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私が米アカデミー賞を観られない理由

最近アカデミー賞の話題が増えてきました。授賞式は2021年4月25日みたいですね。でも残念ながら私は観られませんw
というのも、政治発言を聞きたくないから!!
せっかくの祭典で、純粋に作品を楽しみたいのに、気分が悪くなってしまうのです。

決定打だったのは2017年の『第74回ゴールデングローブ賞』。
功労賞に当たるセシル・B・デミル賞を受賞した、女優メリル・ストリープのスピーチです。
あらかじめお伝えすると、メリル・ストリープの映画は好きですし、これで嫌いになったという訳でもありません。

※スピーチ文は長くなってしまうので、気になる方は検索を。
内容はトランプ批判なのですが、トランプがどうこうという内容よりも特に嫌だったのがこの2点。

①この場でそういう話はしないで~(泣)

私は政治と芸能があまり公に結びついて欲しくないと思っています。
エンターテインメントはどこか夢であって欲しいというか。
あと、どれだけファンであっても、もしその人が政治について少し誤った理解をしていたり、極端に偏ったりしているのをメディアで見てしまうと、やっぱりちょっと「モヤっ」とはするんですよね。
芸能に心血注いでいる中で、政治についてまでとてつもなく勉強して理解するのは正直無理があると思いますし。
「意見を言わないなんて!」と思われるかもしれませんが、エンターテインメントの場で政治発言をしないことが、本人のためにもファンのためにもなるのではないかと思います。

②会場総立ち。ほんとに”みんな”が同意してる!?絶対反対できない空気

ネットニュースの見出しで、「会場総立ち」だとか「感涙」というワードが出てきます。当時テレビでこの時のスピーチを観ていて、実際そうでした。
で、怖くなってしまった訳なのですw

テレビ画面の中のことなのですが、観ていて『ここでメリル・ストリープに反対しようものなら、ハリウッドで生きていけない』みたいな空気を感じたのです。ちょっと誇張しすぎかもしれませんが。

『言論の自由』という言葉をよく掲げますが、あの場で同調せずに反対意見を持っていたなら受け入れられたのでしょうか。「反対意見も認めましょう」ではなく、「反対=悪」として叩かれる空気が少なからずあったのではないでしょうか。

『言論の自由』のためのツールのはずでは?本末転倒?

2021年1月、TwitterとFacebookがトランプ氏のアカウントを凍結したというニュースが。その後、ドイツのメルケル首相がツイッター社の対応を批判し、意見表明の自由を守ることは絶対的に重要だとコメントしました。

もしメディアに一方的な見解を書かれたとしても、誰でも意見を発信できる場があるというのがSNSの利点だと思っていたのですが。
TwitterとFacebookは世論に流されてしまったのでしょうか。
両社の社員がみんな反トランプ派な訳ないと思うのですが、会社としてこういう対応をしてしまうと、社員に「トランプ派だと生きていけない」と思わせてしまうのでは?

おわりに

最近、『レオ・フランク事件』というアメリカの冤罪事件をモデルにした、『パレード』というミュージカルを観ました。
周りの人たちが嘘の証言をしていき、自分が何を言っても信じてもらえない、発言することができない状況に、「自分が同じ立場になったらどうすればいいのだろう」と恐怖を感じました。反対に、自分が相手を追い詰めてしまう怖さも。

『米アカデミー賞を観られない理由』、他にもモヤっとしている方がいないかな?っと思い書きました。共感してくださる方がいたらちょっと励みになります。

偉そうなことを言ったものの、政治については私もまだまだ勉強不足です。詳しく説明したり意見を言ったりできないのですが、誰でも発信できるからこそ、偏った見方で誰かを傷つけることがないよう気を付けたいと思いました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。



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