【短編小説】夜船は盲目か
夜か。
田舎の夜ってのはこんなにも暗いもんなんだな。実家の夜に慣れてると夜にも驚けるんだ。体を動かす事はなく、視線の先にあった天井の姿を思い出していた。秋の涼しさを薄っすらと感じる。
祖母の家に泊まったのは小学生ぶりだ。祖母とは新年になる度に会っているが、この家の縁側の温もりを感じるのは久し振りと言うにはあまりにも遠過ぎて新鮮さすら覚える。
祖母は僕と会う度に大きくなったねぇと言う。祖母の身体が小さく見えるのは自分が大きくなっただけではない事も知っている。時の流れを覚える様になったのは、社会に出る事を迫られてから強く感じている。結局、今でも僕は巣立てずに何かを待って"ズル"をしようとしている。
そんなもの、あるはずもないのに。
暗くて周りが全く見えない。これじゃトイレにも行けないじゃないか。起き上がろうと上体を起こす為に毛布を退かそうと手を浮かすと何かがぶつかった。
「え?」
明らかに狭い空間に閉じ込められている。何度か手でその何かを叩いて確信した。
「なんだこれ......」
僕は祖母の家の客間の床に敷かれた布団で寝ていたはずだ。そう言えば鈴虫の音も聞こえない。ここはどこだ。
「あの、誰か、誰かいませんか?」
首に何かが引っ掛かる。痒さが広がり即座にそれを取り払った。手触りから鑑みるに花弁である。真黒の世界が夜である確証がなくなってきた。
「あのー!誰か、あの、出してください!」
自分に何が起きているか、理解が出来ない。一旦冷静になろうと自分の呼吸に向き合う。
えーっと、まず起きたら閉じ込められていて、それで毛布だと思っていたものは沢山の花弁だった。天井は木製で軽い音だけど、叩いてもびくともしないからこの空間から自力では出られそうにない。
......で?それが分かってどうする。何が出来る?自分は今、どうするべきだ?
「暑い......」
暴れたせいか蒸れる。それにしても花弁の量が尋常じゃない。これが花弁かどうかも怪しくなってきた。分からない事ばかりが募り、短く唸ってみた。
これは夢か。夢の中ではまず思わない思考に至るも、すぐに首筋の不快感が自分を現実に戻す。まず、このまま待つのは避けたい。明かりさえあれば今分からない事のほぼ全てを分かる事に変えられるのに、それを満たせそうにない。
「助けてくれ〜......」
大声を出すのも億劫になってきた。無気力に、ただ現状の打破を乞うて何か言ってみる。
「ばあちゃ〜ん......」
天井に自分の声が跳ね返り耳障りだ。大声を嫌った理由にそれも追加しておこう。
「あづい〜あづいよ〜」
夜泣きをする赤子の様な声を出してみるも変化はない。昔風呂場で何気なく歌を口ずさんでいた事を思い出す。何故歌おうと思ったのか、何故歌っていたのか考えもしなかった。
「出してくれ〜......」
この空間にいると自分の内面ばかりが見えてくる。嫌だ。自分を見つめ過ぎるのは慣れてない。今までそうやって逃げて来た。親を心配させない為に、友達と楽しくいる為に、祖母と仲良く過ごす為に、そうやって他の人の事ばかり気にして生きてきた。
「アンパーンマーン......」
何も考えず思いついた言葉を口にしてみる。うろ覚えの歌詞でアンパンマンのオープニングを歌ってみる。歌詞の前向きさが今の状況と反りが合わず、悲哀と共に中断する。
「あーあ、なんだよこれ......」
段々と自分の思考が声に漏れてくる。孤独が身に沁みてきた証拠だ。このまま死ぬのかな。まぁ、それならそれでいいか。この空間も棺桶みたいだし。
「あ」
これ、棺桶か。花が入ってるのも辻褄が合う。え?でもいつ死んだ?そもそも死んでるのか?僕は幽霊になっているのか?だったらさっき抜け出せたはずだ。思考がオカルトらしくなったところで馬鹿馬鹿しくなり、溜め息を吐く。
「うぁ〜棺桶でぇ〜す」
自己紹介をしてみる。
「棺桶にいまぁ〜す......助けてくださぁ〜い」
今なら喋る棺桶として着ぐるみに仲間入り出来そうだが、見た目は子供受けはしないだろうな。高齢者には受けそうだ。
「タラララ〜」
考える事は考え尽くした様にも思える。ここが棺桶の中だという考察は出来た。それは大きな進歩だ。適当に歌っては定期的に助けを求めてみる。
「助けて〜アンパンマ〜ン」
天井を指でリズム良く叩く。高く乾いた音が鳴る。適当に叩いていたリズムに聞き馴染みがあった。
「あっ、これ笑点か」
もう一度笑点のオープニングのリズムを思い出し叩く。パフ、と声に出してみる。
「アンパンマンが笑点に出たら、座布団を持って来たり没収したりするのは座布団マンがやってるんだろうなぁ」
......何を言ってるのか自分でも分からなくなってきた。我に返り自分に出来る事を探ってみる。右の壁を強く何度も叩く事で場所を移動出来ないか試してみる。移動している感覚はあった。が、結果より疲労が勝る。
「疲れた」
思えばこんなに分からない事に晒され続けた事はなかった。何かしら分からない事があったらすぐに携帯かパソコンで調べて満足していた。自分で考える時間というものを放棄していたと思う。
「うんち〜......うんち〜......」
雑な幼児退行によって自己防衛をしてみるも効果は一瞬で消失する。
「うーん、もうちょい右行くか」
手の痛みが強くなるまで右側の壁を押し続ける。このままこの棺桶が壊れたらそれはそれでいいや。重い木が擦れる音がする。着実に僕は動いている。前に進んでいる。いや、右か。
まぁ結果は惨敗、何も手に入らなかった。左手で押し続けてきたが痛みは限界に近い。次に左を押すのは愚策だと思う。
「あーもう......なんなんだよ」
ここで大声を出してみる。
「誰か〜!助けて〜!」
......あーうるさい。意味ないからもう二度とやらない。
騒音が消えた後、小さな音が耳に入る様になってきた。空調、それか装置の稼働音?鈍く低い音が小さく鳴り続けている。ここは死体安置所か?いや、棺桶に入っている時点で安置所ではない。葬式会場?いや、死体を入れたまま放置は考えにくい。でもそういう事もあるのか?そういった知識がなく、もどかしい。
「クソ......」
祖母は今どうしてるんだろうか。心配してるんだろうな。僕が小学生の頃、祖母の近所の子供と一緒に虫採りに行って、その時夢中になって山の崖から滑り落ちた事があって、その時に周りに大人がいなくて、近所の子供が助けを求めに行ってる間に今と同じくらい孤独を感じていたなぁ。
怖くて、痛くて、悲しくて、泣いてた。ただ泣いてた。
駐在さんに救出されて、祖母と再会した時に祖母は泣きながら、よかったねぇと笑っていた。あの顔は今でも忘れられなくて、両親よりも色濃く記憶に残っている。だから、大学生になってまた会いに来たんだと思う。あの底抜けの優しさが、愛おしかったのかもしれない。
──いつの間にか、眠っていた。
この狭さに慣れてしまった。夢から醒めたとも思わずに、この状況を受け入れている自分がいた。そういう流されやすさも、自分の悪い癖だ。
変化に気付いたのはその後だった。
揺れ動いている。何かに運ばれている。鈍い金属音と叩く音がする。背中に馬車が迫って来ている様な、焦りを呼ぶ振動が全身の気怠さを拭う。
「だっ、誰かぁ!ちょっと、出してください!」
大声のうるささは環境音で幾分かマシだ。
「おぉい!助けて!助けてくれ!」
一生分の助けてを言った気がする。この好機に何かが変わるかと思ったが、願いは虚しく空を切った。
何度か救難信号を送り続けていたが、やがて振動はなくなり先程に似た静けさのある場所に納められた様に思えた。輸送された、さらに別の場所に移ったのか、どんどんと家族との日々が遠ざかり、尊いものへと変わっていく。
「あー......腹減った」
祖母の漬物が苦手だった。子供の頃食べて、その酸っぱさが頭に残って泣いてしまった。あの頃は泣き虫だった。昨日、いや、昨日かどうかも分からないが祖母の家の懐かしさへの興奮がまだ抜けない日の晩御飯の漬物は美味しかった。美味しいと僕が言うと、祖母は嬉しそうに泣いた。祖母は自分の作ったものが美味いと褒められるだけで幸せなんだろう。そういう幸せで生きられるのが羨ましかった。今この時、この明らかな不安と恐怖の中で求めているのは、そういう小さくも確かな幸せだった。
「もう、いっか」
諦めた。考える事も無駄に思える。このまま火葬場に送られて燃え死んだ方が世の摂理に背かずに済むかもしれない。自分が今、棺桶の中で生きている事自体"あり得ない"事なんだ。
「母さん、父さん」
言葉に出してみたものの、顔は鮮明には浮かばない。何故か、これからの自分が思い描けない。このまま死ぬ事が決まっている訳でもないのに、自分で死のうと決めている様だ。
「ばあちゃん」
ごめんな。
軽い音と共に薄っすらと光が枠を描いて漏れた。その光は、救いだった。
「光だ」
救いだった。
『今こいつ喋ったか?』
誰かの声がする。幻聴だと思った。
『気のせいだろ』
別の誰かがそれに答えている。ここで我に返った。
「出してください!助けてください!」
その声掛けに対しての反応は先程よりも遅く感じた。
『......どうする?』
どうする?
『業者の不手際だろ』
どうするって?こっちが聞きたいよ。
『とりあえずイレギュラーは上に連絡で。それまでは待とう』
「あ、あの、助けてください。水を、水をください」
喉が渇いた。
『あ、それ俺?やるの』
『いいから早くしろよ』
物音がする。これは足音か。とにかく助かる。孤独の解放はあまりにも大きくて、涙が溢れた。
「ずっと、ずっと暗くて、怖かったんです」
そう言っても応答はない。
「あの、出してください」
『......ダメだ』
その冷たい声に苛立ちが噴き出した。
「嫌だ!出してくれ!出せ!出せよ!」
壁や天井を殴り、光の揺れを見つめた。これしかない。ここがどこだとか、そんなのどうでもいい。この空間から、早く抜け出したい。
『絶対出すなって言ってた』
別の声がまた聞こえた。その言葉を理解は出来なかった。
『そうか。で?どうすれば良いって?これ』
「助けてくれ!」
『黙っててくれ!』
その言葉を聞き、突然死が怖くなった。その声が何者よりも恐ろしく思えた。
『......中の奴をシメて、"シュッカ"しろとさ』
出棺?出荷?聞き取れなかった。
『どうやるんだよその、シメるってのは』
『クリアケースの上の段の左奥に殺人スプレーがあるってよ』
"さつじん"
怖い。嫌だ。その言葉は、なんだ?
「い、嫌だ!出してくれ!頼む!出せ!死にたくない!」
嫌だ。
『......俺さ、人間って見た事ないんだよね』
死にたくない。
『お前、やめとけよクビじゃ済まねぇぞ』
嫌だ。殺される。
『見るだけ良いだろちょっとだけだよ』
嫌だ。母さん、父さん、ばあちゃん
『俺は止めたからな』
『暴れたりしたらこのスプレー当てれば良いんだろ?』
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
『俺は、トイレに行ってくるから』
『行ってらっしゃい』
どうして僕だけが
どうして僕がこんな目に
どうして僕は
天井が軋む。祖母の家の縁側の様に。天井が開くと、僕は青白い光に包まれた。
『へぇ、こいつが、人間か』
そこにいたのは、山羊の様な、猿の様な、猪の様な化け物だった。
「う、うわぁぁぁああああああああ」
敷き詰められていた花弁は白かった。それを投げつけるが、花弁の軽さは空気に阻まれ飛ばずにはらりと落ちていく。
『落ち着け。殺さない。お前を逃がしたいんだ』
これは夢だ。まだ僕は棺桶の中にいて、眠っているに違いない。それか、祖母の家に寝ていて、寝汗をびっちょりかいているんだ。そうあるべきだ。
『可哀想だよな。人間に売られるなんて』
僕はここで死なずに、普通に生きる為にどこかの会社で忙しい忙しいと喘いで働くんだ。
『ほら、立てるか?』
化け物が3本ある異様な腕を伸ばす。
「来るなぁ!」
『......俺ちょっと用事あるからこの部屋出るわ。戻るまでにこれからどうするか考えとけ』
化け物は無機質な青白い部屋から外に出た。周りには自分が入っていた箱と同じ様な木の箱がコンベアで流れている。我に返り、箱から抜けた。床に倒れ込む。久し振りの地面は恐ろしい程温く感じた。
部屋の奥にあるシャッターを開けて外に出ると、都会の夜景と夜空が広がっていた。
ああ、そうか。
夜か。
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