1993年のカルティエ①
「母がね」
新宿3丁目の明治通りの交差点で信号待ちをしている時、エマが言った。季節はもう12月になろうとしていて、通りに立つと足元から腹の底まで冷えるようだった。俺は客から買ってもらったカシミアのコートの襟を立てて時々身震いした。
「母がね、乳がんなんだって」
正直なところ、それがどのくらい深刻な状況なのか俺には分からなかった。
「そろそろ、覚悟しなくちゃね」
エマはそう言って俺の左腕に自分の手を回した。
信号が青に変わり、俺はなんて声をかけたらいいのか分からず、うつむいたまま横断歩道を渡った。
エマは21歳。都内の私立大学に通う大学生だった。俺のような商売をする人間とは住む世界が違う。
エマは俺の素性についてはよく知らないようだった。
夜の仕事のことや、付き合っている女たちのこと、客たちのこと、俺が每日どこで何をしているのか、ウソをつくつもりはなかったけど、言うタイミングを逃したせいで結局のところ嘘つきになっていた。
俺は小金持ちのババア専門の男娼だった。太ったおばさんの恋愛ごっこに付き合い、いろいろと疑問と気持ち悪さを隠してセックスする仕事。目的?もちろん小銭稼ぎ。虚ろな夜に勃起してみせてはおひねりもらう素敵な仕事。
そろそろ辞めよう、もう逃げようと思っても、帰る場所もなかったし他に出来る仕事もなさそうだったので、考えることを先延ばしにしていた。
プライベートでもトラブル続きの女関係ばかり。好きな女とは連絡がつかなくなったり、純粋にひたむきに生きているはずなのに常に疑われていたり。好きだと言ってくれる女は沢山いても、愛していると言ってくれた女は一人もいなかった。
金をたんまりと稼いでいるのに每日財布から金が出ていった。周りの女たちが困った状況になれば、俺が出ていってすぐに金で解決したからだ。だから自分のことにはほとんど金を使っていなかった。
愛しているとさえ言わない女たちを、俺は愛情を込めて守っていた。身体と時間を売ることによって。
このコートも、バッグも、靴も、時計も、全部客が買ってくれたもの。それはすべて俺の好みでもないし、俺に似合うものでもない。まるでチンドン屋だ。
俺は毎日、自分では選ばない気障な服を着て、自分じゃしないようなセックスを生業にして、自分じゃ絶対言わない軽口をほざいて、普段しない笑顔を振りまき、それで得た金のほとんどを困った女たちを助けるために使い切っていたのだ。
そんな俺の日常をエマは知らない。
エマにとって俺は大学生だということになっていた。
エマと知り合ったのは1993年の夏の夜。彼女が通う大学の近く、御茶ノ水の聖橋のたもとにあった公衆電話の前で、エマが転ぶのを偶然目撃した。道路の段差に躓いて派手に転んでしまったようだった。俺は客が住むマンションでセックスをした帰りだった。仕事が終わると決まってめまいと吐き気がしたものだが、その日も例外ではなく吐き気を堪えながら歩いていた。
その夜はそこからさらにもう一人の客と会う予定だったので電話をかけて車で迎えに来てもらおうと思った。公衆電話からかけようとした矢先に女の子が転ぶのを見たというわけ。
その女の子は白いTシャツを着ていた。肘から血が出ていて、それを俺の持っていたハンカチ(客から貰ったばかりの白いハンカチ)で拭いた。そこからはまあ、よくある展開。名前はエマと教えてもらい、電話番号を聞き、次の日の夜に電話をかけて、よかったらご飯でもどう?って誘うと、喜んでくれて。デートの日にあっけなく大人の関係になって。
エマは夜の仕事とは無縁で、明るく笑顔で喋るちょっと幼い子だった。夜の世界で俺が馴染みのある、割りばしのように細くて髪の長いタイプではなく、背が低くボブヘアの似合う素朴な子だった。好きな食べ物は餃子だと言った。
でもエマのセックスはこんな世界の俺でも見たことがないほど派手だった。時折エマがどこかの風俗嬢なのではないかと疑ったりもしたが、まさかと思って考えるのを辞めた。風俗嬢だったらきっと人気者になることだろう。
その夏の出会いから、俺はずっとエマと過ごしていた。
・・・・・・・・・・・・・・
次第に翳ってきた新宿の路地で、俺が言う。
「おかあさんが死ぬかもしれないっていうのに、落ち着いているんだね」
2人で歩いている道路の横を、大きな音でトラックが通り過ぎていった。
「そうね、母はライバルだから。わたしには」そうエマが言った。
母がライバル、か。よく分からない。
「何かあったら俺にすぐ連絡して」と俺は伝え、エマを見送った。冷たい風が吹いていた。
それから間もなく、エマの母親の様態が悪化し亡くなってしまった。
俺に電話で教えてくれた。
「いま、母が亡くなりました。心配してくれてありがとう」
エマが静かにそう言う。
以前からクリスマスにどこか旅行行こうよって計画を立てていたけれど、それは延期にした。
「元気は出ないだろうけど、あとでお母さんとの思い出を沢山聞かせてよ」俺は電話でお悔やみのつもりでそう伝えた。
「ありがとう、アキラだけだよ、そんなことを言ってくれるのは」
エマの母親が亡くなってから二週間が過ぎた頃、電話が入った。
「落ち着いたから、お茶でもしようよ」エマはそう言った。
新宿のカフェで俺が待っていると、約束の時間を2分過ぎた頃にエマが現れた。黒いタートルネックのニットに、濃いブラウンのレザージャケットを着ていた。随分と大人びて見えた。
席につくとジャケットを脱いだ。
「見て」
エマがそう言って左手首に巻いた時計を見せた。それは黒い革ベルトの、カルティエのタンクだった。小さい華奢なフェイスの時計。使い込まれているのか傷だらけだった。
「母の形見なんだ」
エマが言う。
「子供の頃から母は朝から寝るまでこの時計を着けていたの。この時計を見ると昔の母の顔がすぐ浮かぶくらい。怒られた時も、褒められた時も、この時計を見ていたよ」
「時計は時を刻むものだよ。その人の人生の物語が刻まれているからね」
俺はそう言った。
そして右手でカルティエの文字盤をゆっくりとなぞりながら、言った。
「延期にしてしまったけど、旅行、行こうか。アキラ行ける?」
「いこうか」
「函館は初めてだから楽しみ」
本当は客との約束はあったけど、別に変えてもらえばいい。それが嫌なら別に違う男を呼べばいいだろ。
すぐにホテルと予約し、新幹線の切符を買いに行った。その当時、東京から函館までは盛岡市まで2時間半かけて新幹線で行って、そこから先は「はつかり」という名前の特急列車でさらに5時間近く揺られなければならなかった。東京からは遠い場所だった。
エマが函館に行きたいと行ったのは、俺が小学生の修学旅行で函館に行った思い出を話したことがあるからだった。
土産屋で夜光塗料が塗られた夜景の写真が売っていて、それを家に持って帰って部屋を暗くしてずっと眺めていたこと。
そして酒に酔った父親に殴られ、その写真も破かれてしまったこと。
「それと」エマが言う。
「アキラは大学生ではなくて、エッチな仕事をしてるんでしょ?」
バレていた。
俺はすぐに答える。
「バレてたね」
「お金たくさん稼いでいるんでしょ」
「それなりにね」
「だからアキラが交通費もホテル代も全部出してくれるんだね」
「そういうこと。お金はあるから。気にしないで」
なぜバレていたかは分からない。
「嫌いじゃないよ、そういうの」
エマはそう言って、またレザージャケットを着た。
「ね、アキラ。焼肉おごってよ」
「いいね、行こう」
近くにあった適当な焼肉屋に入った。
黒いニットを腕まくりして、エマはカルビを焼く。カルティエが焦げるよと俺が言うんだけど、母はいつもこうしてたと言って気にする素振りもない。
「どんな仕事なのか教えて。どんな人がいるのかとか」
俺は少し戸惑ったが、仕事のことを話した。客のこと、店の仲間のこと。エマは興味深そうに聞いて驚いたり笑ったり。かといって、特に感想を言うわけでもなく。
その後、近くのラブホテルに行った。
カルティエの時計を外してジャケットのポケットに入れて、またいつものように猟奇的で暴力的なセックスをした。
「いつまでその仕事をするの?」エマが言った。
「今すぐにでも辞めたいよ」俺は言った。冷蔵庫から瓶入りのコーラを2本出し、エマに渡した。
「そう簡単に抜けられるものじゃないんでしょ」エマが飲みながら言う。
「ずいぶん詳しいね」
辞めたいなんて普通に言ったら腕の一本も折られて不思議じゃない。コンビニのバイトじゃあるまいし、今月で辞めさせてもらいますんでとかあり得ない。俺が起こしたトラブルを店がお金で解決してくれたこともあったし、他にも助けられたことは山ほどある。そこの筋を通さずに辞められるはずがない。
まあ、そのうちなんとかなるさと思って、もう3年近くもその世界にいたんだ。
「函館でいろいろ考えましょ」
エマがそう言って話は終わった。
「母の家に来てお線香あげてくれたらうれしいな」
「家に行ってもいいのかい。ぜひおじゃまさせて」
そのままエマの実家に行った。きっとエマの母親は綺麗好きだったのだろう。決して新しい家ではなかったが、センスのいい調度品が飾られていたり、食器棚も美しい皿やカップが並んでいた。
「変なこと言うけど、大学の学費はどうするの?今後」
線香をあげてリビングで仏壇のチョコパイを食べながら俺は言った。
父親はすでに離婚して家にはいないと聞いていた。
「生命保険がね、1億円おりてくるんだ」
「1億?すげえな」
「卒業したらこの家と土地も売るし、しばらく困らないよ」
土地だけでもきっと数千万円する。
へえ・・・といいながら、シャワーを借りてエマが子供のころ使っていた部屋のベッドに2人でもぐりこんだ時は、もう深夜4時になっていた。
俺は来週に行く函館のことを考えた。函館は雪だな、雪が降っているだろうなと想像した。ガキの頃、雪が音もなく降り積もる夕方に、暖房もない家で凍えながら布団に入っていたことも。
雪を見て嫌なことを思い出すのは苦しいなと思いながら、寝息を立てるエマの横で俺も眠りに落ちていった。
この函館へのささやかな旅行が、俺の夜の生活の折り返し地点になるとはまだ分からなかった。
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