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教育についてあ〜だこ〜だ(12)ウララ【リレーエッセイ】

あ〜だこ〜だ.001 2

ついに最後のリレーエッセイのバトンが回ってきました。まさかのアンカー。
ゆりさんもくじらちゃんも4回目のエッセイは、それぞれ決意表明のような清々しさが感じられて、読んでいてとてもハッピーな気持ちになりました。
ですが、これが自分のこととなるとどうも様子が違う。わたしはいまだ教育に対する考えがまとまらず、書こうとしても手が止まってしまうのです。

今日までどうにかこうにか苦手ながらも自分の頭の中にあるものを言語化し、おふたりにしがみ付いて教育についてあ〜でもないこ〜でもないと考えながら書いてきたおかげで、自分のやりたいことの輪郭が少しづつ見えてきました。

正直に言ってしまえば、わたしはやっぱり教育がやりたいかどうかは分からない、ということです。

ここまで来たらもう認めざるをえない。

ぐるぐるぐるぐる頭の中で教育と自分について考えていたら8時間くらい経っていたので、もうここは最終回ということで、言語じゃない方法で、やりたいことを表してみます。

わたしがやりたいのは、こういうことなんだと思います。

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いきなりスミマセンッ!ちゃんと説明します!!

原点回帰。わたしはやっぱり教育を語る前に、ひとりの表現者でありたい、と改めて思いはじめました。やりたいことの一番最初に、表現活動があって、そのずっと先のほうに教育があるイメージかもしれません。

くじらちゃんが前回のエッセイで

「わたしは教育をやりたいわけではない、むしろ教育のことは苦々しく嫌っているのだが、呼ばれてしまったからしかたなくやっているのだ」。
「教育がやりたい」ということを頑なに自分に禁じてきたのは、自分のする教育が「やりたさ」重視になってしまって、自己満足に走ることが怖かったからだと思います。あと「教育がやりたそうな人」になにか教わるのってちょっとイヤじゃないですか。

と打ち明けていましたが、くじらちゃんにとっての「教育」が、わたしにとっての「表現(パフォーマンス)」と近いかもしれないと思いました。


大学卒業後に俳優養成所に入り、そこでインプロ(即興芝居)に出会い、それから紆余曲折しながらもずっと即興芝居を続けてきました。30歳の時に『東京コメディストアジェイ』という即興パフォーマンス集団の旗揚げから参加し、解散するまでの8年間、多いときは週1回ステージに立ってお客さんの前で即興芝居をやってきたので、めちゃくちゃメンタルもマインドも技術も鍛えられました。即興でシーンを作るということは実に怖いことで、とっさのアイデアに、自分の普段のものの考え方や対処のしかたがそのまま出てしまったりする。でもその反面、自分を取り繕うことを手放せれば、無限に自由で楽しく遊ぶことができます。どう居るか。お客さんはどういう人を見たくてわざわざライブに足を運んでくれるのか、楽しんでくれるのか……そんなことを日々考えて活動していました。

30代のほぼ全エネルギーを注いでいたこともあり、解散後は電池切れした感があり、もうしばらくは表現活動はいいや、と思うと同時に「じゃあ40代はどう生きてくの? そろそろ社会貢献したほうがいいんじゃない? これから就職とか難しくなる年齢だよ?もう40代なんだからさぁ〜」と自分のなかの常識サンがブツブツ言う声が聞こえてきて。今思えば、恵まれたことに自分の周りにそういう価値観の人はおらず、誰も社会の常識みたいなプレッシャーをかけてくる人はいなかったんですよね……

ゆりさんの前回のエッセイに書かれていたように

常識で縛ってみたり、自分の足を引っ張るのはいつだって安定を求める自分。

まさにそうでした。

でも、そんな迷えるわたしにナレーションの師匠が、たまたまゆりさんのワークショップを勧めてくれて、何となく直感だけを頼りに内容もよく知らないまま参加。そこでゆりさんのワークショップに、というか、ファシリテーションに、目から鱗が落ちるとはこのことか! と思うぐらいの衝撃を受けたんですよね。“ワークショップ ”ってこういうものなの?! わたしが今まで受けていたカッチリしたものとはまるで違うじゃないか、と。そして、なんて心許ないんだ、と(笑)
ワークショップがこんなにも自由度が高いものなんだとしたら、わたしもやってみたい! と思ってしまったんです、ついうっかり。わたしが今まで受けていたのは、ワークショップという名のトレーニングだったんじゃないか?と、はたと気付いてしまったんですね。教える立場にはなりたくないけど、だれかと一緒に創造する場だったら、こんなわたしでもひらけるかもしれないと思ってしまったんですよねぇ、ついうっかり。

それからというもの、ここプレイバック・シアター研究所で開催されるワークショップの面白さにハマり、いくつか参加しているうちにご縁あって働くことになり現在に至っています。余談ですが、そのときのワークショップにくじらちゃんも初参加していて。今と変わらず言語化がずば抜けてうまかったので、すごく印象に残っています。
流れるようにここまで来てしまいました。(くじらちゃんもほぼ同じ道程を辿っている奇遇!)

そして2020年。コロナウイルスが世界中に蔓延し、今までとは違う生活を今なお余儀なくされています。リモートワークになり、和歌山に住むゆりさんともほぼ毎日zoomで会話をしたりして、オンライン講座も数多く開催できるようになりました。結果、業務量も増え、自由人だったわたしも ”社会人感” が板に付いてきました。このまま大人らしく事務をこなし、他人のやりたいことをサポートしていくのもいいかもしれない……。

そのなか、9月のオンライン講座「月曜夜の会」、ゆりさんが担当の「自分以外の人になってインタビューを受ける」回で、恋愛ミステリー作家・御手洗 聖が誕生。わたしにとっては即興でキャラクターになることはお茶の子さいさいで、むしろ懐かしい感覚が蘇ってきたような感じがしました。あぁこれ、これ! この心が踊るような感覚! いくらでも遊べる〜♪
そして、自分では即興パフォーマーだった頃の4割ぐらいの表現でも、他の参加者からは過分な評価をもらえるということに驚きました。
でもわたしの中では、これは1回こっきりの即興遊びだと思っていました。

それが、10月からオンライン朝活「あさらぼ」を開講することになって、そのチラシを作っているときに、くじらちゃんがわたしのプロフィールのところに仮で御手洗センセイの画像を載せたことから、羽地さんとゆりさんが「うららの写真はあれがいい」と言い出し、あれよあれよという間にタイトルも「今日の御手洗センセイ」に決まってしまい、しかたなく清水の舞台から飛び降りる気持ちでやり始めたんですよね。

でも今振り返ってみると、その画期的なチャレンジを面白がって試させてくれた羽地さんとゆりさんには感謝しています。御手洗センセイの写真を使ったくじらちゃんにも!

あれから5ヶ月経ち、研究所界隈では御手洗センセイが一個人として認知されてきている現在。先日は、御手洗センセイでアプライドドラマのファシリテーションをやるまでになりました。

「あさらぼ」では、本名とは違う別キャラの名前や格好に着替えて参加してくださる方もチラホラ。誰かの表現するキッカケになっているのなら、わたしはそれがすごく嬉しい。
こんなわたし(わたしの扮するキャラクター)を見て「自分も誰かになってみたい!」とか「自分にもできるかもしれない」と思って、ちょっと勇気を出して楽しくチャレンジしてくれる人がいるのなら、わたしはいつだって一肌脱げる覚悟がある。

だからわたしは、そのプラクテイショナー(実践者)でありたいと思います。まずはそこから。

自分の感覚を満足させた先に他者との関わりがあり、その先にもしかしたら教育があるのかもしれません。今はそう考えています。もしかして、既にこれがゆりさんたちのいう「教育」なのか……な? もう分かんないや!笑

ここまでくるの長かった〜。でもこの境地に達することができたのは、ゆりさんとくじらちゃんとのリレーエッセイで突き詰めて考えて来られたおかげです。


この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ


ここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました!

(ウララ)

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