Lプロ写真

Lプロ合宿インタビュー①岩橋由莉さんの経験

2019年9月21日〜23日の三日間、研究所が主催する「プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト第7期」(通称Lプロ)の初回となる合宿が行われました。このインタビュー連載は、その合宿で起きたできごとや学びを、メンバーひとりひとりの語りとして記録し、お伝えするための企画です。第一回目は、ゲスト講師でもある岩橋由莉さんのお話をうかがいました。

★プレイバック・シアターについてはこちら↓


ていねいに腑に落とすプロセス


−まず、合宿はいかがでしたか?

ゆり:

一言で言うと、すごく興味深かったです。

夜にみんなでその日一日の振り返りを書くんですね。みんなであれここどうだったっけみたいなところを話していると、その日羽地さん(※)が伝えようとしていたことのなかで、「ここからここの説明が飛んでるね」っていうところが見つかったりするわけ。そうしたらすぐ羽地さんに、「ここはなんなの」みたいな話が聞ける。

(※)羽地さん……プレイバック・シアター研究所所長。プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト主宰・講師。

そうすると、本当に彼が言いたかったことはここだったんだ、というのがその場でわかる。いや、私が知りたかったことはここだったっていうこと、かもしれない。そういう、「みんなでていねいに振り返って腑に落としていく」っていう作業がすごくおもしろかった。


−「羽地さんがいいたかったこと」と、「自分が知りたかったこと」とを言い分けていましたね。ゆりさんはなにか羽地さんが言いたいこと以外のことを知りたくて来ているんでしょうか。

ゆり:

けっきょく、私の関心は手法ではなくて、その人の哲学、その人の切り口なんだと思う。人をどう見ているのか、社会をどう見ているのか、その根本はどこにあるのか。

例えば、「共感」っていうことについて羽地さんが話した時に、「それぞれの思う共感を体で表現してみよう」ということになったのね。そこで違いがものすごく出たわけ。ある人にとっては共感は「同じ方向を向く」こと。私にとっては、「あるところとあるところがくっついていてわたしとあなたの境目はない、でもくっついているところ以外は別々のところを見ている、一回そこでくっついたっていう経験さえあれば離れたっていい」……みたいな、なんかそういうこと。

そんな風に考えたときに、実は羽地さんがプレイバックで大事にしたい共感っていうのは、共感する人/される人というような関係性ではなくて、「状態」を指すんだ、とわかる。羽地さんにとって共感っていうのは「状態」なんだ、共感が生まれる瞬間みたいなものをやりたいだけで、「共感しよう」と思ってコンダクターをやっているわけではない。

画像1

よく「共感しよう」とか、「共感が大事」とか言われている「共感」っていうことと同じ言葉は使ってるけど、それは羽地さんが持っている「共感」という言葉に対するイメージとは違うんだ! っていうことが、そんなふうにみんなで丁寧に聞いていくことでようやく羽地さんの口から出てくる。そこではじめて私たちも「あ、だからこういう居かたのコンダクター(※)になるのね!」と腑に落ちる、というか。「共感ってみんなちがうよね〜」で終わらない。

(※)コンダクター……プレイバック・シアターの用語。場の進行役で、語り手(テラー)から話を聞き出して一緒に即興劇を作っていく。

コンダクターのときの羽地さんに話を聞いてもらうと、どこかわかってもらってるような気持ちになるけど、わたしの体感としては、「この人、どこでわかっているんだろう?」っていう疑問が常にあるわけよ。

日常彼と話をしていても、およそ共感されたとは感じない。でも羽地さんがコンダクターになると、みんなが「羽地さんに大事にされた」っていう感覚を持つ。

じゃあ、どこで成立しているんだろう? と常々疑問に思っていて。羽地さんに直接「コンダクターのときなに見てんの?」って聞いても、「手を見てる」と言われて「手を見てるってどういうこと!?」となったりして、断片的にしかわかっていなかった。

それが、結局共感っていうものの捉え方が違っていたんだ、と。この人は、行為をやりたいわけじゃないんだ、行為で成立させてるんじゃないんだ。っていうことがわかったときがいちばん腑に落ちたんだよね。

画像2

扉をあけて、言語ができる


−ゆりさんは今回、なにに注目しながら参加していたんですか?

ゆり:

「羽地さんがプレイバックで何をやりたいのか」っていうことを、これまでは感覚だけで断片的に感じてきたんだけど、今回は「コンダクター養成」だから、それが系統立って流れてくる。そういう現場にいることができること。

これは誰かと一緒に場所を作るときによく起こることなんだけど、みんなそれぞれ「自分の中では当然」ということがある。そこを、さっきの「共感」の話みたいに「そこはなんでそうなの?」と問われて説明したときに、はじめて、「共感っていうのは行為じゃなくて状態をやりたいんだ」みたいな言葉が出てくるわけよ。

羽地さんにとってはあまりに自然だから言葉として出てきようがないこと。それが、外の人と触れることではじめて言葉になる、言語ができる。それが私にとってはおもしろいことなんだよね。

−「おもしろい」って、ゆりさんにとってはどういう心の動きなんでしょう。

ゆり:

「おもしろいって思う」って、たぶん自分のなかの扉をあけることなんだと思うのね。そういうことをおもしろいと思っている自分の扉をあけること。

私はわりと、外に触れることによってはじめて扉の存在を確認するっていう質なんだと思う。自分の中にはもう、いっぱいあるっていうことはわかっているんだけど、自分ではその扉を見ることができない。だけど芝居を見たり音楽を聴いたり、外のものに触れると、あっ、この扉があった、とわかる。そのことをおもしろいって思える自分がいてはじめてその扉をようやくあけられるっていうか。こんな扉があったんだ! みたいなことがおもしろい。


学んだことはある、なんの学びかわかんないけど


−なにか今回学んだことはありますか?

ゆり:

うん、うん。きっとある。学んだこととは意識してないけど、学んだことはある、と思う。…………学んだこと? これは学んだことなのか? でもいまこれが思いついちゃったからしょうがない。

あのね、会場のおうちが二間続きになっていて、手前側の部屋でチェックインが始まるんだけど、もうそこの部屋がさ。圧倒的に、なにかが、いる。もうなんかもう、本当に、「いる」のよ。オバケとかそういうことをはっきり感じたことはまずないんだけど、そのときは確信的に思って。だけど自分の場でもないから、そんなことを口にもできない。人の場だし、「ここで」って言われたらここで座るしかないじゃん。

と思っていたら羽地さんに「なんでゆりさんそんな変な格好をしているの」って言われて、「いやあー、えっとー、ここはあのー、なんか、いますね」って話したら、「ああ、じゃあこっち側の部屋にしましょう」って部屋を変えてくれたのね。そうしたらみんなも、ああそうだよね、いるよね、みたいな。

そんなことを口にしたり、みんながそのことを意識した上で場所を変える、って。例えば私がファシリテーターだったら、たぶん何かがいるとは言わずに、「やっぱりちょっとこっちの部屋が明るいからこっちにしよう」って言ったと思う。でも今回は参加者だったから、一参加者として感じていることを話したら、ことさらすごいことでもない風に「あ、ほんとだね、いるね、じゃあこっち側の部屋にしようか」ってことが動いた。

そのことが、自分の中でひとつ学びになっているんだよね。なんの学びかわかんないけど。

画像3

ひとつの疑問にみんなで関わる場をつくる


−「一参加者」という言葉が出ましたが、ゆりさんはLプロ全体としては、半分参加者、半分ゲスト講師として参加されていますよね。今後は、Lプロの一員としてどういう立ち位置で過ごしていくつもりなんですか?

ゆり:

Lプロはあくまでも羽地さんの現場。羽地さんが大事にしていることとか、羽地さんがやりたいこととか、っていうことを言語化していく、見える化していくための現場だと思う。

私は、一参加者として学びのプロセスを経験した上で、そこで出てきた疑問を羽地さんに聞いていく。そのときに、ファシリテーターとしての切り口というのもあるなと思っていて。

これまでずっと色々な活動をしてきたファシリテーターとしての切り口で、「こういうことはどうなの?」ってみんなの前で質問する。そうすることで、みんなにそこにいっしょに関わってもらうことができる。

羽地さんのフィールドを土台にして、そこをもっと体感する場をつくる。そのために、違う経験を持ったファシリテーターが出てくるとよりわかりやすくなる。私はそういう役割なんじゃないかと思っています。


★記事中の写真はゆりさんが合宿中に撮影したものです。

(インタビュー・記事 Lプロ7期生/研究所スタッフ 向坂)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?