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初期チャゲアスにミュージックビデオが作られた理由と分析

皆さんは、邦楽ポップスデュオ、CHAGE and ASKA(以下チャゲアス)のミュージックビデオを見たことありますか。
彼らのミュージックビデオは、シングル曲、アルバム表題曲のものが制作されました。歌うメンバーを写した迫力あるもの、楽曲の世界観を描写したドラマ仕立てのもの、メンバーが歌って踊るものまで、おもしろいものがあります。
チャゲアス名義の楽曲だけではなく、2人のソロ楽曲、バンドのMULTI MAX、デュエットの「石川優子とチャゲ」の楽曲にも、ミュージックビデオが作られました。

現時点で、チャゲアスのYouTube公式チャンネル(こちらからどうぞ)で見ることができるミュージックビデオで、最も古いのは1984年のシングル曲『MOON LIGHT BLUES』です。さらに、このシングル曲と同時期に発売された、石川優子とチャゲの楽曲『ふたりの愛ランド』、『渚の誓い』にもミュージックビデオがあります。

CHAGE and ASKA『MOON LIGHT BLUES』(1984年)


石川優子とチャゲ『ふたりの愛ランド』
そのカップリング曲『渚の誓い』(1984年)


そして、チャゲアスの代々木ライブ映像作品『Good Times』に、アルバム曲『RAINBOW』のミュージックビデオが収録されました。初めて作られた、アルバム曲のミュージックビデオです。1984年に、合計4本のチャゲアス関連のミュージックビデオが作られました。

CHAGE and ASKA『RAINBOW』(1984年)

ブリはふと思いました。まだインターネットもなく、映像を見る機会が限られた1980年代前半に、どうしてこれらの楽曲にミュージックビデオが作られたのか。有名アーティストのために、費用をかけて、映像を作るのは分かりますが、デビュー5年目の新人の彼らのために費用をかけて、なぜ映像が作られたのか、気になりました。彼らの活動記録本や雑誌インタビューで調べても、明確な理由は分かりません。理由が分からないままで終わるわけにいかず、ブリが調べていきました。

この記事では、初期のチャゲアス作品に、なぜミュージックビデオが作られたのか、ブリなりに分析してみました。すると、ミュージックビデオを制作する重要性、当時の音楽媒体に関する背景が見えてきました。あくまでも、ブリの独自分析なので、アーティスト本人や制作スタッフの意図とは一切関係ありません。



♪音楽チャンネルをきっかけに映像作品増加

1980年代前半の邦楽は、音楽、ライブコンサート、テレビの音楽番組、ラジオ番組でアーティストを広めていました。アナログレコードとカセットテープに記録した音楽だけで、アーティストの世界観を表現するには、もの足りないと思われ、新たな表現方法を考えるようになりました。強く考えたのは、「映像作品を充実させること」です。
日本の音楽文化が成長していく一方、世界ではある音楽専門チャンネルが生まれました。アメリカで1981年に、音楽専門チャンネル「MTV」が設立されました。MTVでは多くのアーティストたちのミュージックビデオが放送されていました。

MTV、1980年代のアメリカ版ロゴマーク

日本では、MTVはテレビ番組のコーナーとして、放送されていました。次第に、邦楽界ではMTVに影響されて、映像作品に力を入れる考えが広まっていきました。その後、日本でも音楽専門チャンネルが開局します。
日本では、「MTVジャパン」は1992年に設立されます。後にチャゲアスが、イギリスでアジア系アーティストとして初めて、MTVのアンプラグドライブに出るのは、まだ先の話です。


♪音楽番組に出ないアーティストのための宣伝

1980年代前半は、生放送の音楽番組が減っていました。アーティストのなかには、音楽番組に出るのが少ない様子がありました。テレビに出ていないと、楽曲の宣伝が広がりません。当時の宣伝方法は、レコード会社や事務所の依頼を通して、テレビ、ラジオ、雑誌でしていました。活動しているのか分からないと不安になるファンがいました。そこでレコード会社は、ミュージックビデオを制作して、音楽番組に出られないアーティストのために、映像を流しました。「ミュージックビデオ」は当時、「プロモーションビデオ」(略称PV)として呼ばれていました。

1980年代前半のチャゲアスは、若い世代を対象にした音楽番組、雑誌に出ていました。しかし、彼らはライブ活動を中心に出ていたため、音楽番組の出演数は少なかったです。それから、石川優子とチャゲのデュエット曲『ふたりの愛ランド』がヒットしていたため、デュエットより、チャゲアスは影が薄い状況でした。チャゲアスとして発表されたシングル曲『MOON LIGHT BLUES』は、当時売れませんでした。ミュージックビデオの宣伝方法が注目されていたなか、その方法に便乗して、映像が制作されたと思います。



♪映像媒体の宣伝と普及

映像作品を増やしても、誰でも時間通りにテレビを見てくれることが、難しいです。インターネットがない時代で、誰でも好きな時間にいつでも見ることが難しい状況でした。映像媒体を買えば、ミュージックビデオが見られます。
1980年代前半に作られた、映像媒体はビデオテープ、レーザーディスクでした。ビデオテープは、VHS(ビデオ・ホーム・システム、Video Home System)と、ベータマックスという、2つの規格が競合していました。VHSは電気機器企業のビクター(現JVCケンウッド)が作り出し、ベータマックスは電気機器企業のソニーが開発しました。使いやすく壊れにくいVHS、高画質と長い記録時間をうたうベータマックス、1975年から1985年まで激しい規格競争になりました。後にVHSがビデオテープの主流となり、ベータマックスは規格競争に負けました。競合している時期に、2つの規格のビデオテープが混在していました。

VHSとして発売された
チャゲアスのライブ映像作品
ベータマックスとして発売された
チャゲアスのライブ映像作品

一方、レーザーディスクは、ビデオテープと比べて、裕福な人々を対象とした媒体として売られていました。レーザーディスクは、アメリカで開発され、日本でも製造されました。家庭の映像媒体としても、カラオケボックスで楽曲データを入れた媒体としても、1980年代前半から1990年代前半まで使われていました。しかし、家庭ではVHSの高いシェアに押されました。このディスクは、後のDVDへつながっていきます。
チャゲアスが当時所属していたレコード会社、ワーナーパイオニアは、アメリカの映画の配給会社であるワーナーと、日本の電気機器企業パイオニアが、共に音楽市場に力を入れていました。パイオニアは、オーディオ市場で、音楽プレイヤー、レーザーディスクの製造に関わっていました。おそらくパイオニアが、自社が作る映像媒体を売りたいために、関連するレコード会社に所属するアーティストを通して、宣伝していたと思います。
1990年代には、パイオニアはレコード会社の運営から撤退しました。その後、現在のワーナーミュージックになりました。レーザーディスクはDVDの登場、通信カラオケ機器の普及によって、使用機会が減り、2000年代には製造されなくなりました。

レーザーディスクとして発売された
チャゲアスのライブ映像作品

1980年代のチャゲアスの映像作品は、VHS、ベータマックス、レーザーディスクとして、発売されました。邦楽ファンが買う動機を生むために、積極的に話題のアーティストの映像作品を各媒体で発売されました。ミュージックビデオが制作された理由は、当時の映像媒体の普及に力を入れるためでした。

チャゲアスの1980年代のミュージックビデオを見ていると、画質がぼやけたように見えるのは、当時の映像媒体の画質があれで限界だったからです。インターネットの回線で動画の画質が落ちているのではなく、当時の画質でぼやけているように見えるのです。過去の映像媒体の進歩は、ミュージックビデオから見えてくるのです。


♪過去の媒体の遺産

VHSも、ベータマックスも、レーザーディスクも、今では作られていない媒体となりました。これらの再生機器は生産終了しました。これらの媒体の再生機器は、国立科学博物館の重要科学技術史資料として、保管されています。これらの存在はDVD、Blu-ray、配信サービスによって、知られなくなりました。今では、人々は映像媒体を持つことを少なくなりました。今のDVD、Blu-rayも、後に作られなくなる運命を感じます。

ところが、今でも邦楽ファンのなかにはこれらの媒体を探している方々がいます。なぜなら、当時の画質や再生手順を楽しみたいという、マニアがいます。今でも残された再生機器が生きているために、その媒体にこだわる世代がいて、コレクションとして、中古市場で発掘されています。チャゲアスの1980年代の映像作品が、DVDで再発売されても、それでも過去の映像媒体で見たいファンがいます。なぜなら、いまだに一部の作品が版権の事情で、VHSに取り残されているからです。まだ再発売されていない作品が救われて欲しいです。


♪まとめると新たな宣伝方法と媒体普及のために作られた

以上、チャゲアスの初期作品になぜミュージックビデオが作られたのか、分析しました。
まとめると、音楽専門チャンネルに影響され、ミュージックビデオが作られるようになった時代で、音楽番組に出ないアーティストの宣伝に、ミュージックビデオが積極的に作られた。
それから、ミュージックビデオが収録された映像媒体を普及する動機にもなった。そのような理由だと思います。

ブリの考えごとから、知らなかった媒体の存在が見えました。偉大な推しデュオの歴史から、映像媒体の歴史を知るきっかけになりました。ビデオテープは使っていましたが、レーザーディスクの存在は全く知りませんでした。実物を見た時、後の円盤の媒体につながる、先人の発想に気づきました。

『MOON LIGHT BLUES』と、『ふたりの愛ランド』は今年で発売40周年を迎えます。今でも名曲として、チャゲアスファンや歌謡曲ファンの間で知られています。1980年代前半の邦楽から、いろんなことを知るきっかけになります。この2曲は、とても良い楽曲なので、ぜひ聞いてみてください。

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