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【短編小説】さようなら。キリギリス

アリとキリギリスって話あるだろ?
あれは人間の才能っていうか、変えられない『差』ってやつを風刺してるもんだと思ってる。キリギリスは孤独だ。だから飢えた。でもそのまま飢え死んだとしても誇り高い死になるだろう。そうやって『差』ってものは意味合いすら変えちまう。美人だから許される行動、頭の良い奴だから美談になる話、金持ちだから出来てしまう事。
人間ってのは十人十色だ。
だから優劣が出来る。
だから罪を重ねる。
だからこんなにも、遣る瀬無い。

俺は周りの奴等よりもずっと上手く演奏出来る自信があった。アリの努力も寄せつけない実力があった。
なのに新しく入って来たあの女、アイツに全部抜かれちまった。アイツこそ、本物のキリギリスだった。

でも、俺はまだアリに物乞いをしてないんだ。
俺は何者なんだ?

誰もいない音楽室で、アイツはただ、ピアノを弾いていた。

美しかった。
憎かった。

アイツがどうしても欲しくなった。
アイツが見ている景色も、手の感触も、自分にはないものばかりを持っている気がして、そのせいで俺は二番手だ。アリとして生きないと、アイツみたいにたった一人の別の存在になれない。

アイツは努力していた。俺よりもだ。
穏やかな顔で華々しく弾き、アリの目を惹きつけるには相当な時間がかかったに違いない。生き物の進化に何千年とかかるように、皆から羨望されるアイツは何千年と生きているんだ。
あの余裕が俺に欠け始めていた。最近、良く頭を掻くようになったんだ。不安なんだ。

黒鍵が歪んで見えてきた辺りから、アイツの事ばかり考えている。アイツを後輩として、仲間として見れない自分が恥ずかしい。だが、俺はアイツを次のコンクールのピアノ担当に推薦した。部長として、自分の感情より部の栄光を優先したんだ。あの時は冷静だった。でも今は、家で譜面を破いて泣いている。負けたんだ。

俺は何がしたいのか分からない。

アイツに勝ちたい?またキリギリスになってアリに乞いに行く末路を望んでいるのか?
部を上へ行かせたい気持ちはある。皆の心持ちも尊重したい。先輩として、後輩に華を持たせるのも大人っぽい気がする。

なのに割り切れない。
俺はアイツをどうしたいのか、分からない。

アイツが言った。

「先輩、手を抜かないでください」

ふざけるな。抜いてない。お前に勝てないだけだ。そんな事分かってた。

「抜いてないよ。ほら、お前の方が上手いだろ?」
「......悔しくないんですか」

アイツを叩いて俺がこの部の中の一番だって叫んで許されるなら、あの時泣けたかもしれない。

「悔しくないよ。完敗だ」

言いたくもない事がスラスラと出てくる。だから、最近良く眠れていない。

「私、新入生歓迎の部活紹介でこの部活の演奏を聞いた時、感動したんです」

アイツの表情は悲しげで、吸い込まれるような瞳をしていた。
何でそんな顔するんだ。同情か?俺がアリだとでも言うのか。

アイツは俺の顔を見て真剣な声で続けた。

「先輩の演奏を見て、憧れたんです。楽しそうに弾くあなたの演奏に」

あんなの、演技に過ぎない。何も考えていない、薄っぺらいものなのに。

「私は、ずっとピアノをやってきました。もうピアノやめたくて、でも、あの時勇気を貰ったんです。あなたの演奏に」

それを言って、どうなるって言うんだ。
俺はもう空っぽだ。ピアノをやって、部の皆を引っ張って。俺は王様気取りの哀れな虫さ。
キリギリスダマシ、キリギリスモドキ?
俺への気持ちが憧れだとしたら、じゃあ俺の何をアイツは欲しがっているって言うんだ。教えてくれよ。

「教えてくれよ。何が欲しいか」
「え?」
「俺の何が、お前に足りないって言うんだよ」
「えっと」
「憧れなんだろ?何が自分に足りないと思った?何が自分より凄いと思った?楽しそうに弾いてる?それだけか?そんなもの誰にでも出来る。それはお前が一番良く分かっているはずだろ?凄くなきゃ、誰も振り向いちゃくれないんだよ!」

息が荒い。頭を掻いて落ち着く、フリをする。苦しい。

「私は、先輩のピアノが聞きたいだけなんです」
「......お前より下手だ」
「下手じゃありません」
「下手だ」
「私は!」

アイツの何かを汚してしまったようで、俺は背中が冷えた。憧れである俺が自分を下手だと言うのは、アイツにとっては辛い事なのかもしれない。

「......すいません」
「何が?」
「先輩にそう言わせてしまった事です」
「......いいよ別に。事実だし」

俺達は、音楽室で向かい合ったままピアノと距離を置いていた。どちらがピアノに触るかお互いに探っていたのかもしれない。

「先輩練習しますか?」
「いや。ちょっとトイレ」

泣きに外へ出た。

もう、疲れた。
アイツを恨んでいるとも、正直言えない。アイツは確かに凄い。だけど、どこかでピアノを弾く事を命令に感じている節がある。自分の意思でピアノに向き合う事を忘れている、そう感じた。

だから、俺の楽しそうに弾いている、そういう姿が羨ましく思えたのも、それが関係していると思う。

アイツはピアノを最初、どう思って弾いていたんだろう。
アイツは部活に入って仲間と共に演奏する事で自分に変化をもたらしたかったんじゃないか?
俺がアイツにとってピアノの事が分かる唯一の仲間だったから、とまで考えるのは不自然か。
だけど、アイツが積極的に自分の考えを言うのは珍しかった。

良く分からない感情のまま、音楽室に戻るとアイツの音が流れていた。

扉の小窓から覗いてみると、アイツの後ろ姿が見えて、腕がしなっていた。アイツは今、感情を表現している。同じ演奏者として、邪魔する事が無粋であると直感で気付いた。

俺は扉越しでアイツの音に頷いていた。

やはり、アイツは凄い。

アイツのおかげで、部は大躍進を遂げた。
そのコンクールは金賞、次の大きな大会も3位入賞と、前からは考えられない良い結果を残せた。先輩としてもう思い残す事はなかった。大学受験が迫っていた。俺を含めた同期の連中は皆、退部した。
皆別れを惜しみ笑顔や泣き顔を見せる中、アイツだけは無表情だった。

アイツは先輩を送る会の後、俺に言った。

「ピアノ、続けてください」
「どうかな。受けたい大学は音楽系じゃないし」
「それでも、続けてください」
「なんでさ」
「私が待ってるからです」
「......なんだそれ」

その時だけは、素で笑う事が出来た。
アイツは、俺が卒業する前に転校してしまった。理由は、知らない。噂によればどこかの引き抜きらしいが。

それから、俺は普通の大学の経済学部で適当に経済を学び、何て事ない企業に就いた。
これでも、恵まれた方だ。

アイツと言ったら、今では海外でピアノを披露するプロだ。動画で聴いたが、昔から変わっていない、アイツの音だった。
居酒屋で俺は、アイツの写真を見せて同僚に自慢なんかしている。ダサい。

待ってる、だと?
笑わせてくれる。

俺には何も残っていない。アイツは、アイツなりに俺から何かを得たのかも知れない。でも、俺にとってあれは青春じゃない。苦悩の日々だった。最悪だった。

なのに、アイツのあの言葉が引っかかって、結局休みになるとピアノを弾いている。

アイツを、待たせている。

友人の結婚式の余興でピアノを披露した。
親戚の子供の誕生日で演奏した。
会社のパーティーの余興で適当に弾いた。
俺と言えばピアノ。職場じゃそんな感じだった。俺は不本意ながらも、アイツの影を感じていてアイツの栄光を被って生きているような気がしていた。
今日もスーパーの弁当を食べる日々だ。昔はブルジョワの食事が現実的だと部の仲間に言っていた。若気の至りだったと思う。

ある時、電話がきた。
出た時は驚いた。低く変わっていたが、間違いなくアイツの声だった。部活の頃の同期伝いで俺の番号を知ったらしい。アイツの行動力にも驚いたが、内容はそれを越えていた。

アイツは長期のコンサートが終わり、オフとして帰国してくるらしい。その時に、俺に会いたいと言う。
俺は、ピアノを弾くんだと直感した。

約束をつけ、俺は電話を切った。
無性に嬉しかった。俺は、アイツにとって、本当に憧れだった事にようやく気付けたんだ。
俺は青春を置いてきた、と思っていた。が、続いていたんだ。
嫉妬はもうない。俺は普通の会社員として、ここでこうして生きている。アイツとは違う、群れの中の一匹なのだから。

なぁ、お前のあの音は、本当に楽しんで弾けていなかった音なのか?

俺は、お前に誇られるような先輩のままでいられたのか?
本当は、そんな事、後付けでしかなかったんじゃないか?何も理由なんてない。俺だって、ピアノをやるのも、続けるのもそんなに理由があった訳じゃない。

アイツはどうなんだ?

約束した当日まであっという間だった。
アイツは、綺麗な格好で立っていた。制服しか見た事がなかったから、しばらく俺は目を奪われていた。

「先輩?」
「あ、うん」
「行きましょう」
「その呼び方、もういいだろ」
「でも先輩以外呼んだ事ないですし」
「まぁ、な」

二人で昼の並木道をくぐった。
アイツと食事をしていて気付いたのは、アイツが結婚していた事だった。外国人と結婚したらしい。その影響もあってか、性格も幾分か明るくなっていた。変わらないですね、とアイツに言われ、その通りだと言った自分の言葉が重く自分の背を引き裂いていくのを感じた。
俺はあの高めの食事を覚えていない。

帰り道、アイツは駅の中にあるピアノに目を付けた。

「弾きましょう?先輩」
「え、俺はいいよ」

咄嗟に言ってしまったが、その為に続けてきた事を忘れた訳ではない。

「先輩のピアノが聞きたいんです」

あの時のアイツの言葉が蘇り苦しい。

「......わかったよ」

俺は、恐る恐る最初の一音を弾いた。

「素敵です」
「まだ何も弾いてないだろ。適当言うな」
「プロだと最初の一音でその人が分かるんですよ」
「へぇ、プロねぇ」

俺は、新入生歓迎の部活動紹介の時に弾いた、あの曲を選んだ。明るく、テンポの良い曲だ。アイツが気付いたかどうかは見ていないから分からないが、黙って聞いていた。

弾き終わると、周りには何人か人がいて、拍手を貰った。アイツも拍手を送っていた。

「先輩って感じでした」
「はは、なんじゃそりゃ」
「今度は私が弾きます」

アイツはそう言うと、俺のいた席に座った。
アイツの一音は、この空間を平原に変えた。
キリギリスの音が冬の駅構内を鮮やかに彩っていく。

それから、アイツは俺と同じ曲を弾いた。
アイツの音が、今までで一番美しかった。

俺は口を開け、白い息を吐く機械と化していた。その時は過去の事を忘れ、ただ、目の前のアイツの音を見ていた。弾き終わったアイツの姿に、皆は大きな拍手を送った。先程よりも人が集まっていた。
負けた気はしなかった。

「先輩、私の勝ちですね」
「いいや。俺達の勝ちだ」

アイツの笑顔が胸に刺さる。初めて見たかもしれないその顔に、俺は過去の記憶を重ねていた。俺の苦悩や、葛藤がなければ、アイツが待っている事を忘れていたのかもしれない。この勝ちは、なかったのかもしれない。その瞬間、俺の目から涙が溢れた。

アイツは、本当に楽しんでいた。純粋に。それが分かった。
アイツは、俺に楽しむ心を乞いに会いに来た、キリギリスなんだ。
そして俺は、アイツに苦悩のピリオドを求めて会う事を決めた、哀れなアリだ。
だけど、今この場の人間は俺達を二匹のキリギリスだと思うだろう。
それが、嬉しくてたまらない。

誰かが言った。
キリギリスは演奏をして皆を楽しませる代わりにアリからご飯を貰えば良いじゃないか。そうすれば、キリギリスは冬で飢えずに済んだ、と。
俺はそれじゃキリギリスが報われないと思った。真のキリギリスは、俺は、自分自身が演奏する道具になる事を恐れると思う。でもそれが現実の仕事の仕組みだし、それで幸せを掴む人間の方が多い。
結局、俺が捻じ曲がってるだけなんだ。

でもアイツと演奏して思った。音楽は、誰かを楽しませるもので、自分が楽しむものだった。いつの間にか音楽を競争の道具にしていたんだ。
それも、もう辞めにした。

俺達は、冬を越した。
俺達の演奏は、アリの皆を温めた。
だから、もうどうでもよくなったんだ。
もう、忘れよう。嫉妬も、苦悩も、葛藤も、全部。
あのホームでようやく、俺は卒業式が出来た。青春は、この瞬間終止線を刻んだんだ。
そして、俺はアイツへの想いを捨てる事が出来た。
清々しい夜だ。


さようなら。キリギリス。

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