見出し画像

伝わらないことでも伝わっていく

とても生きづらそうな後輩がいる。
20代はじめの女性。
名の知れた名門私立高校を卒業し、誰もが優秀だと認める某国立大に進学したという。
ここ数年一緒に仕事をしているが、とにかく有能な女性だ。

コーヒーを飲みながら雑談をしているとき、彼女は「生きづらいんですよね」とこぼした。
俺はどう生きづらいのか質問するのだが、彼女からはっきりした答えはない。何か答えはあるはずなのに、言うのを控えているように見えた。

しかし、
「コミュニケーションが難しくて」
彼女はそう言ったのだ。

俺は言う。
「コミュニケーションが難しいようには感じないよ。あなたと会話をすると、いつも俺の言いたいところを汲んでくれるし、適切な返事を投げかけてくれる。だからあなたと話していると俺は快適な気持ちになる。むしろ、俺の方があなたの言いたいことを受け止められているのか不安になるよ。」

すると答える。
「わたしはアキラさんの真似をしているだけ。きちんとコミュニケーションをしようと思っているの。でも・・・コミュニケーションが難しいといつも思う。誰と話しても、本当に難しくて。」

彼女は本当に頭がいいし、性格も抜群にいい。美人なのでコミュニケーションなんて受け身でも成り立つほど相手が気遣ってくれるだろうに。

でも、ふと気づいたことがある。

俺のような底辺育ちで低学歴のゴロツキが言うコミュニケーションと、彼女のような優秀な頭脳の人が思うコミュニケーションとは定義が違うのではないかと。
そして、世代の差によってもその定義が違っているのではないかと。

そもそもコミュニケーション能力(コミュ力)とはどういう能力なのだろうか。
俺の解釈では、コミュ力とは、コミュニケーションスキルを用いて感情を掬い取っていく作業だと思っている。コミュニケーションは発露された相手の感情を、笊で掬っていくことだ。
コミュニケーションスキルは文字通りの技術であって、頷き方、相槌の打ち方、言語化して返事をする方法、などがある。これらの技術を用いて相手の感情を理解していこうと努力するのがコミュ力だろう。

しかしもしかしたら、彼女の言うコミュニケーション能力とはもっと高尚なものを意味しているのではないのか。

相手の「論理的な意見」を正確に受け取り、また相手にも「論理的な感想」を正確に伝える能力がコミュ力と思っているのではないか。
もちろんそれは極めて大切な実務遂行能力だろう。
しかし、彼女のように優秀な人物にとっては、俺が思うところの「感情」は「論理的ではないこと」で「頭の悪いこと」だと思い込んでいるのかもしれない。感情を排除し、論理的であろうと努めているのだと思う。

ところが、彼女の生来の性格はそうではない。
ささやかな感情を感じ取り、深い共感をするような人だ。「あの時、誰かがこんなことを私にしてくれた」という体験を、相手の感情を想像し、そのセンチメンタルさを良質な共感とともに強く心に刻むような人だ。
俺はそのエモーショナルな性格が素敵だといつも思っているのだが。

きっと、世代の違いもあるのかもしれない。

俺は、人が話すことなんて正確さにはほど遠いものだと思って生きている。
自分の意見を言うにしても、正しく話せることは10%くらいの割合しかなく、相手に伝わるときにはさらに10%しかなくなる。最終的に1%程度しか伝わらず、しかも相手の中では数日で伝達したことの大半が消えてしまう。

でもそれでいいと思う。
「また会おうね」と約束しているからだ。
よく分からないまま、相手を気遣って過ごそうとしているからだ。

また会って、また話す。その繰り返しで、会話したことの30%くらいは残っていくのではないか。しかもそれがお互いの記憶として残る感情の話になるのではないか。
俺はそんな風に思うタイプなのだが、きっと時代遅れなのだろう。

ディベートをするように相手の意見を論破することがもてはやされ、正しいことを言わなければ揚げ足を取られる、そんな時代なのかもしれないね。

彼女は、「エモい」ことを悪だと考えているように感じる。エモさとは良質のセンチメンタルさのことだ。論理的なことでは全くない。むしろ論理性から外れた訳の分からなさに圧倒されることをエモいと呼ぶのだ。
記憶に刻まれるのは言葉よりもエモさだったりもする。

そのエモさを優しさの方向に振って生きてきた彼女にとって、毎日の会話は生きづらさなのかもしれないね。
そりゃそうだ。無理なことをしようとしているのだから。

正しくない今日を1000日共有したら、やはり正しくはないかもしれないが優しい信頼が生まれるということを、信じるようにして俺も生きている。
俺もそれによって生きづらさを感じることはある。

でも、人生の大半は感情で動いている。
感情が記憶に刻まれていくのだ。

彼女には「無理するなよ」と言うだけだったが、1%も伝わっていないだろう。
仕事の関係とはいえ俺のような気質の人間とはいない方がいいのではないか、俺と関わることで同世代の周りの人間から軽蔑されたり心配されてしまうのではないか。

そう考えてしまうと、俺はもう何も言えなくなるのだけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?