それは追体験というかフラッシュバックというか

こんにちは。はぁもにーです。
想いを吐き出す場があることのありがたさに、感謝しかない今日この頃。

何かあったんだろうな……

明らかに周囲からそう思われているのも分かっているけれど、弁明したり説明したりする元気もなくて、ただただモヤモヤの上澄みだけを吐き出す。
それだけでも、割と救われている気がしていたのだけれど。

数か月前から、精神的な部分でもう少しサポートが欲しいと思い、カウンセラーさんとの面談を月一ペースでお願いしていて。
そうすると、生い立ちとか人となりのところから色々話を聞いてもらうこととなったわけだけれど、その過程で、自分では気付いていなかった自分のことをたくさん知ることとなった。

カウンセリング手法についてなどは、私自身もある程度勉強していて知っている。学校等で学んだわけではないので、専門的ではないにせよ、興味のある分野なこともあり、普通の人よりは分かっている方だと思う。
それでも、まだ私の知らないこともあるし、プロには敵わないというか。担当カウンセラーさんとの相性ももちろんあると思うし。

これまでに、何人かにカウンセリングお願いしてきたけれど、今の方が一番しっくりきている。
それは、状況によって必要な事が変わるのと同じで、いつか卒業する時がくるのかもしれないけれど、現状は彼女の存在が私にとってはかなりの救いになっている。
ただ、月に一度面談の日程を入れるだけで安心するから不思議だ。
でも、安心ってそういうものなのかもしれない。

誰かに何かをしてもらうとかでなく、自分との約束というか。
安心で安全な場所があるよ、安心で安全な時間があるよ。
それだけでいいのかもしれない。

これは、私にとってはとても大きな発見だった。

彼女と話す中で、私の毎月の憂鬱の正体も少しつかめてきた。
もちろん、ホルモンバランスの影響だってことも頭では分かっていたけれど。
それだけではなく、やはり二年前のあの夏の経験を、何度も追体験しているようなのだ。
手術ではなく、自然排出を待ったこともあり、ある日突然の大量出血。
それは、どこか生理と似ていたけれど、生理の比ではない悲しく怖い体験で。
生理がきそうな数週間は、トイレに入る時点ですでに呼吸が浅く、緊張している私がいる。
血の気配がないか、恐怖心がぬぐえないのだ。

それは、別にパニックを起こすとかではないけれど。
妊娠への期待と、生理への恐怖と。
生理が来たらきたで、簡単に二年前の夏に引き戻される。
そんなことを毎月繰り返しているのだから、正常に元気にいられるわけないじゃないか。
そう思うと、よくやっている方だと思うし、十分毎日を頑張りすぎている。

でも、何一つ頑張れてもなければ、意味も目的も感じずに生きている感じを味わっている私は、どんなに仕事がうまくいったところで、心が動かない。
心がこんなにも死んでいるのに、なぜ仕事はできてしまうのだろうか。
そうして、また憂鬱な気持ちに沈む。
涙が出ることもあれば、もはや涙すら出ないということもある。
どんどん心が固く動かなくなっている感じがして、それがとても嫌だ。

日常に楽しいことがないわけじゃないし、美味しいものを食べたりもしている。
笑えてないわけでもない。
仕事も一応できている。
それでもう十分じゃないか?
そう思う反面、心の空虚さが私を追い詰める。

幸いなことに、生理周期はすこぶる順調というか、だいたいきっちり訪れるものだから、もうだいたいどのくらいの時に、どういう精神状態かあらかじめ分かってはいるのだけれど。
未だに最善策を見つけられずにいる。

そう、今もそういうタイミング。
トイレが怖い。

でも、こうして少しずつ、書きながら気持ちを整理する。
それだけでもだいぶ心は軽くなるんだから……
横にある本棚にもいつも救われるし。
『あたしたちよくやってる』山内マリコ著
そう、私たちよくやってるよ。

これからも徒然に心情を綴っていくので、よろしくお願いします。

はぁもにー


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