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 様々な事情があって大阪の自宅と名古屋の祖母の家を往復する生活が続いていたが、ようやく一段落した。別に深刻なことはなく、むしろ本を貰ったり鰻を食べさせてもらったりと良いように過ごしていたのだったが、ただ誰もが否応なく年を取っていくものなのだとは感じさせられた。

 一度大阪に戻ったときに鍵を忘れてしまい、家に入れなくなった。数少ない友人に片っ端から嘆願していけば誰かしらは泊めてくれるかもしれないと考えたが、何となく気が進まなかったので漫画喫茶で夜を過ごした。他人に一方的に迷惑をかけ続けると、いつしか他者からの好意をすべて使い果たしてしまうような気がする。『僕の心のヤバイやつ』を繰りかえし読み耽っていたらいつの間にか日が昇っていたので、大学に行ってそのまま授業に出た。結局、その日の午後にベランダを覗くと窓が開いてたので何とか侵入できた。

 祖母の家にいる間はずっと宮沢賢治のことを考えていた。今年の芥川賞補になった乗代雄介『それは誠』(本当に感動的な小説だった)のある場面で、宮沢の「イギリス海岸」が印象的な仕方で引用されていたのだ。

…おまけにあの瀬の処では、早くにも溺れた人もあり、下流の救助区域でさへ、今年になってから二人も救ったといふのです。いくら昨日までよく泳げる人でも、今日のからだ加減では、いつ水の中で動けないやうになるかわからないといふのです。何気なく笑って、その人と談してはゐましたが、私はひとりで烈しく烈しく私の軽率を責めました。実は私はその日までもし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐただけでした。

──宮沢賢治「イギリス海岸」

 生徒たちのためだったら「たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらう」という彼の覚悟には、並大抵ではないものがある。誰かを助けるのではなく、一緒に溺れてやる優しさというものがあって、乗代の『それは誠』はそのことを真剣に思索した小説だった。宮沢賢治にしろ、『それは誠』の語り手・佐田誠にしろ、己の無能を徹底的に味わった者にしか可能でないような優しさがあり、それは完膚なきまでに無力で誰も救わないものなのだが、しかしそれによって誰かが勝手に助かったり、世界が勝手に良くなったりすることがあるかもしれない。これは恥ずかしい個人的な告白だが──しかし恥ずかしい個人的な告白を含まない日記に意味などない──私も彼らと共にその絶望的な可能性を信じられたらと考えている。


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