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 少し前に、学部の友人に複数人での飲食に誘われた際、「そういうのに行くとなんだかんだ傷ついて帰ることになることになるから」と言って断ろうとしたことがある。実際のところそれが本当の理由だったわけではなく、単純に諸々の予定が混み入っていたからに過ぎなかったのだが、しかしその冗談は──冗談めかした言い訳が往々にしてそうであるように──それを口にした私自身にとっては何かしら真実を含んでいたように思える。結局その飲み会には参加したのだが、そこでもやはりなんだかんだ傷ついて帰ることになったからだ。
 しかし別段それで悪い気分はしなかった。というのも、傷つきに行って傷ついて帰ることは、そこまで悪いことでもないのだ。このいかにも嫌味めいて響いてしまう一文が、できるだけ文字通りに受け取られるように願う。

 五月初頭にはいちょう祭があり、そこで自分は20p程度のコピー本を作って10円で売った。ここでは詳述しないもののいちおう一貫したコンセプトがある冊子であり、それに従って制作の段階で関わったあらゆるデータをpc・スマホから削除したため、私の手元にその存在を証立てるものはもはや何もない。こうしてみると、まるでそれが読む価値のあるものであったかのように思えてくるから不思議である。
 あらゆる忘却に連れ添って起こるこの美化の原理を抜きにしては、自分の過去を価値あるものとして誤認し、自分の人生を引き受けていくことなど私には到底できないだろう。だから私の生を支えているのは記憶ではなく忘却なのであり、結局のところ私が何かを思い出そうとしているのは、それが想起しえないものであることを再確認するために過ぎないのである。

 だからこそ、母校の薄汚い校舎に戻り、大して仲良くもなかったかつての同級生たちと教育実習を受けるにあたって、私は不安を抱えていた。結局のところ、自分があの場所を少しも愛していなかったということを認めざるをえなくなってしまうのではないかと。無論それで何が変わるわけでもないのだが、しかし自分の過去が端的に言ってクソだったことから目を背けていられなくなるのは、誰にとっても気持ちの良いことではないだろう。
 その不安はやはり的中した。今になってみれば、高校卒業後すぐに横浜を離れた自分の身振りまでが、この場所の救いようなさの否認だったようにすら思えてくる。だが、そうやって無理に幻想を抱いてまで、自分がこの高校に何かを見出したがっていたということも、厄介なことにまた事実なのである。それを母校への愛と呼ぶことも別に可能だとは思うし、結局誰しもが抱えているノスタルジアの範疇に収まるようなものである気もするが。

 読み返してみると、やたらと同情を煽るような文章だ。自分はこういうことばかり言う悪癖があるために、周囲から煙たがられたり、メサイアコンプレックス持ちのごく少数の人々に近寄られては見放されていったりするきらいがある。ただ、自分の言いたいこととしては一貫していて、それはどう転んでも「空から降ってきた女の子に振り回されやがて救済されたい」といった代物ではない。私はただ、思いっきり独りよがりな仕方でより良い人間になり、この人生をより良くしていきたいのであって、それは誰が見ていようと見てなかろうと変わらないことだ。少なくとも今はそのことにしか興味がないし、それについていえば大いに興味がある。


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