11/21

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 徹夜明けで労働に行ったので心身ともに消耗し、目を覚ますと五限がすでに始まる時間だった。多言語学習用科目と称しつつ再履修の一回生がほとんどを占めるドイツ語の授業に出ることは苦痛であり、どうしてここまで苦しいのかと考えてみるとおそらくこの授業に出ることがそのまま過去の自分を否定することになるからだった。私は今の学部に入ってから哲学を学び始め、三回生になってから教職の授業を取り始め、スペイン語を修了してからドイツ語を始めており、つまり大学生活がそのまま一つの迂回であるような人間なのだ。そうであるからして、「最初からこうしておけばよかった」という後悔の念が私の三年間を貫いているのは当然だ。
 それでは過去の自分が何も考えていなかったのかと問われれば多分そんなことはなく、おそらく当時の自分も自分なりに何かしらの切実さをもって行動しており、ただそこに今の私と大きな断絶があるというだけなのだ。

 宛先のない言葉というのは基本的に信用ならないものであり、特に独語を装いながら誰かに聞かれることを期待しているような言葉ほどろくでもないものはない。そしてこれに対置されるべきは、書き終えられた後に宛先が塗りつぶされた言葉である(私が思い浮かべているのは、詩に書きこんだ日付を後になって削除していたパウル・ツェランのことだ)。本当は誰も──少なくとも私自身はそうだと断言できる──他者との「絶望的な対話」などしたくなく、ただ名前を知っている相手にのみ語りかけていたいのだろう。だが、その上で宛名を塗りつぶすということは、他者の法に聞き従い、あらゆる願望を諦めることである。宛先のないものを書くときは、書いている自分がどれほど断念の重みを感じ取っているかが一つの判断基準となるはずだ。私の文章には断念が圧倒的に足りない。
 
 〈他者〉というのはただのマジックワードであり、私がこの言葉を使っているときは無理に倫理的になろうとしているだけなのだろう。私が適当な文脈で──もっと悪いことに自分の研究の中で──この語を口にするとき、最大の問題はそこで顔が見えていないことだ。それは宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言ったときの「世界ぜんたい」に似たものであり、生活に沈潜している限りは出てこない類の考えだ。ちょうど見田宗介が、宮沢を「生活の下半身」から切り離されていたと論じたように。無論、宮沢自身もそのことを自覚していたのだろうし、彼の教師としての仕事はその事実との戦いであったのだと私は思う。そしてどういった形であれ教師に憧れる人間は──これは完全に自己批判に過ぎないが──そこが自分をもっとも卑小でもっとも崇高な存在だと思い込む権利が保障されている最後の領域であることを知っているのだ。



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