クリスマスを解き明かす

『限界感情オタクアドベントカレンダー Advent Calendar 2022』の19日目の記事です。
寒すぎて昼寝して起きたら19時で絶望しています。冬あるあるだよね。

軽く自己紹介を

はじめましての方ははじめまして。お久しぶりですの方はお久しぶりです。
未整形と申します。特にネタがあるわけでもなかったんですが、深夜のノリで登録してしまいました。アドカレというか、ブログみたいのも書くの初めてです。ドキドキ。
初めてアカウントを作ったのは4年前とかなんだけど、もともとSNSにどっぷり浸かっているほうではないので、マストドンには浮上したりしなかったりです。何回かアカウントも変えてますし。


ということで、本編スタート!

クリスマスとは!!!!


カップルが世間の雰囲気にかこつけてイチャイチャする日

ではなく

実は
「キリストの誕生日をお祝いする日」
なんです!!
皆さん知ってましたか?

知ってましたか?カップルがイチャつく日ではありませんよ
イチャつくな!そこ!

ということで、クリスマスの起源について調べてみたところ

クリスマスはキリストの誕生日ではないらしい。

クリスマスはキリストの誕生日ではないらしいです。

詳しくは下の記事を参照ください。(書くのが面倒になった)



クリスマスって誰?家族は?出身は?彼氏はいるの?調べてみた!


いったいいつ,12月25日がキリスト生誕の日として登場してくるのか。現在のところ最古の記録は,ロ一マで336年に作成された,いわゆる『フィロカルスの暦』である。そこにははっきりと
 「12月25日。キリスト,ユダヤのベツレヘムに生誕」
と記されており,これが今のところ,ローマで12月25日がキリスト誕生の祝目とされていた最古の証拠とされている。いろいろな意見のあったキリスト誕生の日付が,いつのまにか,12月25日と決められ,ロ一マで祝われるようになっている。こうして,史料の示すところでは,12月25日のクリスマスは,ローマにおいて,すでに336年頃から祝われていた。すなわち,クリスマスは,4世紀の初め,ローマで始まった,と見るのが,現在の一応の通説であり,われわれもこれに従ってよいと思われる。 4世紀の初めとは,キリスト教に対するローマ帝国の“迫害”が最高潮に達した後,コンスタンティヌス帝[在位306〜337]の〈ミラノ勅令〉(313年)によって迫害が終息し,公認されるようになる劇的な時期である。

(中略)

異教世界においては,12月25日は太陽神のための特別に重要な日として祝われていた。そしてコンスタンティヌス大帝は,太陽崇拝をキリスト礼拝と結びつけるために,深慮遠謀のうちにことを運んだ」。米国の教会史家ロバート・グラントもこれに同意する。「この祝い[12月25日をキリストの誕生日とすること]が,異教の祝祭とキリスト教の祝祭とを結びつけようというコンスタンティヌスの関心によるものであったことは,ほぼ確実である」。

クリスマスの起源 : その歴史的背景 村上 良夫(北陸大学紀要,12,241-250 (1988-12-31))

クリスマスはなんと336年頃から祝われていた!

なかなか面白い内容だったので、気が向いた方はぜひ本文を。

高校時代に使っていた「最新世界史図説タペストリー[17訂版]」があったので、それも参考にしました。なんで持ってんだよ。

さて、この異教世界というのは、ミトラ教(ミトラス教)であります。
ミトラ教もキリスト教もただ一つの神をあがめる一神教。ミトラ教はイランに住むアーリア系遊牧民に信仰され、ミトラ神という太陽神をまつる。

ローマにキリスト教がもたらされたのは45年ごろ。いまや世界三大宗教となったキリスト教だけど、当時はむしろ皇帝によって大迫害に遭ったりして、313年にようやく公認になった。
このころ、4世紀前半のローマ人口のうち、1~2割程度しか信者はいなかったそう。

それまでは太陽神に代表される異教が多く信仰されていた。
ローマ皇帝コンモドゥス[在位180~192年]は、ミトラ教の儀式に参加した初めてのローマ皇帝とされている。
ローマでは太陽神信仰を国教と定めていた時代もある。

アウレリアヌス(Aurelianus, Lucius Domitius)
ローマ皇帝(在位 270~275)。ダキアの庶民出身。職業軍人
(中略)
有能な将軍,厳正な統治者で,40年間乱れた帝国の統一を回復し,「世界の回復者」restitutor orbisとたたえられた。庶民への穀物給与の増額,幣制改革を行ない,諸宗教の上位に常勝太陽神(→太陽神)の礼拝を国教とした。キリスト教迫害の企図はその死によって実行されなかった。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「アウレリアヌス」の解説

(ただし、ローマ皇アウレリアヌスが信仰した太陽神がミトラ教のものであることは明確には書かれていないので、ミトラ教じゃないかもしれない。)

ミトラ教についても少し書いておこう。

ミトラス教はインド・イランに起源するミトラス神や、7位階の1つペルシア人をはじめとするイラン的特徴、初期に下級兵士を中心に信仰されたという軍事的性格から、古代イランのミスラ信仰に起源を持つ宗教と考えられてきた。しかし両者の間には宗教形態の点で大きな相違点があり、古代イランにおけるミスラはイランを守護する民族の神であり、公的、国家的な神だったが、ローマ帝国におけるミトラス教は下級層を中心とした神秘的、秘儀的な密儀宗教の神であり、公的であるどころか信者以外には信仰の全容が全く秘密にされた宗教であったし、民族的性格を脱した世界的な救済宗教としての素質を備えていた。

Wikipedia - ミトラ教
ウィキから引用する不孝をお許しください。学術論文ならアウトなやつ。

ミトラ教はキリスト教と違い、積極的な布教活動を行わなかったため迫害されることはなかった。その理由というのも、秘密裏に信仰された密教だったからである。ついでに、女性の入信を認めていない。(当時のローマでは男性にしか参政権がなかったくらいなので、よくあることではある。)
そんな感じで、普遍的な信仰となる条件がなく、キリスト教の台頭とともに衰えた。(ミトラ教は謎に包まれていて、発生も伝搬のルートも、いつまでにミトラ教が衰退したのかも、正確にはわかっていないそうだ。ただ、四世紀に作られた碑文はなく、このあたりから衰退したと考えられている。)

話を戻そう。

クリスマスが始まったのは336年である。
この日はもともと、ミトラ教の祭日であったそうなのだ。

キリスト教ではイエスの誕生日を12月25日とし降誕節(クリスマス)を祝っている(その前日の24日夜がイブ=前夜祭)。ところがローマ時代のアンティオキアなどではクリスマスは1月6日が降誕祭とされていた。12月25日はもとは東方のミトラ教の祝日であった。この日は冬至にあたり太陽が成長を開始する日とみられ太陽神ミトラの誕生の日とされていたのだ。この太陽神ミトラ信仰がローマに入り、帝国の守護神とされ、ローマで盛んに祝われるようになった。やがてミトラ教に代わり、キリスト教が公認されると、教会はこの日をイエスの誕生日として祝うことによってキリスト教の勝利を表明した。この日付には敗れたミトラ教が生き残っていたのである。

高橋秀『ギリシア・ローマの盛衰』1993 講談社学芸文庫 p.343

キリスト教が国教となった(ほかの宗教を全面的に禁止した)のは392年、テオドシウス帝[在位379~375]のときである。

憶測ですが、この日付には敗れたミトラ教が生き残っていたというよりは、ミトラ教を衰退させてキリスト教を浸透させる狙いで、ミトラ教のお祭りを「キリストの誕生日」として祝ったのではないでしょうか。



まとめ

  • 12月25日はミトラ教の太陽神ミトラの誕生の日とされ、ローマで盛んに祝われていた

  • 313年のキリスト教の公認後、異教の祝祭とキリスト教の祝祭とを結びつけようという思惑のもと、316年から「キリストの誕生を祝う日」として、クリスマスを祝うようになった




冬至についても考察してみる

簡単なことも解らないわ 冬至って何だっけ~♪になったので冬至について調べてみた。

Google先生って偉大だよね

今年は12月22日が冬至らしい。うなぎ食べようね。
冬至とは一年で最も日の出から日没までの時間が長い日らしい。
地球の公転の周期は365.24219日(=365日と5時間48分)であることは周知のとおりである。つまり、最大で(5時間38分×3年=)16.9時間ずれる。
だから冬至が年によってずれてもおかしくないよね。
でも、12月25日ってどう頑張っても冬至にならなくない?

うーん。なる気配がないですね。予想の通り、変動は大きくても前年+366.238日になっています。

ユリウス暦について

当時は1年を365.24日とするユリウス暦が使われていました。4年に1回閏年を設けても約128年に1日ずれが生じることが判明し、グレゴリオ暦に改暦されたのです。現在一般的に使われている暦はグレゴリオ暦ですが、紀元45年から1582年まではユリウス暦が使われていました。

つまり、1582年までは、暦より、地球のほうが0.0024日遅れて回っていた。
128年に1日ずつずれることを考慮すると、クリスマスが祝われ始めてから改暦までに10日ほど冬至が早く……んん……?

ちなみに、グレゴリオ暦の閏年ルールは以下の通り。

  1. 西暦年号が4で割り切れる年をうるう年とする。

  2. 例外として、西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年は平年とする。

このようにして、4年に一回(=400年に100回)閏年を挿入していたユリウスとは異なり、暦400年に97回の閏年を挿入している。

まあ、それでも、誤差は生じているそう。

地球が太陽の回りを一回りするには、約365.24219日かかります。グレゴリオ暦では、1年の平均日数が、この日数に近くなるようにうるう年を入れています。とはいっても、グレゴリオ暦法での1年の平均日数を計算すると365.2425日になりますので、グレゴリオ暦の1年と実際の1年との間には約0.00031日程度の差があります。そのため、数千年程度で1日のずれが生ずるはずです。しかし、そのときにどのように修正をおこなうのかは、今のところはっきり決まっていません。

国立天文台HP よくある質問3-6)どの年がうるう年になるの?


当時の冬至を求めてみる

なんちゃって!w
というわけで、300年代の冬至について調べてみようと思います。

テイク1。

アルゴリズムはこうです

  1. 基準となる冬至を1900年12月22日9:39(ローマ時刻)とする

  2. 冬至時刻は、基準年の365.24219日後なので、これを引く

  3. その年が閏年なら366日前、閏年でなければ365日前の日付を調べる

  4. ここで、閏年はユリウス暦に則り4の倍数年とする

プログラムを書きます

#include <stdio.h>
int main(){
    int year=316;
    int b=12;int c=25;int d=0;int e=0;
    int uruu;if(year%4 ==0){uruu=365;}else{uruu=366;}
    double daytime=uruu +d/24 + e/60/24 - 365.24219;

    int flag=0;
    while(flag<=100){
        printf("%f日",daytime);
        //printf("%d年の冬至日は%d\n",year,day);
        flag++;year++;
    }
    return 0;
}

いやちょっとわかんないわ。挫折。

そういえばわたくし、プログラミングとかいうもの、ちゃんとやったことなかったわ。このカスコード書くのに3時間かけてます。どうして。
正直に言うとnoteのコード載せる機能使ってみたかっただけなんですよね。ハイテク~
いや、1週間かければ書ける気がするんだけどね。
誰か、書いてこの謎を解明してくれ。


テイク2。
Excelでいけるのでは!?と思ったわたくし(天才)は、365.24219日前の日付を出力させました。

無理でした。
1900年より先に進めない。なんかあるんですよね、こういうの。
もういいです。

結局なぜ12月25日が冬至だったのか




ズバリ


わかりません





いかがでしたか?




まあでも、こんな仮説が立てられますよね。

  • 12月25日はマジでユリウス暦で冬至だった年がある

  • 冬至の日付を間違えちゃった

  • 冬至の次の日から昼が長くなるので、そっちの日に合わせて祭りを行った



あとがき

なんと、今日の今日までネタが決まらなかったんですよね。
何かしらの推しについて書けたらなーって思っていたのですが、自信をもって書けることがない。齢21、浅く広く生きてきたことを痛感しました。
ちなみにサバ読みました。

今日の記事、思いのほか詳しいとこまで書きたくなってしまって。もっと本格的に調べられたらよかったんだけど、ぎりぎりに着手したのでそんな時間はありませんでした。大学の課題レポートかよ。

てか5千文字も書いてしまった。大学の課題レポートでもこんなに書いたことないのに!(書けや)

最後に!

中曽根さん!!!

記念すべき19日目の記事がこんなんで



このたびは



誠に








撮影:未整形


以上です。

すみませんでした。


最後まで読んでくれてありがとうございました。
実は上の写真、わざわざ入場券買って撮りに行ったので積極的に使っていきたい。

そして、解明しなかった冬至の謎ですが、どなたか解いてくださった方、(@msksub@fedibird.com)までぬるっとメンション飛ばしてくれると喜びます。


それでは、みなさん、よいクリスマスを!

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