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集中講義が始まる50分前に目が覚めた。豊中から吹田まで行くのに少なく見積もって一時間掛かることを考えるとなかなか絶望的だったが、しかし何も考えず身支度をして学校に向かうとなぜか定刻通りに到着できた。考え事をしながら登校している普段の歩みがいかに遅々としたものだったかを、入学から三年目にして思い知らされた気がした。
夏休みに入ってから不眠気味で、それが諸々の狂いに繋がっている。といってもこれは半ば自分の性分のようなもので、どうも私には太陽が無事に昇ったことを確かめてからでないと安心して眠れないようなところがあるのだ。実際、白みゆく窓の外を眺めながら布団に入るときの感覚はそう悪いものではない。

最近は移動時間などに、少しずつボードレール『悪の華』を読んでいる。ベンヤミンのボードレール論を某サークルの原稿のために読まねばならない、という必要に駆られてのことだが、思えばこれまでの私には不思議なほどこの詩人に触れる機会がなかった。中二病だったときにブックオフで買った『人工楽園』は今も本棚にあるが、中二病だったときに買った本が往々にしてそうであるように未だに手を付けていない。
今のところ最も印象的だった詩は愛人ジャンヌ・デュヴァルに宛てられた「腐れ肉」だ。特に末尾のところが気に入っている。

──だがしかし、わが恋人よ
きみだって、この汚穢に、この恐ろしい
糜爛の臭気に 似た姿と いつかは成ろう、
わが眼には星と輝き、わが本性には太陽のきみよ。

そうだ、そういう姿と成ろう、おお 優美なるわが女王よ、
臨終の秘跡の後に、
生い茂る草 咲きほこる花の 根元の骨塚に
白骨と きみが 黴びて腐ってゆく時。

その時に、おお わが美女よ、接吻しながら蝕んで
君を食い尽くす蛆蟲に 言え、
詩人たるぼくこそは ばらばらに崩れてしまった恋愛の
形態および神聖な本質を保存したぞ、と。

ボードレール「腐れ肉」(『悪の華』p101)

あえて何かを書く必要がないくらい素晴らしい詩だと思う。その上で余計な想像を付け加えるなら、ボードレールの三年後に貧窮にあえぎつつ世を去ったとされるジャンヌは、きっと臨終の瞬間にこの詩のことを思い出さなかっただろう。詩人の祈りとは裏腹に、彼がジャンヌの美しさをこの世に留めようとしたことは、結局は彼女の最期に安らぎを与えなかっただろう。
それでも、彼女の死の瞬間を描写しているときのボードレールは、その筆致それ自身によってまさしく彼女を死から救いうると考えていたはずで、その無謀さには勝手に心を打たれてしまった。

ここまで書いたタイミングで目の前に虫が飛んできて、叫び声をあげながら部屋中を追い回す羽目になった。ボードレールについて物知り顔で語っていた人間が、次の瞬間にはこれほどに愚かしく滑稽になれることが、自分でもおかしかった。とっとと書くべきことを書いて終わりにしろ、という合図だろう。

今日は誕生日だった。21歳ともなればもう、明らかに若さで加算点が貰えるような年齢ではない。だから粛々とやっていくほかないと思うのだが、ともあれ祝いの言葉を下さった方々にはあらためて感謝している。もし今日の日記が普段より冗長なものになっているとしたら、それはただ単に、「嬉しかった」というだけのことを書くのが恥ずかしく踏ん切りがつかなかったという理由に他ならない。


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