羽地さん4

僕はこだわる(4)「分かち合う場」【羽地朝和連載コラム】

僕は分かち合う場が好きです。

ワークショップ、セラピーそして研修を行ううえで、分かち合うことの効果に絶大の信頼をおいています。それは、アルコール依存症の治療にたずさわり、教育プログラムを担当し、自助グループに参加させてもらった経験からです。


アルコール依存症の治療は、治療者が患者を治す、というものではなく、本人が自ら回復を目指すものです。アルコール依存症という状態になってしまうと完治することはなく、アルコールを摂取しない状態を続ける、つまり「今日一日を飲まずにすごす」を続けるしか、そこから脱する道はありません。

これまでお酒を飲むことで心の空洞を埋めて生きてきた人が、人生の苦悩を抱えながらお酒を断つことはとても難しい。しかも何年もお酒を飲まない断酒を続けていても、一度飲んでしまうとまた連続飲酒などの状態に戻ってしまいます。ですからアルコール依存症からの回復には断酒しかなく、そしてその第一歩はまず自分がアルコール依存症だということを認めることから始まります。

断酒を続けるには専門の医療機関へ受診することはもちろんですが、AA(アルコホーリクス・アノニマス)などの自助グループに参加することが大きな助けとなります。そして自助グループで行われているのが分かち合うことを中心としたミーティングです。自分が経験してきたこと、心情、これからの希望など語りたいことを語り、他の人はただ耳を傾ける。そんな分かち合いの場が、回復するうえで何よりも重要であることが、アルコール依存症の治療にたずさわるなかで身にしみて分かってきました。


僕が病院で教育プログラムを担当し始めた頃は、断酒の重要性をどうにか伝えようとしたり、断酒の意志のない人をどうにかしようとしたり、どうにもならないと相手を非難する気持ちがどこかにあったと思います。そうすると、プログラムに参加するメンバーから拒絶されるか、心を閉ざされるか、よくて従順に聞いているふりをされるのがおちでした。そんなこんなしているうちに、縁がありAAミーティングに何度か参加させてもらい、語ることの意味、分かち合うことの効果を目の当たりにしました。
アドバイスや解決策を与えようとしない、一般の教育や治療の世界ではあたりまえに行われていることが、AAミーティングでは無意味どころか逆効果であり、厳しく禁じられています。教師が生徒に教える、上司が部下を指導する、治療者が患者を治す、それが教育であり育成であり治療だと思っていました。しかしそれは教える方が自己満足していることが多く、結局は何の役にもたたない。本人が気づいたことを語り、分かち合うことが、教育プログラムで僕ができる唯一のことだと思いいたるようになりました。


それからは、アルコール依存症の教育プログラムはもちろん、セラピーや企業研修でも、分かち合うことを基本として行なっています。

企業研修は、対象層への期待と課題・現状を基にねらいを設定し、プログラムを組みます。講義、演習、グループ討議、ケーススタディ、ロールプレイング等の研修技法を効果的に組み合わせてプログラムを構築しますが、節目節目で気づいたことや学んだことの分かち合いを僕は丁寧に行うようにしていて、そこに時間をかけます。

が、意外に他の研修講師はあまり分かち合う時間をとらず、重要視していない、教育担当者もそのことを評価していないことに困惑することがままあります。「参加者同士の分かち合いをするぐらいなら、他の必要な知識を伝授してください」と要望が出されたりします。「気づきを分かち合う」ことは、正しい答えをすぐに出すことを求められる文化にはあまり馴染まないのかもしれません。
しかし、あらゆる業務が細分化され、お互いの役割分担が明確化され、仕事が属人化されて、お互いのかかわり合いが希薄になりがちな昨今の企業組織においては、各個人が経験的に持っている経験知や体感して身体に培われた身体知といった暗黙知を分かち合うことが、とても重要だと思うのです。


先週担当した昨年入社の新入社員に対するフォロー研修で、報告連絡相談という入社以来何度も教えられてきたテーマを、各人が現場の仕事の中で経験した具体的な失敗や問題、そこから気がついたこと、学んだこと、工夫していることをグループ内、そして全体で分かち合うことに時間をかけました。プログラム構築の段階の打ち合わせでは、「入社時に報連相は教えているので、今さら時間をかける必要はありますか」という指摘が教育担当者からありましたが、意味合いを説明して、実施させてもらい、高い学習効果が見られました。
企業研修においては、講義をきいて知識として形式知を学ぶことも必要ですが、そのような段階から、実際に経験して気づき学ぶことがより重要です。更には正解がそう簡単にはでない課題に試行錯誤して取り組んでいる際の気づきや学びを分かち合うことが、思考能力や概念化能力を磨く上でとても重要なので、できる限り分かち合いの時間をとって研修を行っています。


プレイバック・シアターも僕は「分かち合いの場」と定義しています。そして、分かち合う場に継続してつながることで、育まれることがあると思うのですが、このことについては、また別の回に詳しく書かせてもらいます。


(羽地朝和)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?