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【LoveRescue】葡萄①(2016)

2016年に書かれたスケッチ、「葡萄」のリライトです。スケッチをコラージュするスタイルで書かれています。時系列も登場人物も無関係に、ランダムに文字を積み重ねました。

トラムを降りると、低い雲に覆われた街はどこからか葡萄の香りがした。

まだ6月だというのに空気が湿って暑い。肌にまとわりつくような小雨が振り、路面電車の線路が濡れている。弟子の音羽が俺の腕に手を回して傘の中に入った。

「ここから先は少し坂道を登っていくよ」そう音羽が言い、石畳の坂道を歩き始める。

もう何年も履いていた一張羅の靴が壊れたので、駅前の地下街で安物の白いスニーカーを買った。しかしサイズが合わないし石畳の上で時々滑る。パンツにも合っていない。
「そうかな、悪くないよ、似合ってる」
音羽はそう言う。
そして二人の足元をカメラで撮った。

目指していたのは、そこから500mほど坂を登ったところにある美術館。坂道は大きな木の茂みで暗く、葉っぱに溜まった雨が時折勢い良く傘に落ちてきては大きな音を立てた。

俺は38歳。人生に行き詰まっている。毎日が苦しい。

狭い石階段をゆっくり登っていった。美術館では何を展示しているのか、何も知らないまま。
音羽の長い髪が傘の中で揺れていた。

・・・・・・・・・・・・

1992年の秋が深まった頃。通りをすれ違う人がみんなお洒落になるような冬の始まりだった。

歌舞伎町の雑踏の中で午後4時に友達を待っていた。同じ店で仕事をしている同じ年のなつみという女。もう1ヶ月も連絡がつかず、仕事にも来ていなかった。知っていたのは自宅の電話番号だけ。一体どこに誰と住んでいるのか知らない。電話をかけても誰も出ず、留守電にもならない。

ただ、毎週火曜日の夕方は必ず待ち合わせて一緒に食事してから仕事に行こうってことにしていた。なぜそんな子供じみた約束をしていたかは分からない。なつみは仙台生まれの子で、同じ東北の臭いがしたのか次第に仲良くなっていった。困ったときは助け合おうねって言い合っていたし、ある日は食事しながら、仕事をクビになったら一緒に田舎に帰ればいいよねって話もしていた。

熱病のように一晩中うめきながら過ごすような夜の世界のなかで、ささやかだけどまともな時間がなつみとの食事の時間だった。

都合が悪くて食事できないときは必ずポケベルに連絡があったのだが、この1ヶ月は何の連絡もなく、当然待ち合わせ場所にも来なかった。待ち合わせ場所に来なくなっても毎週火曜日には俺は待っていたというわけ。その日もやはりなつみは現れなかった。

そんな11月のある夜、突然事務所になつみが現れた。

まるで昨日も出勤していたかのように、いつもの大きなバッグを持って事務所に入ってきて、自分のロッカーの前に立っていた。

みんなが見て見ぬふりをしていた。俺は急いで近づくとなつみは目をそらした。なっちゃん、どうしてたの?って聞こうと思ったそのとき・・・

誰かが社長を呼んだのか、どんどんどんと大きな足音を立ててデブのおっさんが事務所に入ってきた。社長はなつみに指を指し、おい来いよって言った。なつみは、返事をせずロッカーとバタンと閉めて外に出て行った。事務所の他のやつらは、気づかないふりをして甲高い声で笑っていた。

すると10分ぐらいすると、スタッフの女が俺のところにやってきて、社長が呼んでるよと言った。

遠くから、「アキラ!」って野太い声で怒鳴る声が聞こえていた。俺は走って社長の部屋に行った。

社長の部屋はタバコの臭いとオトコっぽい臭いと何かいかがわしい香水の臭いがした。なつみと社長は向かい合わせのソファに座っていた。社長がタバコを吹かしている。

「アキラ座れ」社長はそう言った。

俺はなつみの隣に浅く腰を掛けた。

「アキラ、お前、一緒に住んでる女はいるのか」

「いえ、いません」と言った。

「じゃあおまえ、なつみを一週間泊めてやれ」

なぜなのか。

そう思ったけれど、その場は質問できる雰囲気ではなかった。

「いいな、なつみ」社長がなつみにそう訊くと、こくりと小さく頷いた。俺はなつみの横顔をずっと見ていた。

「なっちゃん、なにがあったの」社長室から出ると、俺はなつみに訊いた。

「あとでね」なつみはそう言って、俺の腕にそっと触れた。「仕事終わったら待ってる。一緒に帰っていいかな」

「そうしよう」俺は腕にはめていたオメガの黒い文字盤を見た。夜はこれからだった。俺はその夜は客のババアとセックスする予定が入っていた。

その夜から一週間の予定だったはずが二ヶ月間、なつみが俺の家に住んでいた。
そんなことになった顛末を聞いても、あまりにオトナの世界で俺には少し理解ができなかった。

・・・・・・・・・・・

31歳の夏。俺は不倫の渦中にいた。

相手は24歳の人妻。蓮という背の高い女だった。ストレートの黒髪は見たことがないほどの艶があって、中学から高校まで陸上部だったせいかケツが丸く引き締まっていた。

目元が涼しげな美女で、出会った時はネイビーのシンプルなワンピースを着ていた。ノースリーブの腕は、はっとするほど白く細かった。濃い色のサングラスをかけたまま、俺に笑顔を向けたのが最初の出会いだった。

だがその時、蓮の2歳年上の旦那が隣にいた。初めての出会いは、夫婦一緒の時だった。

31歳の俺は、自分が不倫なんかにどっぷりはまるなんて想像すらしなかった。でも、ダメだと思えば思うほどどんどん蓮の魅力に堕ちていった。それまで俺は女性経験は普通の男の250倍はあったし、あらゆる修羅場も悦びも変態セックスも経験し尽くした気になっていたし、女はどんなものかなんて分かったつもりでいた。

だが、そんなのとんだ勘違いで。俺はまだほんのガキなんだって思い知らされることになった。

魔性の女なんて手垢のついた古い言葉があるけど、蓮を表現するにはぴったりだった。別に性悪な根性の女ってわけじゃない。優しい女だ。でも、元から根本に持っている破滅的ななにかが蓮に備わっていた。

清楚でお洒落な人妻でありがながら、遭遇したこともないやり方のフェラチオをし、こんなところでこんなことしていいのかよっていうことばかりする。

蓮は22歳で結婚したという。今の旦那は二人目の彼氏だと言った。一人目の彼氏は18歳の時に付き合った当時35歳の独身の男。この男と4年付き合って別れ、直後に2歳年上の今の夫と出会い、3ヶ月で結婚した。

一番最初の彼氏である35歳の男は金持ちだった。中学すらろくに通わず15歳でチンピラ風情の商売をはじめた。どうしようもない変態だったが、精神的に何か問題があるのか蓮を妹のように可愛がった。非の打ち所のない完璧な男に思えたが、蓮は説明できない不安に襲われて突然別れた。数年後、その男は死んだ。自殺だった。

今の旦那は考えていることが全て理解できる同世代の男だった。女性経験は蓮の前に10人あるというけど嘘で、せいぜい1人だろうと言った。セックスは色気もなにもないが、性格は純粋そのもの。人見知りで会話も下手だけど、結婚生活をなんとか支えようと毎日必死に働いていた。こんな男と結婚したら、金持ちにはなれないけどそれなりの普通の人生があるのかなと思った。あの一人目の強烈な男ほどのレベルには何も到達しないだろうけど。

蓮が俺と不倫にはまってしまうこと、蓮がなぜこんなに悪魔的な色気に取り憑かれているのか、その理由はよく見えた。

35歳の男にあったものを、31歳の俺が持っていた。それが蓮と俺の地獄の始まりだった。

最初、蓮と会う間隔は月2回程度のものだった。しかしそれは毎週になり、二日おきになり、ついに毎日になり、最後は連が仕事を終えると俺の家に必ず寄るようになっていった。

蓮はことあるごとに、俺に夫の自慢をした。

思いやりがあって、優しくて、男気があって、自分を犠牲にして頑張ってくれて・・・

「アキラは金はあるかもしれないけどさ」とか

「アキラはカッコいい車に乗ってるかもしれないけどさ」とか

「アキラは女にモテるだろうけどさ」とか

ことあるごとに俺を引き合いにだし、夫はアキラよりまともなんだ、アキラよりいい男なんだ、自分の両親は結婚を祝福してくれて夫を高く評価してるんだ、アキラは夫より劣る男なんだ、みたいに言い続けた。

しかし、バックでスパンキングしながら子宮の奥までかき回してやると、小便漏らして涎垂らしながら、「アキラ最高です、のんくんごめんなさい」って旦那に謝りながら痙攣してイキまくった。

旦那を自慢しアキラをこき下ろすわりには毎日やりまくるために1時間だけ俺の部屋に来ていた。

帰るときにはちょっと慌てて走って車に行き、黒い軽自動車を急発進して帰っていった。

帰る時のちょっと甘ったるい笑顔が可愛くて、俺はその不倫関係の泥沼に腰まで浸かって前進も後退もできなくなっていた。

蓮もまたその先は地獄の日々が待っていた。

・・・・・・・・

音羽がレモンの味がする炭酸水を飲みながら言う。

「アキラは感受性強いからね。悪い意味で」

ヒールの靴で長いこと歩いたので音羽は靴擦れが出来てしまい、駅前のデパートで踵のない靴を買った。

「何を考えてる?」音羽が言う。

「何も考えてないよ」

「何か面白い話をして」

そうだな・・・

アイスコーヒーの氷が溶けて音を立て、エアコンの風の音がどこかから微かに聞こえている。

【つづく】

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