天才列車

岡山県郷土文化財団内田百閒
(うちだひゃっけん)文学賞に
応募するためにまずは、

「賞の名前になっている」内田百閒
(うちだひゃっけん)さんの本を
読まないといけないと思い、 

『阿房列車』を読み、そのあとすぐ書きました。
なので、表現が影響を受けているかもしれません。
    
   

ちなみに、賞に応募するには、
400字詰め原稿用紙20枚から50枚の範囲で書く必要があり、とてもそこまで増やすことができないので、       
ここにアップします。
 

見込みありと思った編集者の方や、
出版関係の方いらっしゃいましたら、お声がけください。 
 

タイトル:天才列車 

この物語に出てくる人物や場所はほぼすべて架空です^^
       

天才というのは、その異質さから嫌われ、
排除される。そして、時として
障害だ病気だといわれ、憐みの対象になる。

そうかとおもえば、一握りの結果を出した人達には
称賛を与え、自分もおいしい思いをしようと、
その人に近寄ろうとする。

そして、手のひらを返したかのように、
自分は以前から才能があると思っていた。
陰ながら応援していた。
やっぱりこの障害の人は天才が多いんだ。と少々うるさい。

知らぬ間に自称友人や親族が増え、
へどの出るような下心見え見えのお世辞ばかりで
聞き飽きた。

いわゆる付け届けも郵便屋さんが呆れ顔するぐらい
毎日大量に届く。

ホント郵便屋さんには申し訳ないが、
こちらは人気商売なので勘弁してほしい。

ところで、タイトルにある
「天才列車」とはなにかというと、
実在の列車ではない。
平たくいえば、私の生きた軌跡である。

まぁ。遺書のような意味合いもなくはないが、
もし、あなたが時間を持て余しているなら、
ちょこっと読んでみてほしい。

こんなやつでもめげずに何十年も人間やれていたんだ。
恥ずかしげもなく生きていたんだと思うと、
少しは気持ちが軽やかになるに違いない。

そう信じて、私は恥ずかしげもなく、
この拙い文章を公開し、金まで取ろうとしているのだ。
まったくもって欲深い。

しかし、人は欲深い生き物だから仕方ない。

こういうと君は、ボクは君と違って無欲だ。
欲しいものなど何もない。
というかもしれないが、ほんとうにそうだろうか。

自分が好いた女子(おなご)には
やはり好いてほしいだろうし、

子どもにはこうあってほしい
という希望があるだろうし、

どこそこの大学に入ってほしい。
一流と言われる企業に入ってほしい。

遊んで暮らせるだけのお金がほしい。
世界一周旅行をしたい。

宝くじを当てたい。有名人となかよくなりたい。
などの欲は多かれ少なかれあるだろう?

大丈夫だ。それが「普通」だから。

そして、この「普通」という言葉に異常に反応を示し、
拒絶し、憧れるのが我ら天才なのだ。

そして、天才は日々努力するのだ。
このくだらない世の中をどうしたらもっとくだらなく
そして美しくできるかと。

そのために気が狂ったように毎日毎日没頭するのだ。
だから少々家事をやらなかったり、部屋が汚かったり、
洗濯物が溜まっていたりしても許して欲しい。

天才は、そんなくだらない
生活部分なんぞ興味がないし、
やりたくないのだ。

我々は、興味があることだけやって生きたい。
ただそれだけだ。
別に何も多くを望んでいないじゃないか。

だからどうか許して欲しい。
(こころ、ムッとする)

ほらほら、そんな顔するな。
せっかくの美人が台無しになる。
ほら、笑いなさい。

でも…。

でもなに?
だって困るもの。あまりに好き勝手やられたら。

私が家事をやらないとこの家荒れ放題じゃない。
私だって遊びに行きたいし、デートもしたい。
だけど、今のままじゃできないじゃない。

お金だってほらこれしかないのよ?
(こころ、母に通帳を見せる)

これからどうするのよ?

そうねぇ。
なんとかなるでしょ。

だってほら、岡山のおばあちゃん覚えてる?
3000万の借金をしたけど、
億万長者に見初められて再婚したって話。

ああー。知っている。たしかにそれは凄いけど…。
でもなんでいまその話?まさか…。

そう。ピンポーン。正解。

ママは、借金嫌いだからしてないけど、
いまこれしかなくても、ママとあなたの器量なら
生き延びるだけならなんとかなる。

ただね、問題は秀のこと。
あの子障害があるでしょ?その上キツイ性格だし。

ひとりじゃ何もできないと思うのよ。だからね、
私かあなたかが面倒見ないといけないと思うんだけど
どうしようか…。

私は、いやよ。あの子ちっとも私になつかないじゃない。
可愛げないわ。それに、ママはいつだって秀、秀と言っていたじゃない。
だからママが面倒みるべきだわ。

そう…。
こころ、あなたそんな風に思っていたのね。

あなたしっかり者だからママつい、甘えちゃって。
手のかかる秀のことばかり見てしまっていたの。
ごめんなさい。

そうだわ。そしたら、今度の日曜日に
リッツカールトンのランチに行きましょう。

そのあと銀座で買い物をして
千疋屋でお茶をしましょう。 

えっ?

だってママあそこ高いよ?
近所のラーメン屋に行くような気軽さで
行ける場所じゃないよ?

あら。そう?大丈夫よ。
お金なら心配ないから。

その時だった。
暖炉の前から一歩も動かずにいたタロウが、
のそのそと動き、ママの足元にきてじゃれだした。

すると、ママがとてつもなくかわいい笑顔になり、
娘の私でも惚れそうになる。

そう思った時に、ガチャッと玄関が開く音。

純平兄ちゃんが帰ってきた。
純平兄ちゃんは、いま横浜で仕事をしている。

だけど、たまたま出張で、岡山に来ていたから
ホテルがわりに我が家を使っているのだ。

そして、晩御飯の時間になると決まって兄(あん)ちゃんは、
読んだ本の話をする。
そして、時々ボクにいくつか質問する。

少々熱すぎてめんどくさいなと思うこともあるけど、
父親を知らないボクとしては、とても楽しい時間だ。

だから、ボクは夕方になるとそわそわしだして
兄(あん)ちゃんが帰ってくるのはまだかな。まだかな。と
1分おきごとに時計を見ているもんだから、

母さんとこころに呆れられ、
秀はほんとに純平のことが好きねぇ。

まるで、恋する乙女じゃないの。と
笑うけど気にしない。

ボクは、天才営業マンの純平兄ちゃんから
「成功する秘訣」「豊かになる方法」を教わるのが
何よりも楽しいんだ。

だから、僕は兄(あん)ちゃんがいいといった本は
全部読んだし、

勧められた映画も全部見た。
一度は行っておけ、体験しておけ
と言われたものも
すべて行ったり、体験したりした。

その結果ボクの貯金は1000万になった。
そのことを兄に報告したらとても喜んでくれて
お祝いだといい、
目黒雅叙園にある渡風亭のランチに誘ってくれた。

ここは、随分前に百段階段を見に行った時、
思い切って行ってみた店だ。

その当時のボクにとっては凄く高い金額だったけど、
十分にその価値はあった。

またいつか来たいと思った店だ。
その店に兄(あん)ちゃんが連れてってくれるという。

これを断る理由があるだろうか。
ボクは、急ぎ支度して、

一番上等な背広をクローゼットから
取り出して着替えようとした。

その時、こころとママが銀座から帰ってきた。
そして、不思議そうにあら?秀お出かけ?
しかも、そんないい服着て…。どこ行くの?

あゝ。ちょっとね。
大事なようがあるんだ。なーに大丈夫。
夕飯までには帰るから。

それより、こころ、随分色々買ったみたいだな。
楽しかったか?

うん!とっても素敵なドレスを買ってもらったの!!
真っ赤なドレスよ!
それと、天然石のネックレスも。
どう?素敵でしょ??

あゝ。いいね。
帰ってきてからまた見せておくれ。
兄(あん)ちゃんは、これからでかけなくちゃいけないんだ。

あっ。ごめんなさい。
うん。わかった。

いってらっしゃい。
そう言って別れた。

まさか、これが一生の別れになるとも知らずに…。
そして、そのことをこころに、
何度伝えようとしたかもわからないが

ピュアすぎるこころには、
どう伝えても受け止めきれないだろう。

この話は、私が墓場まで持っていくしかない。
そう思っていたところに、秀が生きていること、

そして、今回岡山に出張で来ていることがわかり、
私もこころも安堵し、嬉しかったことは内緒。

けれど、この喜びは抑えられるものではなく、
ついつい顔がほころび、

いつもよりちょっといい材料を
使い、1品多く作ってしまった。

こんな様子を亡き旦那がみたら、
きっと嫉妬(やく)だろうなと思う。
けれど、嬉しいものはしょうがない。

それに、旦那はもうこの世にはいないのだからと
自分に言い聞かせながらじっと暖炉の炎を見ていた。

その炎の色はなんだかとても悲しく美しいオレンジで
まるで私の心情を知っているかのようだった。

きっとこの炎は、私の分身なんだ。
そう思うとなんだかとても気が軽くなった。

すると自然と涙が流れ、
おんおんとみっともないほど泣いた。
すると、どうだろう。

あんなに嫌だと思ったものですら、
全て愛らしく見えてきた。
その時だ。急に本が落ちてきた。    

 
拾ってみると、それは文筆家だった祖父が
書いたものだった。

祖父は取材と称し、
全国各地を飛び回っていた人だから

めったに家にはいなかったけど、
たまにタイミングよく会えると、

お前には俺譲りの文才があるから自分が憧れたり、
尊敬したり、素敵だなと思った人の話は
ちゃんと聞きなさい。そして、実践しなさい。

そうすれば、お前の才能は開花するから。と
まるで私がいつ読むか分かっているかのような内容が
書かれていた。

日付は祖父が亡くなる1ヶ月前となっている。
けれど、実際に読んだのは令和。

随分長いこと待たせたなぁと思いながら、
やさしくそのホコリを払いながら、
祖父がとても豊かな笑顔のままいなくなったことを
思い出した。

それは、2039年10月のことだった。
遺品の整理はラクだった。      

けれど、ひとつだけ、とても意味深な箱があり、
そっと開けてみたところ、遺書があった。
いや、正確には「遺書がわりの日記」であった。

今日まであったことが全て書かれていた。
純平が生まれた日のこと。
秀に広汎性発達障害という診断が下った時のこと

こころがはじめて主役をやったときのこと。
はじめておつかいに行った時のこと。
などなんでもない日常がそこにあった。

だけど、日に日に病状が悪化したのか、
だんだんと文章量が減り、
最後には、ごめん。疲れた。とだけあった。

それを見た時もう、ボクらは泣き崩れるしかなかった。
これからどうしようとかそんなことよりも、
いまはただただこうしていたい。それだけだった。

そして、落ち着いたら、前に進もう。
自分の天才性を認め、闇を認め、前に進もう。
それが供養だから。

天才列車、出発です。

はじめましてたかはしあやと申します。 記事作成・キャッチコピー・タイトル付けを 生業としておりますが このままだと止めないと いけなくなるかもという位 金銭的に困っていますので、 サポートをしてもらえると 泣いて喜びます。 どうぞよろしくお願い致します。