、バンド活動に支障が起きて、下手するとバンドが事務所の手によって、強制解散になることがあり得ます。
あくまでもブリの予想でした。結局、かつて名を上げた事務所にバンドがいつづけても、良い点はないと思います。バンドと事務所のやりたいことですれ違ったり、活動のテンポがうまくいかない可能性があります。事務所に多くのアーティストが集まっても、全てのアーティストを売れるように運営するには難しいです。なぜなら、アーティスト自身は自己表現をしたい気持ちが強く、与えられた活動を淡々とやるわけにはいきません。普通の職場と違って、音楽活動は特殊な環境です。近年増加するアーティストの独立は、自己表現の自由を求めるゆえの変化です。


以上、9mmが事務所を独立しなければならなかった理由と分析でした。バンドの自立心による恩返し、邦楽界の変化、運営の刷新によって、バンドが独立していったと考えました。
9mmの独立から思ったことは、バンド自身が自立心を持って、自分たちで責任を持っていく姿勢に頭が下がりました。結成当時はなんとなく活動できる意識だった、9mmメンバーが自主的な姿勢を持ち始めて、ブリはさらにバンドを応援していこうと思いました。社長として、9mmメンバーとしての卓郎の活躍を祈っています。
それから、ブリは残響レコードに感謝しています。このような素晴らしいロックバンドを発掘したスタッフに関心しました。9mmが邦楽ロックファンに広く知られて、ブリはうれしいです。残響にいたアーティストたちは、事務所からばらけてしまいましたが、彼/彼女は今もがんばっています。音楽CDが売れない時代でも、音楽を求める情熱は、今も生きています。
邦楽界は、人材の循環を変えないと、文化が滅びて、優れた人材が現れなくなるかもしれません。事務所からの独立は、従来の企業運営の崩壊と、自由の始まりです。

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