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Lプロ合宿インタビュー⑤:ゆきさんの経験

2019年9月21日〜23日の三日間、研究所が主催する「プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト第7期」(通称Lプロ)の初回となる合宿が行われました。このインタビュー連載は、その合宿で起きたできごとや学びを、メンバーひとりひとりの語りとして記録し、お伝えするための企画です。第五回目は、参加者のゆきさんのお話をうかがいました。

★プレイバック・シアターについてはこちら↓



飛びこんでくる人


ゆき:

くじらさん(※聞き手)、手がやわらかそうですてき。

−えっ!? ほ、ほんとですか……

ゆき:

うん。すっごく印象的というか、なんか、すごく、あっははは! すいません。

−ダイエット中なんです〜とかいって……

ゆき:

いやいや、その、そういうのじゃなくって……ね。やさしい、やさしい手ですね。なんとなく、すごくこう、やわらかい、ふわーっていうのを感じて……

−ありがとうございます……? ……あっ、わたし、自己紹介もしてなかった……

ゆき:

わたしもです……。

わたしは一回しかプレイバック・シアターのワークショップを受けてなくて。ここを知ったのは、うらら(※)のお芝居を観に行ったらチラシが入ってたのがきっかけです。

(※)うらら……Lプロ7期生。ゆきさんとは二十年来の付き合いだという。

チラシを見て、まずLプロの「養成講座」っていう方に興味がわいて、でも、どんなものかわからないままっていうのはおかしいじゃないですか。で、まずワンデーワークショップ(※)に行って、そこでなにか自分の中で刺激を受けたので、やっぱりやってみたいな、と思い。一回しかワークショップを受けてないのに飛びこんできてしまいました。

(※)ワンデーワークショップ……Lプロ主宰・メイン講師の羽地さんによるプレイバック・シアターを体験するための単発のワークショップ。

-すごいですよね。

ゆき :

いや、いろんな意味ですごいですよね。勇気があるというか、なんでしょうね。



産まないじぶんだからこそ


−「養成講座」であるということにどういう期待をしたんですか?

ゆき:

もともと障害児の福祉施設につとめていたんですね。いろんな障害をもったお子さんのご家族、あと虐待のおきた家庭とかとも関わって。

障害や虐待に苦しんだり、でもよろこびもあったり、そんななかで、やっぱりこう、なんだろうなあ。そんなにむずかしいことではないんですけど、「ああ、これでいいんだ」って思えるきっかけになるようなことをじぶんが提供できたらな、って思ったんですよね。

わたしもともと役者になりたかったんですよね。それで、演じる、自分のまんまを表現する、っていうところがどれほど開放につながるのかっていうところは感じていて。プレイバック・シアターに関しては、うららからどういうものなのか聞いたからこそ、っていうのもあります。


−最初から、「プレイバックを提供する側になる」っていうことに興味があったんですね。

ゆき:

なにがじぶんにできることだろう、と思って。子どもたち、障害を持った子どもだけじゃなくて、一般的にいる子どもたちに。

じぶんは小さいころから「結婚しない、子どもは産まない」と思いつづけていて。女性として生まれて、機能はあるのに、みずから産まない選択をしてることに悩んだときもあるんですけど。でも、だからこそできることはあるんじゃないかって思って。

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そう思ったのが、保育園で働いたとき。わたしは子どもを持ったこともないし産んだこともないのでわからないんですけど、産んだことがないからこそ、思える平等感? やっぱり、子どもが生まれたらじぶんの子どもをいちばんにしてしまうきらいは、少なからずあるような気がしていて。

で、その保育園でも、障害児の福祉施設でも、ただただ話を聞くだけで楽になる人っていっぱいいて。多分じぶんもそうで、聞いてもらえたら楽になる。だから、たとえばプレイバック・シアターとか、べつにバトミントンでもママさんバレーでもいいんです。「ここでだとじぶんを表現できるな」っていう場所があれば、人ってじぶん以外の他者に優しくなれたり、するんじゃないかな、って、思ったのかな。

だから、動く彫刻(※)とか、すごく、なんか、なんだろうなあ。ことばではない何かで表現をする楽しさ。で、そこでいろんな意味で勝手に共感が生まれてるみたいな。自分がテラー(※)になっている時も「ああそうだったな」って思える、みたいな。そういうのが生まれてるあの空間、時間を、作れるってすげー、って、思って。

(※)動く彫刻……プレイバック・シアターの手法のひとつ。語り手から聞いた話を、台詞のある劇にするのではなく、役者三人の動きだけで表現する。
(※)テラー……プレイバック・シアターの用語。即興劇のもととなる自分の人生のストーリーを話す語り手のこと。



感覚でなにかと目があう瞬間


ゆき:

あとはやっぱり、「表現する」っていうことをもう一度やりたいって思ったので。それがいちばんかもしれないですね。

−ええと、いまはあまり表現活動をアクティブにされていないっていうことですか?

ゆき:

まったく。

−何年くらい離れていたんですか?

ゆき:

もう二十年ぐらいですかね。そのあと、ダイビングの仕事をするのに島に移住しちゃったので。役者をやってたあとに海のガイドの世界に行って……

脱線しますが、海にもちゃんと地盤があるんです。人間も、生活環境って大事じゃないですか。明るいところに住む人種もいれば暗いところに住む人種もいて。海もやっぱり、こういうところにはこういう種がいて、こういうところにはこういう種がいて、っていう生態系がある。


−ふしぎなんですけど、いま脱線するとおっしゃっていましたけど、そんなに脱線したような感じがしなくって。海で生態のことを感じて、ああ地盤があるんだなあと思ったりすることと、人と関わるっていうことは、ゆきさんのなかでなにか近いところにあったりするんですか?

ゆき:

感覚なんです。海のなかでは、一切言葉もないし、魚とも当然しゃべれないけど、じぶんのなかでは魚としゃべってるっていうか。泳いでたら、たとえば目があう。三メートル先の魚と目があったら、向こうが「やばい、見つかった」って思ってるな、とか。だからその子をお客さんに見せたいときには、わざと知らんふりしながら行って、その彼、というか彼なのか彼女なのか、がびっくりしないように回りこんで、とか。

そうですね……キラキラ光るものとか、風を感じるとか……そういう感じ。感覚ですね。だからそういう意味では、つながっているのかもしれないです。プレイバック・シアターって、感情も表現するじゃないですか。そこでも、ああ、やっぱりやりたい、って思った。

で、一瞬やっぱり迷ったんです。これから自分はどう生きていくべきかっていうことを考えてた時だったので。でも、やりたいと思ったのであれば、そのファーストインプレッションのまま、瞬間で、やってみようかな、って。興味があるなって思ってから、ぜんぶがつながってるから。

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新しい山道をみつける


−それで行ってみた合宿はいかがでしたか?

ゆき:

わたしは、すごく表現がしたくて。もう一度表現者になりたい、って思っていたのもあって、プレイバック・シアターっていうのに魅力を感じたんですけど、ええと、合宿中に表現することがすごく怖くなってしまって。それがもういまだにわかんないんですけど、すごく、怖くなってしまって。それも合宿で言ったんです。ここではぜんぶ言おう、蓋を閉めるような仲間ではない、って思ったので。

表現するって深いなってきっと思ったのかな。なんか、いままでは、テラーの方のいろんなものを聞いて、すごくじぶんのなかで想像できたんですけど、こう、頭のなかがまっしろになっちゃって。

なんだったんだろう、きっかけは。でも、アクターをやったあとに思ったので。まあでもだからといって逃げ出したいとかは思わなかったので……そうですね。


−怖いと思ってからはどう過ごしていたんですか?

ゆき:

そのまま。拒否をしてもはじまらない、もう無理だって思って心に蓋をしてもしかたがないので、もういまのありのままを、みたいな。やっぱり、それはもうすべて今のメンバーだったからだと思います。

−それで、ありのままを出したらどうなったんですか?

ゆき:

じぶんのなかで、まあゆっくりやろうかなっていう。

−わっ、じゃあいまも怖い状態のままいらっしゃってるんですか?

ゆき:

多分、そうだと思います。何かを払拭したわけではなさそうなので。

ただ、最後に、それこそむらっちさんがコンダクターでわたしがテラーで未来を見せてもらったときに、未来でもいいんだあと思って。あれはすごくわたしにとって、やっぱりもっとプレイバックを知りたいって思うきっかけでした。だからあれはすごく見せてもらえたことに感謝ですね。あれで楽になったっていうか、「そうかそうか、わたしはこういうことがしたかったんだな」っていうか。べつに表現が怖くなったからって、そこにフォーカスを当てなくてもいいわけで。


−いまは、表現以外のどこかにフォーカスを当てているんですか?

ゆき:

たとえば、プレイバック・シアターを提供する側。今はコンダクターの研究生としてこうしているわけで、表現をする、ためにいるわけじゃない、っていう。

だからこう、見かたを変えることができたというか。てっぺんに行くのに、わたしは特に表現をすること、役者をやりたいと思ってたからこそ、そっち方面からなにかを学ぼうとしてたのかもしれないけど、山はね、どの道からでもいけるじゃないですか。


−じゃあ、アクターとか表現者としてのスタートと、コンダクター、提供する側っていうスタートは、同じところに行き着くと感じているっていうことですか?

ゆき:

そうですね。上に、プレイバック・シアターっていうものがあって、なのでそれを……なんていうんだろうな……

−ゆきさんがそのてっぺんに到達するっていうのは、ゆきさんがプレイバック・シアターとどういう関係を結ぶということなんですか? 「ゆきさんが、プレイバック『を』、とか、プレイバック『に』、『○○する』」というふうに、動詞を一個入れるとしたら? 「わかる」なのか、なのか、「会得する」なのか、

ゆき:

「知る」ですね。自分が「得る」とかっていうんじゃなくて、まず知るっていうことがてっぺん。羽地さんとかゆりさんみたいに、研修をやっていくとか、提供するっていうところがてっぺんではなく、わたしのなかのいまのてっぺんは、「知る」

表現からだけではなくてコンダクターからでも、テラーとしてからでも、音楽からでも、なんでも、ね。表現が怖くなって蓋をしてしまったとしても、わたしはプレイバックシアターを知りたいために今ここにいるから、そんなの、まいっか。ってことを思わせてもらったテラーでした。


−そのとき、テラーとして見ていてどこがよかったんですか。

ゆき:

単純にテラーでしかなかったんです、そのとき。だから、うーんと、たとえば音もよくって、別に、これっていうのはないんですけど、ぜんぶ。要するに、テラーはテラーとしてテラーを一生懸命やる、みたいにすれば、一個一個いろんなことを知ることができるのかな、って思ったのかな。

とにかくぜんぶが未知の経験だったので。不安もありますけどね。大丈夫かな私は、今後やっていけるのかなっていう不安はありますけど。

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−一個だけ聞きたいなあと思っているのは、ゆきさんにとって、表現するというのはなんでしょう?

ゆき:

開放。自分の開放、心の、自分自身の開放。ですかね。

−開放って、どんな感じですか?

ゆき:

大げさにいうと、なんていうんでしょう。たましいの叫び的な。べつに怒るとか笑うとかだけが開放じゃなくって、ぼーっとすることも、開放、表現。……なんていうんだろう。

−開放するとどうなるんですか?

ゆき:

らくになる……?

−なにが、ですか?

ゆき:

気持ちが……? ははは。なんか、わたしはそれがお芝居っていうところの表現だったんですけど、たとえば花を活けることも表現じゃないですか。ものを書くっていうのも。なんか、心の開放みたいな感じかな、って。そういう意味で、開放。なんか、それしかいえない。



(インタビュー・記事 Lプロ7期生/研究所スタッフ 向坂)

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