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毛玉がついてるよ

つい先日買ったばかりのお気に入りのタイツに
早速、毛玉がついていました
スピナビ ogaです

なんでここに・・・毛玉・・・
あちらにも、こちらにも、毛玉が・・・

そして、まさかのまだ二回しか履いていないお気に入りの
ズボンには、見えない場所に。。。
見えにくい場所といいますか、股の場所に・・・

まさかの毛玉がありえないほど、沢山ありました。残念!
そんな時、ふっとよぎったあの頃言われた一言。
誰に?近所のクリーニング屋さんのおばさんに。
いつ?10年前。
何と?”奥さんのズボン、股の部分に毛玉がたーっくさんついてたから
とっといたよ!”と気さくにまでも言われた。

ありがたいというか。。。微妙な反応しかできなかった自分がいた。
私はその時、今よりもずっとプライドがあった。10年前のことである。

いいプライドとは言えないが、素敵な自分でいたかったからこそ
正直、そんなことわざわざ言われても・・・しかも、毛玉なんて
とってくれなんて一度も頼んでいない。

クリーニング屋のおばさんは、笑顔でよくわからないことをしてくれた。
ありがたいが、今考えると感謝より踏み込まないでほしいところだ。

結局、何が言いたいのかというと
自分の見栄やプライド・・・同じか
そんなものがいかに自分を良く見せたいばかりに・・・
良く見えていないのに。だれも期待していないのに。
自分を少しでも見せたいがあまりに、
子育て10年間のひどい目にあった”
思う自分がいた。

 今は、子供が私よりも身長も高いし大きくなって
自分の範疇にはいないからこそ、自分らしくいられる。

 自分の考えを持ち、しっかりと自分のやりたいことを考え
自分の意思があるから、子供は子供、私は私でいられる。

子供が小さければ小さいほど、守ってあげないと!が強く
しっかりした母親でいないと!
母がしっかりしていれば父親がいなくても育つ。という、
あってるんだかわからない幼児教室の先生の一言が
あたまから離れずにいつまでも自分を責める日々だった。

 ママ友と話しても、よくできるママについていくには話していて
馬鹿が駄々洩れしないようにかなりの注意を払い、教育ママ気どりを
していた。その分、余計に私の頭の悪さとできなさにスポットライトが
ばっちり当たってしまった時期だ。

 ”毛玉ついているよ”


「貧乏くさく見える、毛玉なんかつけてさっ」
「毛玉つけて歩いて、恥ずかしい」「毛玉をとるのが趣味」
これらのフレーズはお馴染みの我が家になぜか邪念を送る人々の
お決まりの一言。
こちらのフレーズを言う人々は、近くにいて心の距離が果てしなく
遠い存在の人々。

これらの邪念=呪いにもめげずに頑張っていた10年前。
親しみを持って、大切なお洋服を預けたクリーニング屋さん。
そこでまさか、ズボンの股の毛玉をとってもらうとは・・・

”ああ・・・あの頃の私、頑張っていたね。” ←過去
そう、声をかけてあげられる今の私がいる。 ←現在

そのうち、こんなこと思い出しもしないだろう ←未来

そうして、今この瞬間、毛玉をハサミで丁寧に、
必死に切る自分に出会っている。

無我夢中で毛玉を切る自分がいとおしい。

綺麗にするには、生地まで切らないように。
注意しよう。

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